妖精の取替子 10
セイは目を開けた。
たまたま村を訪れたミルディンに頼み込んでオグマ城にやってきたとき。セイが身に着けていたサイズの合わない不格好なチュニックは、老祭司が自分の服を慣れない手つきで仕立て直してくれたものだった。
――セイはいい子だね
チェンジリングと呼ばれて忌み嫌われた自分に、愛情を注いでくれたただひとりの人。
育ててくれた老祭司がいないいま、あの村を懐かしいと思うことはない。
チェンジリングという呪言に苦しむ人間を、これ以上増やしてたまるものか。
◆ ◆ ◆
昔を追想するミルディンに、焦れたクールが低く唸る。
「俺のことはいいよ。それより」
一度言葉を切って、クールは力を込めて尋ねた。
「セイは……、チェンジリング…魔物の子なんかじゃ、ないよな?」
ミルディンは深く頷いた。
「無論、チェンジリングなどではない。本当に邪神の手による『妖精の取替子』であったら、四大精霊の王との契約を引き継げるはずがなかろう」
老ドルイドが断言すると、クールだけでなくジェインとロイドもほっと安堵の息をもらす。
三人の目を順に見やりながら、ミルディンは胸の中で呟く。セイが魔物の子であるはずがない。たとえ、あの髪と瞳の色という覆しようのない事実があるとしても。
チェンジリングという言葉は、誰にとってもおぞましく重い響きを持っている。
ましてや、実際にチェンジリングに遭遇した者には
「チェンジリング、か……」
やけに重く悲し気な響きに、オグマの騎士たちとドルイドはふっと息を詰める。
「ミルディン…?」
ミルディンの脳裏にふたつの影がよぎって消えた。
英雄と呼ばれた騎士ファリースと、その対の盾、ドルイドのエルク。
フィオールの末裔たちと戦う彼らの雄姿は、いまもミルディンの記憶の中で色褪せることがない。
「……昔、弟をチェンジリングで失ったドルイドがいた」
「!」
クールとジェインが言葉を失う横で、ロイドが一歩前に出た。
「私の知っている者ですか?」
「知っておる。お前だけでなく、ジェイン、そしてクールもな」
「え?
意表を突かれたクールが戸惑いながら首を傾げる。
「俺も? でも俺、昔のドルイドなんてよく知らないけど…」
現在の騎士団員たちのことはあらかた頭に入っている。クールが知る限り、チェンジリングで家族を失ったドルイドなどはいなかったはずだ。
しかしミルディンはゆっくりと首を振った。
「知っているさ。あれらは『エリン最強の剣と盾』と呼ばれたくらいだ、知らない者のほうが少なかろうて」
クールははっとした。
「まさか…」
エリン最強の剣と盾。そう呼ばれた騎士とドルイドは、過去に一組しかいない。
「エルク…?」
愕然としたジェインの声が、ややかすれる。
「邪神の片腕バルサーザを、豪剣のファリースととも倒した、伝説とも言うべきドルイドの…?」
クールとセイがオグマ城に来る一年前に、フィオールの末裔たちとの戦いでエルクは命を落としている。だからクールはエルクに会ったことがない。
しかし、ファリースとエルクがどのように戦ったのかは知っている。オグマ騎士団の者たちは、せがめばいくらでも聞かせてくれた。ファリースがどんなに勇敢だったか、エルクの魔術がどれほど冴えわたっていたか。
そして最後に、本当に悔しそうに、これ以上ないほど悲しそうに、言い添える。
――エルクは優しすぎたんだよ。戦いのさなかに守ろうとした人間が闇に染まってて、隙を突かれたんだそうだ。でなきゃ、あの蒼楯のエルクが…
「エルクの、弟が…」
自分の声がいやに遠く聞こえる。
唐突に、クールの瞼の裏にあの暁の光景が去来した。
自分たちを守るために敵の手にかかったファリース。もしあのとき、彼の対のドルイドがいたなら、決してあんな悲劇は起きなかったに違いない。
無力な自分たちが足を引っ張ったせいで、ファリースは実力を発揮することもできずに致命傷を負わされた。
激しい雨の中、捕らわれた自分たちを助けるために駆けつけてくれたファリース。
あのとき、ローブの男に気づいたファリースが驚いたように叫んだ声は雨音に削られて、クールにはよく聞き取れなかった。
――まさか…………っ……!
ふいに、クールの胸の奥で鼓動がどくんと激しくはねた。なんだろう。なにか。
ファリースの対のドルイドの弟は、チェンジリングで失われた。
そのことが、妙に重く胸に突き刺さる。
「……」
緊迫した空気が突如として震えた。空間がゆがみ、熱気が立ち昇る。
驚く一同の前に現れたのは、炎の精霊王ジン。
「ジン!」
声を上げるロイドの隣でジェインが眉根を寄せる。
「なぜここに?」
クールは黙ったままジンを見つめた。初めて見たときからずっと思っている。
やっぱり、ファリースによく似てる。
ジンは四人に順に視線を向けると、ついと彼方を見はるかした。
『セイが出て行ったぞ』
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