妖精の取替子 15



 突如として沼に水柱が立った。巻き上げられたワームたちがぼろぼろに崩れていく。

 その中から、輝く水の精霊が魔力のうねりとともに躍り出た。

 彼女の掲げた掌が示す先に、水の膜に守られたセイが浮かび上がってきた。セイはその手にアナをしっかり抱いている。


「ニクサ…!」


 安堵の声を漏らしたのはロイドだ。

 アードはぽかんと口を開けて水の精霊とセイを交互に見つめる。


「セイ、契約したんだ…!」

「この状況で、よく…」


 感嘆するモアに、本当だねとロイドが応じる。

 ワームたちが全滅すると同時に水竜巻は消えた。

 駆け寄ったロイドにアナを預けたセイは、激しく咳き込みながら這うようにして岸にあがった。

 ニクサは彼を傲然と見下ろしている。


『正式に契約がなされたわけではありません。あなたの魔力は、まだ足りない……』


 頭上から放たれる無情な宣告に、セイは両手を握りしめることしかできない。

 魔力が足りない。


「それくらい、わかってる……!」


 低くうめいて地面を叩く。悔しくて情けなくて吐きそうだった。

 髪からぽたぽたとしたたる水が濁っている。


「セイ! 大丈夫か!?」


 対の騎士の叫びを受けてのろのろと顔を上げたセイは、咳き込みすぎてがらがらになった声を発した。


「奴は…フィル、ガス、は…!?」


 途端に剣を打ち合わせる音が耳に飛び込んできた。

 クールとセイ、ふたりが同時に視線を走らせると、フィルガスの手から離れた剣が回転しながら宙を舞っていた。

 ジェインの剣技がフィルガスを凌駕したのだ。

 さらに間合いを詰めようと踏み込んだジェインに、フイルガスは手を突き出して魔力を放つ。

 ジェインの眼前で火花が散った。


「ジェイン!」


 叫んだのはクールだった。セイがロッドを掲げるが間に合わない。

 フィルガスの魔力が爆裂する刹那、ジェインを包む透明な帳が音もなく下りた。

 ロイドの掲げたロッドの宝石が、透明な帳と同じ波動の閃光を放っている。

 フィルガスは優雅に一礼した。


「今日はここで失礼しよう」


 魔力が爆発した。

 さすがにその威力は完全に防ぎきれず、ジェインは後方に押し飛ばされる。


「ジェイン!」


 叫ぶロイドの横から飛び出したモアが、その翼で彼女を受け留めた。

 魔力の尽きたセイはクールとともに地面に伏せて爆風から身を守る。小さな鷹の姿に転じたアードはふたりの間で体を丸める。

 呼吸を十数えたあたりで、クールはそろそろと目を開けた。








 夕焼けの空が広がっていた。

 沼の水はほとんど散って残っていない。ワームも、フィルガスもいない。

 起き上がったクールは悔しさに身を震わせた。


「やっと見つけたのに…!」


 それまで忘れていた腹の傷が激しく痛み、クールは低くうめく。


「……く…、っ!」


 一方のセイは、うなだれた拍子に落ちてきた前髪の色を見てぎょっと目を剥いた。

 染料が落ちて本来の髪の色に戻っている。


「しまった、水で…」


 嫌そうに顔をゆがめたセイは、フードを目深にかぶった。この色は、人に見られたくない。自分もこの色の髪を見たくない。

 ふたりに歩み寄ったジェインは、ふっと息を止めると、彼らの頭を叩いた。ごっと鈍い音がするのを聞いて、ロイドとモアとアードが痛い顔をする。


「だっ」

「っ、ジェイン?」


 顔を上げたふたりは、ジェインの目を見て口をつぐんだ。

 ジェインの双眸が、怒りの頂点を突き抜けて冴え冴えと冷たくきらめいている。


「セイ、お前の本来の目的は?」


 ジェインは視線をロイドに向けた。

 彼に抱かれたアナは安心して眠っているようだった。濡れていた体や布はニクサの魔力ですっかり乾いていた。

 窺うような視線を投じるセイに、ロイドは彼を安心させるように笑って見せる。


「無事だよ。体のどこにも異常はない」


 セイはほっと胸を撫で下ろした。


「よく捜し出したな、セイ。……だが」


 ここでジェインはふたりをきっと睨んだ。


「勝手な行動は許しがたい。覚悟しておけよ、ふたりとも」


 その言葉にセイは違和感を覚えた。


「え、でも、クールは……」


 後先考えずに飛び出した自分が叱責されるのは当然だが、クールに非はないはずだ。

 怪訝そうにクールを顧みたセイは、対の騎士がこの上なく悔しそうに唇を噛んで、フィルガスが消えたほうを凝視していることに気がついた。

 その後ろ姿で理解した。クールもまた、オグマの騎士としての義務と立場を忘れたのだと。


「……!」


 クールは自覚していた。自分が演じたあれは、オグマの騎士としての戦いではなく、私怨のための私闘に他ならないと。

 それでも、討ち取れたならまだよかったが、現実はそう甘くなかった。

 フィルガスの顔を見た瞬間何もかも吹っ飛んだ。激情のままに切り結び、無駄な力を使って呆気なく敗れた。

 腹の傷が、自分の愚かさを嘲笑うかのように痛む。

 ジェインとロイドがいなければ、自分もセイも命がなかっただろう。

 クールもセイも言葉もなくうなだれる。

 ロイドはそっと息をついてジェインに目配せをした。応じたジェインが口を開く。


「帰るぞ、ふたりとも」


 アードが巨鳥に転じて、どうぞというように背を向ける。クールとセイは黙ったままアードの背に登った。

 上昇したアードの背から沼だった窪地を見下ろして、クールは低く呟いた。


「次に会うときまでに、もっと強くなってやる…!」


 鞘から引き抜いた剣が夕日を弾く。

 セイもまた、ロッドを握る手に力をこめる。


「まだ、力がぜんぜん足りない」


 ニクサの面差しが脳裏をよぎる。次に契約を交わすとしたら、彼女だ。

 苦い思いをかみしめているふたりにアードが明るく言った。


「セイ、クール。帰ろうよ」


 モアはもうオグマ城に向かう風に乗っている。

 渦巻く感情をなんとか飲み下して、クールはひとつ頭を振った。


「ああ、帰ろう」


 フードを目深にかぶったセイは、相棒の言葉に黙って頷いた。




 騎士とドルイドを乗せた巨鳥が、燃え上がる夕焼けの空を飛んでいく。








                       二章 妖精の取換子 了





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