蓮

三枝 優

描写

 私は、父が田舎に建てた家の庭にやってきた。


 ここは日本という国の庭を参考に作ったということで、池がありその上を橋がかかっている。

 その池の畔に父はいた。

 大きなキャンバスの前で、絵を描いている。


 私の父は画家。

 いや・・・画家だったというべきだろうか。


 視力がどんどん落ちて、もはやほとんど見えていないのだろう。

 絵具を手探りで探す手元が怪しい。


 父が描いている、キャンバスの上にはもはや形と言うものはほとんどない。

 あるのは色の奔流のみ。

 水の色と緑。


「もうやめにしませんか? もしくは目の手術を受けてください」


 父は、かつては有名な画家であった。

 だが、世間の評判では時代に取り残された画家。

 しかも、病気のため視力をどんどん失っている。

 ほぼ失明と同じ状況だ。

 手術すれば回復する可能性もあると言うが・・・

 手術が失敗すれば、失明する可能性もある。

 だから、父は手術を拒んできた。


 独り、この田舎に引きこもり、庭の絵をかくばかりである。


 父が、キャンバスに描いている物。

 もはや、形もおぼろげ。水色と緑の奔流。


 やがて気づいた。父は見たままを描いているのだ。

 見たままを描写した絵。


 そこには、光と水と緑。輪郭は必要ないのだ・・・


「ミシェル・・」

「はい」

「戦争が終わったら・・・手術を受けようかと思う」

「はい・・・」


 父は。やはりすごい画家だと思う。

 せめて息子の私が、そう思わないといけないと思う。



----


「今日も、あの子来てるのね」


 上野にある美術館。

 ここ最近、毎日のように少年がある絵の前に立っている。


 巨大な絵。


 小学生か中学生くらいの少年は、その前に毎日やってくるのだ。


 学芸員の彼女は、その少年の目に光るものを見た。


 涙。


 画家の絵は、数十年後に日本の少年の心を感動させた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る