院長夫人の役目

 そうそう食器も買い足してる。つうか、康太は離婚の時にすべて食器を置いてきてるのよ。一人暮らしになってそろえてるけど、必要最小限で、主力は恵梨香の持ってきた食器。これもあんまり良いのじゃないのが多くて、


「恵梨香の好きな食器をそろえたら良いよ。今のはたいしたものないし」


 これも基本は食洗器対応のものにしてるけど、あれこれ買わせてもらった。やっぱり夫婦茶碗とか使ってみたいじゃない。この歳でも恵梨香はそうなの。食器にも康太の好みはあるのはあって、とにかく酒器は豪華、つうかバカラ。


 もっともあるのは、ワインを飲むときに使うゴブレットと、ジンを飲むときのオールド・ファッション・グラス、日本酒を飲むときのショット・グラスの三個だけ。そうなのよ、康太は家ではビールを飲まないんだ。洋食にはワインだし、和食には日本酒、中華には紹興酒で飲み分けてるんだよ。


「康太、相談があるのだけど」

「なんだい」

「もうちょっとマシなものにしましょうよ」


 恵梨香だって飲むのだけど、あんなものよく見つけて来たと思うほどの安酒。ワインも日本酒も紙パックの一番安いやつだし、紹興酒も似たようなもの。康太の稼ぎだよ。恵梨香の稼ぎだってもっとマシなお酒飲んでたよ。


「そんなに変わらないと思うけど、恵梨香の好みで買ってくれる」


 そしたら康太は感極まったように、


「まるで店で飲むぐらい美味しい!」


 そうじゃなくて、今まで飲んでたのが不味すぎただけ。あんなものよく飲んでたものだ。だって料理酒より安いんだもの。


「康太、電子レンジ買い変えても良い?」

「もちろん」


 これもビックリしたけど、キッチンに電子レンジすらなかったんだ。だから恵梨香のマンションから持ち込んだけど、その代わりにあったのが、でっかいオーブン・トースター。とにかく大きくて、焼き皿が二枚入るぐらい。あそこまでになるとトースターじゃなくて、オーブン・レンジだよ。そのせいかポップアップ・トースターも買ってたものね。


 康太はそれでグラタン焼いたり、ロースト・ビーフ焼いたりしてたけど、恵梨香は前からスチーム付きのオーブンレンジが欲しかったから買い換えた。鍋もルクルーゼでそろえさせてもらった。そのぶん張り切って作ってるつもり。


 他にも実は欲しいものがあるんだよ。これは恵梨香の昔からの夢みたいなものだけど、ワインセラーが欲しかったんだ。でもあまりにも贅沢じゃない。置くところにも困るのもあったけど、子どもがいないのなら今の3LDKなら置けるはず。


「なるほど! どうせだったら」


 康太が言うには、康太はどちらかと言うとワイン好き、恵梨香はどちらかと言うと日本酒好き。


「どっちも入るのが店屋さんにあるじゃないか」


 どひゃって感じで康太が提案したのが、上四段が十本ずつワインが並べられ、一番下に一升瓶がゴッソリ並べられるショーケース。恵梨香のテンションは上がりっぱなしになっちゃった。今は頑張って棚を埋める努力をしてる。



 康太が恵梨香を愛してくれて、そりゃもう大事にしてくれてるのは日々痛感してる。でもどうしたって引け目がある。実家だって農家だし、短大卒だし、バツイチ。さらに若くもない。


 さらに言えばダイエットとトレーニングでかなりマシになったとはいえ、元がビヤ樽狸なのは変わりようがない。そう、どこをどう見ても医者の嫁に相応しそうなお嬢様育ちには見えないってこと。


 とりあえず親戚付き合いは叔母さんところをクリアしてOK状態。問題は康太のクリニック。顔を出す必要もないと言えばそれまでだけど、何かあった時に職員が恵梨香の顔も知らないと拙いのじゃないかと康太に言われたのよね。康太のクリニックは夏に納涼会、年末に忘年会をするのが恒例だけど、顔を出してくれないかって。


 忘年会に行ったのだけど、会場は東天閣。そう異人館風の中華のお店。さすがに緊張したよ。全部で二十人近くいるけど、全部女性ばっかり。これも行ってみて気が付いたのだけど、クリニックで男は康太だけなのよね。


 康太の隣に座ったけど、みんなチラチラ見てた。これは恵梨香でもそうすると思うけど、やっぱり釣り合い悪いよね。康太が再婚していることは知ってるはずだけど、連れてこられたのが恵梨香じゃガッカリしてるはず。


