第13話 嘘吐きの鏡

「実は外の星のものなんだ」

 ごく自然に紡がれた言葉が、すぐには彼女の内側へと落ちなかった。外の星という響きが、脳内で言語として浮かび上がらなかった。それはこの星の外に存在するという、他の星のことなのか?

「まさか」

「本当。僕が留学させられたのは外の星さ。ニーミナが急に注目されて、ディルさんたちも不思議に思っていたでしょう? これがその理由。外の星の人が、僕らに接触してきたんだ」

 彼女は絶句した。そんな想像などしたことがなかった。ぐらぐらと頭を揺さぶられたような心地になる。この星の外にも人間の住むことができる場所がある。そう書物に書いてあっても、まるでお伽噺を聞いているような気分でいた。

 動揺を逃がす先がなくて、彼女はテントの天井を見上げる。

 この向こう側に広がる夜空の、さらに先にある世界。かつて人間はそんな遙か彼方に行くための手段も持っていた。宇宙船と呼ばれていた遺跡だ。しかしそれも今や失われ、誰もがこの星を飛び出す方法を失ってしまった。

 だがよく考えてみれば、逆は成り立たない。宇宙にいる人々は、まだこの星に降り立つ術を失っていなかったのか。

「実はかつての技術を復活させようと足掻いている研究者がいてね。僕らに接触してきたのは、そういう人たちだった。彼らは第一期の時代の――禁忌の力やその時代のことも知りたがってたんだ。だからニーミナの人間を連れて行った。僕らはこの星で一番、その力に近いから」

 目を見開いた彼女は、彼の顔をまじまじと見下ろした。そういうことだったのか。

 あの医術書をざっと眺めただけでも、見たことのない図が載っていた。一体いつ頃書かれた本なのかと訝しんでいたが、そもそもこの星のものではなかったのか。

 外の星からもたらされた医術書。そう考えると、この本の価値がさらに高まる。シリンタレアのものと照らし合わせれば、新たな発見が必ずあるはずだ。失われていた技術がまた一つ蘇るかもしれない。

 ようやく疑問点の幾つかが解決された。この余裕綽々とした少年は、星の外で過ごした経験まであるのか。そしてそのことを、おそらく大国側は知っている。

「あなたが星を出たことは、ガウーダさんは知っているの?」

「当然。ジブルやナイダートの使者とか、上の方の人は知ってると思うよ。僕と姉さんはそういう意味でも特別なんだ」

 にこにこと微笑む彼から、また新たな情報が得られた。叔母だけでなく、彼には姉もいたのか? それにしては今まで話に出てこなかったのが不思議だが。

 彼が子を望まれている立場というなら、きっと姉もそうだろう。――そこまで考えたところで、ディルアローハは一つの可能性にいきつく。相槌を打った彼女は、革袋の上に手を乗せた。

「そうなの。あなたとお姉さんが外の星に」

 繰り返したところで、彼は自分の失言に気づいたようだった。苦い物でも噛み潰すがごとく眉をひそめて、「ああ」と小さく息を吐く。

「うっかりやっちゃった」

「何がです?」

「……わかってるくせに言わせるなんて、ディルさんは意地悪だなぁ。姉さんのことさ。喋らないつもりだったのに」

 わざとらしく唇をすぼめた彼は、その場でまた膝を抱えた。外套から飛び出した細い足が、交互にテントの床を叩く。

「あなた、もしかしてお姉さんのために――」

「それだけじゃないよ? でもそうだね、その問題は大きいね。姉さんに、二人目の子どもが生まれるんだ。無事に生まれてくるのかも心配だけど、生まれたとしても『特別な子』が二人になるだけ。まだ足りない。でもこれ以上姉さんに負担をかけたくないんだ」

 膝の上に顎を乗せて、彼はそう付言する。彼女は口を閉ざした。

 出産で命を落とす女性は多い。シリンタレアは比較的安全なお産を提供できる場所だが、それでも亡くなってしまう者はいる。

 優秀な夫婦の子を望みたいが、母親を危険には晒したくないというのが、シリンタレアでもよく悩ましい問題とされている。

「それであなたはシリンタレアにこだわっているんですね」

 納得した彼女は頬を緩めた。どうしてだか好かれていると思うよりも、理由があった方が安心できるのは何故だろう。

 彼の姉のこととなれば、大事なのは「今」であって「将来」ではない。ディルアローハに固執するわけだ。すると振り向いた彼は心外だと言わんばかりに眉間に皺を寄せた。

「それって僕がディルさんを利用しようとしてるみたいに聞こえるんだけど」

「違うんですか?」

 頭を傾けた彼女は、即座に聞き返した。ますます拗ねた顔になった彼は、膝から顎を離して大袈裟に頬を膨らませる。

「ちょっと、ディルさん率直すぎる。シリンタレアと良好な関係が築けたらいいなっていうのは、下心と言えばそうかもしれないよ? でもそれだけで婚約者を選んだりしない。だって僕、その気になれば選びたい放題なんだよ? 特にナイダートは、自国の人間を僕の相手に据えたがってる。ことあるごとに女の子と会わせようとするくらいさ」

 今日の彼はやけに雄弁だった。ニーミナを離れたせいなのか。それとも彼を追い立てる何かが生じたのか。

 何にせよありがたいことではあるのだが、情報量に頭の処理が追いついていない。特に今日は色々なことが次々に起こったため、どこかで何かを見落としているような気がしてならなかった。

 そう、たとえば今の彼の発言も、よく考えると奇妙な点がある。何故ナイダートが熱心になるのかが不明だ。ニーミナを取り込みたいという思惑があるのは予想できるが、それなら別のやり方を選んだ方が効果的だろう。

「あ、聞かれる前に答えておくね。実は姉さんのお相手というのがジブル出身の人なんだよ。だからガウーダさんも僕には比較的寛容だし、余裕があるんだ」

 疑問点はすぐに解決した。喫驚した彼女は、彼の顔を凝視した。まさかそんなところでも二大国は競っているのか?

