第57話 心は今でも未来を示し続ける

 あと一ヶ月で年度が変わる。二〇二〇年度は千紗ちさにとって社会人三年目となり、一美ひとみはようやく新卒一年目を終える。

 彼女らにとってこの移り変わりは希望であって欲しいと願うが、俺は車椅子での生活を余儀無くされていた。

 脚の感覚を失ったわけではないが、自力で歩こうにも力が抜けて膝から崩れてしまう。松葉杖にも挑戦したところ、転んでから立ち上がる事に困難を極める為、断念する他なかった。

 放射線治療は割と早期に終了し、今ではリハビリと検査の為に入院を継続している。腕の筋肉は多少使うものの、ベッドから動く事が極端に減ったので、筋肉の減少は止まる事がない。なるべくリハビリに励んではいるが、脚が回復する兆しは一向に見えてこなかった。

 


「よう錬次れんじ! 見舞いに来たぞー!」

 

「久しぶりだな、遼一りょういち兄さん」

 

「結構元気そうじゃないか。

 これも千紗ちゃんのお陰かー?」

 

「この姿を見てそう言ったのは、あんたが初めてだよ」

 


 ガンの再発が確認されて数日後に一度来たが、この一ヶ月半の間に兄貴が顔を見せたのはそれっきり。一年近く毎日のように顔を合わせていたから、ずいぶん懐かしく思えた。

 


「確かに体はしんどそうだが、目が全然死んでないからな。心が生きてりゃ元気なもんだろ!」

 

「一理あるかもな。俺の心が死ぬとすれば、もう一度死んで生まれ変わった時だろう。記憶を持ったまま別の人生を歩むなんて、もう懲りごりだよ」

 

「わっかんねぇぞー?

 また錬次がどっかからお前を呼び寄せるかも」

 

「怖いこと言うなよ。

 どんだけ恨み買ってんだ俺は」

 

「冗談だよ。腫瘍は一旦平気なんだろ?」

 

「あぁ、そっちは問題無い。

 圧迫されてた神経が損傷して、脚が戻ってないみたいだけどな」

 


 医者が言うには、その神経なら治る見込みがあるそうだ。

 そう考えると決して絶望ばかりではなく、前向きであり続ける勇気が持てる。

 兄貴の言う通り、心までは死んじゃいない。

 


「そうか。でも今までお前が乗り越えてきた苦難はこんなもんじゃないだろうし、今回は支えてくれる人間が何人もいる。必ずまた元気になる日が来るさ!」

 

「兄さんに言われるまでもないよ。

 俺はまだ終われない」

 

「だな! 気が向いたらまた来るわ!」

 

「忙しいんだからもう来なくていいぞー」

 


 笑いながら手を振る兄貴を見送り、天井を見上げていた。

 先日千智ちさとから届いたメッセージによると、新店舗の立ち上げを二回成功させた実績を見込まれ、立て直しを考えている別店舗への異動の話が来たという。その際店長代行者に昇格する事も決定しており、いよいよ自分の手腕が発揮される時だと浮かれた内容だった。

 順調に同じ未来を進んでいる。一美との交際も問題無いそうだし、家は兄さんが守ってくれているんだ。何も心配せず、ただ愛する人の為に頑張ってくれよ過去の俺。

 今回は病床の中で迎えた転生四周年。これまでを考えると、年末年始から前後一ヶ月以内に錬次と会う傾向にあったが、もうしばらく夢の中にも出てきていない。まだ奴の精神が生きていてくれれば良いのだが、確認する方法も分からないまま。俺は道を踏み外したりしていないよな。

 


「錬次くんすごいよ! 

 今掴まらないで歩けてた!」

 

「はは、なんか赤ん坊に戻ったみたいだな」

 


 リハビリ生活を続けながら、もう梅雨が明けた。

 千紗は仕事に忙しくしながらも毎日欠かさず会いに来てくれて、せめて進歩している姿を見せたいと思い、目の前で歩行トレーニングを行っている。

 最近ではだいぶ感覚も戻り始め、松葉杖をつけば自力で歩けるようにもなっていた。

 彼女を安心させたい一心で積み重ねれば、上達も早くなるらしい。本当に単純な男だよ俺は。

 


「ねぇ錬次くん。

 明後日のお休み久しぶりにデートしようよ」

 

「お、いいね。どこか行きたい所あるの?」

 

「うちらの思い出の場所。

 きっとやる気もみなぎってくるよ!」

 


 思い出の場所……。いくつか思い当たるが、彼女が指しているのは恐らく大杉店だろう。一美や篠崎店長は在籍しているが、他にも誰か顔馴染みは残っているのだろうか。嬉しさもあるが、今の俺を見てガッカリする人もいるかも知れない。

 そんな不安を拭えないまま、デート当日がやってくる。

 


「んー! 

 梅雨が終わってから良い天気が続くねー!」

 

「やばい。冷房に慣れ過ぎたせいか、外の空気が重たい」

 

「それは大変だね! 

 いっぱいお出掛けして慣らさなくちゃ」

 


 七月間近とあって、外はすっかり夏の景色。風に揺れる木々の香りや、モワッとした暑苦しい空気は、色が無くても肌で感じられる。出歩くだけで体力を消耗するレベルだが、安全を考慮して千紗が車椅子を押してくれていた。

 


「疲れてきたらすぐ言って。

 杖でも歩けるからさ」

 

「全然平気だよー。押すのも結構楽しいし!」

 


 笑顔でそう言う彼女は、本当に楽しそうにしている。決して楽ではないはずだが、この献身的な姿に何度だって奮い立たされた。不安げな顔をしていては申し訳が立たない。

 


「そりゃよかった。

 きっと将来ベビーカーを扱う時の予行練習になるよ」

 

「じゃああとで抱っこの練習もしとく?」

 

「はい⁉︎ 

 俺が千紗ちゃんに抱えられるの⁉︎」

 

「なんならお昼寝もさせてあげまちゅよー」

 

「それは……魅力的かも」

 

「ふふ、錬次くん鼻の下伸びてるよ」

 


 慌てて鼻と口を手で隠した。いい歳こいて外ですけべ面を晒すとは、なんとも情けない。だが千紗がここまで上機嫌になるのも久しぶりだし、見ているだけで表情筋に変な力が入ってしまう。

 電車に乗っても会話は止まらず、いつの間にか懐かしの駅に到着していた。モノクロになってもそこまで違いを感じないのだから、不思議なものだ。

 


「あー、あのカフェまだ残ってるね! 

 あとで来ようよ!」

 


 彼女が子どもみたいに指差す先は、約三年前に千智と一美が結ばれた日、その様子なんかを語り合った喫茶店。外観に大きな変化は無いらしく、遠くからでもすぐに判別出来る。

 


「そうだね。俺も久しぶりにあそこのカフェオレが飲みたい」

 

「お砂糖たっぷり入れて?」

 

「だって甘い方が美味しいじゃん!」

 

「錬次くんのそういうところ、ホントに好き。

 大人っぽいのにちゃんと子どもらしさも残してて」

 

「あんまりからかうと胸揉むぞ!」

 

「錬次くんならお好きにどうぞー。

 でもそれ子どもっぽさより、おじさんの思考だけどね」

 


 座りながら伸ばした手を、ゆっくりと引っ込めた。

 

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