 康太は気にする風もなく恵梨香を紹介してくれて、続いて恵梨香も挨拶することになったんだ。


「このたび御縁があって、神保先生の妻になった浜崎恵梨香と申します。これからは宜しくお願いします」


 これぐらいの無難な挨拶をして会食開始。康太はあれこれと気を遣ってくれるけど、どうにも居づらい感じ。それにしても静かな忘年会だな。クリニックに勤める人ってこんな感じなのかと思っていたぐらい。


 ここは奥様だけど、新入りみたいなものだから座持ちをやった方が良いと思ってビールのお酌に回ったんだ。挨拶してビールを注いで、返杯もらう例のやつ。恵梨香は注いでもらえるようにグラスを飲み干したのだけど。


「奥様は飲めるのですか」

「少しぐらいは」

「先生の相手が出来るぐらい?」

「えぇ、まあ、それなりに」


 そこから座が急に和やかになり、


「受付の田中です。奥様、お注ぎします」

「看護師の吉岡です。宜しくお願いします」


 聞いてみると元嫁はお酒があんまり飲めなかったんだって。それだけでなく、ワッと騒ぐのが好きじゃなかったみたいで、座が乱れるのを嫌って露骨に顔をしかめてたらしいのよ。元嫁は毎回出席していた訳じゃないけど、出席したらみんな気を遣って大変だったんだって。


 恵梨香は後妻になるけど、医者の妻だから似たようなものじゃないかって警戒してたで良さそう。恵梨香は静かに飲むのも嫌いじゃないけど、宴会はワッと騒ぎたい方かな。だってお通夜みたいな宴会なんてつまらないし。そしたら、


「管理栄養士の隅田です。奥様は紹興酒とか飲まれますか?」


 ここは奥様の力で、


「康太、紹興酒の十年物頼んでもイイ」

「どうせやったら、二十年物を飲もうよ」


 そしたら、


「やったぁ」

「話がわかる」


 こんな感じになって盛り上がり、ワインもシャンパンもバンバン注文しちゃった。どうも、康太の奥様だろうから、やっぱりどこかのお嬢様だろうと考えて、みんな緊張してたみたい。それが美人じゃないのはともかく、いわゆる庶民の娘と聞いて安心したみたい。庶民と言うか、ぶっちゃけ農家の娘だけどね。帰りに、


「ちょっとやり過ぎちゃったかな」

「顔合わせが成功したから安いもんだよ」


 康太に聞いたのだけど、やっぱり中は大変みたい。どうしたって数集まれば変なのも混じるし、女同士だからと言いたくないけど、内部でもめ事も定期的に起こるらしい。それは恵梨香の会社でも起こるけど、人事異動でかき混ぜるのが出来ないから、もめだしたら行くとこまで行っちゃう事が多いみたい。


 康太は医者だし、院長だから、とにかく安易に発言できないぐらいで良さそう。下手に誰かを贔屓にでもしようものなら、院長のお墨付みたいになって火に油を注ぐ結果になるそう。何度も揉めた末に、


「今のメンバーは、わりと落ち着いてるよ。これだって、いつまで続くかわからないけど」

「恵梨香が入った方が良いのかな」

「やめた方が良いと思う」


 小さなクリニックでも医療機関となると専門職の塊なのよね。簡単には看護師、栄養士、保育士がいて、さらに受付の事務担当がいる。揉め事はしばしば職種間抗争になるみたいで、これこそ無資格の恵梨香が噛むと余計に揉める可能性があるんだって。


「もし何かやりたいのなら、折々ぐらいに差し入れもって行くぐらいで十分だよ。そううだな、理解のある出来た奥様ぐらいで」


 康太の言いたいのは、院内の人間関係のバランスはちょっとしたことで崩れるから、恵梨香はそれに無暗に関わらないのが吉ぐらいの考え方。


「奥様の意向も大きいからね」


 これもふと思った。元嫁は口を出したことがあるかもって。たいした口は出してないかもしれないけど、宴会で元嫁が不興を感じ、口を挟んだ人が辞めたりすれば尾鰭が付くぐらい。だから、あれだけ最初は警戒されたのかも。


 結婚して初めて医者と言うか、院長の妻って重いと感じたよ。それだけの地位と発言力があるって思われてるんだ。今日だって、誰かが恵梨香に喧嘩を売るような事態になってたりしたら、そのまま辞職騒動まで発展した可能性があったかもしれないもの。


「その通り。だから誰もが恵梨香の機嫌を損ねないようにする。恵梨香の役割は誰にも分け隔てなく愛想よくすること。今日の恵梨香は満点だったよ」

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