「だってニーミナは他の星への玄関だからさ。大国だって、外の星は怖いだろうからね。僕らよりは技術力が上なんだし」

 そう説明され、彼女の肌は粟立った。シリンタレアが大国の意向を無視できないのと同じだ。圧倒的な差があるというのは、恐怖の対象だ。

 道理で大国の人間が代わる代わるニーミナを訪れるわけだ。彼らはニーミナを通して外の星をうかがっているのだろう。今まで大国は双方だけを見ていればよかったのだが、そうもいかなくなってしまった。

 そうやって考えていくと、クロミオがこの医術書を自分に託してくれた重みが、にわかに染みてきた。彼の贈り物は、希少金属以上の価値がある。

「だからその本、大事にしてよ? その価値がわかるのは、きっとシリンタレアの人だけだ。ちゃんと活かしてよ? そしてシリンタレアを生かして」

 彼の悪戯っぽい言葉の裏側に滲む思いに、目頭が熱くなった。安全に子どもを産むため。自国のため。それだけが理由で、これほど貴重な物を預けることはないだろう。彼女への好意はまやかしだったとしても、厚意と信頼は本物だ。

「わかりました」

 少なくとも、彼が本気でシリンタレアの知識と技術を残したいと思ってくれていることは信じられる。その点は、彼女も最優先にすべき事項だと思っている。

 外の星の件が真実であるなら、大国の思惑ばかりを気にしていても駄目だ。が、逆に言えば、ニーミナとの繋がりを維持することは、一つの切り札ともなり得る。

 それこそ打算的ではあるし、クロミオに言わせれば「ずるい」方法になりそうだが。

「本当に? ディルさん疑り深いからなぁ」

「あなたのことは警戒するようにと、たくさんの方に言われましたからね」

 不満そうな彼へと、彼女は相好を崩した。すると彼は心外だと言いたげに眉根を寄せながらも、理解はしているとばかりに相槌を打つ。

「それはそうだろうね」

「ええ。あなたは嘘ばかり吐くと」

「嘘は吐かないよ? 本当のことを言わない大人たちには、同じように返すだけさ。僕って真摯じゃない?」

「なるほど、鏡のようですね。では私が率直だったから、率直に返してくれるんですか?」

「うーん、それはちょっと違うけど。まあディルさんは僕に媚びてこないしね。何より、ディルさんと話をするのは楽しいからさ。つい喋りすぎるね」

 口の端を上げた彼は、唐突に腕を絡ませてきた。内心を見透かされたのかと、彼女はひやりとする。

 そのまま呆気にとられていると、今度は胴に腕を回された。身じろぎをしようにも存外に彼の力は強く、引き剥がすこともあたわない。足に力が入らないせいもあるだろう。

 戸惑っているうちに、小さな頭が耳元へと唇を寄せてきた。

「誰かこっちに来る。ディルさん、適当に話をあわせて」

 耳朶をかすめるような動きで、抑えた声が鼓膜を揺らした。彼女は息を呑む。人払いはしているという話だったが、クロミオ自身も疑われているというのは本当なのか。

 慌てて耳を澄ませても、それらしい気配は感じられなかった。ただ、獣の鳴く声は近づいている気がする。

「で、ディルさん。本題なんだけど」

「……本題?」

「そう。何あの黒ずくめの人たち。何でディルさんが狙われてるの? 心臓止まるかと思ったんだから」

 突として、クロミオの声音が変わった。どこか甘えるような響きのある、拗ねた声が空気を揺らす。

 てっきり全然別の話題を口にするのかと思えば、ナイダートの件に切り込んでくるとは。彼女は戸惑いつつも視線を彷徨わせた。

「知らないですよ。こっちが聞きたいくらいです」

 答えながら、彼女は神経を張り詰めさせる。いまだ靴音は聞こえないが、それでもクロミオは誰かが近づいてきていると確信しているようだった。それなら念のため、その前提で話をすべきだろう。

「本当に? あのサグなんとかって人が狙われてるとかじゃなくて?」

「それは違うと思います。彼に会う前からつけられていたみたいなので。でも心当たりはありませんよ。誰かと勘違いされたとか、そういうのじゃないでしょうか」

 当たり障りのない会話を心がけながらも、嘘にならない範囲で答える。すると彼は「ふぅん」と気のない声を漏らした。胴に回された腕にさらに力が入る。

「まあ、でもディルさんが無事でよかった。ボッディさんにお願いしておいて正解だったよ。彼、結構使えるでしょう? 汚い仕事も受けてくれる人なんだ」

 そこでボッディの名を出されて、彼女ははっとした。あれからどうなったのか。ボッディの具合は大丈夫なのか?

「そんな言い方よくないです。彼が野犬を追い払ってくれなかったらどうなっていたことか。大体、ボッディさんは大丈夫なんですか?」

「知らない。ボッディさんは丈夫だから、たぶん何とかなるよ」

 気にかかっていた点だというのに、クロミオの返答はぞんざいだった。彼女はため息を堪える。

 何者かを警戒してのやりとりだとしても、ここで突然不親切になるのも奇妙だ。

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