第71話 とうとう手紙を出す王子

 戦争から三日が経った。あれから毎日朝から晩まで要人達だけで今後の事を決める為の会議がグラウカで開かれている。


 もちろんそこにギルバートも参加している訳だが、決める事が多すぎて最早皆、ぐったりだ。何せ二つの国の王が変わってしまったのだ。当たり前である。


 ギルバートが部屋に戻ると、そこには今日のレモネードを持ったサイラスが神妙な顔をして立っていた。


「どうした?」

「あ、いえ……王子、勝手な事をして……申し訳ありませんでした」


 そう言って頭を下げるサイラスを見て、ギルバートは安堵の息をつく。


「ああ。【本当に心配したんだぞ! 結果的に上手くいったから良かったものの、タコ殴りにされているお前を見た時、僕の心臓は止まるかと思ったじゃないか! とりあえずお前は怪我が治るまでは】休め。そして【またいつもの元気なサイラスに】早く戻ってくれ」

「! はい!」


 ギルバートの言葉にサイラスは顔を輝かせてレモネードを置くと、部屋を出ようとしてふと足を止めた。


「そう言えば王子、何故キースさんを許したんです?」

「何故? 当然だろう。【お前達、僕の事を何か誤解していないか? 僕の血はちゃんと赤いぞ?】梟【だか何だか知らんが、自国を守りたかっただけの者達に一体どんな罰を与えろと言うんだ。しかし思うんだが、あいつらは頭がいいな! 今回の件では本当に世話になって……シャーロットなど僕】に恩を売る【気満々でいるしな……。それにしても】いい機会だ。【ちょっと僕という人間について話し合おうか】」

「! 王子……流石です……」

「? ああ」


 何故か感動したようにギルバートを見上げてくるサイラスを見て、ギルバートは程よく冷えたレモネードを持って寝室に向かった。


 戦争は終わった。シャーリーも取り返せた。これでひと段落である。


 そんな事を考えながらギルバートはレモネードを飲みながらいつもの様にキャンディハートさんのポエムを読みふけっていると、窓の外から何かが部屋の中に飛び込んできて、こつんとギルバートの足に当たった。


 拾ってみると、それはひよこ豆だ。


【こんな時間にイタズラか⁉ 全く、どこのどいつだ!】


 ギルバートはガウンを羽織って窓の外を見て目を丸くした。


「シャーリー!?」

「ギル! 遅くにごめんなさい」

「こんな時間にそんな所で何をしてるんだ! 風邪をひくぞ!」


 夜風になどさらされたら、か弱いシャーリーなどイチコロではないのか? 


 ギルバートは青ざめて窓の手すりから乗り出したのだが、その時履いていたスリッパが滑ってしまって気付けば上半身は窓枠を遥かに超えてしまっていた。


【こ、これは落ちるな⁉】


 咄嗟にそう思ったギルバートは体を猫のように丸くすると、勢いがついた体はそのままクルリと回転して落下していく。


 時間にすれば恐らく数秒だったのだろうが、ギルバートにとっては永遠かと思う程長かった。


 ハッと気づいた時にはギルバートは驚くシャーリーの目の前に立って、冷えたシャーリーの肩に自分のガウンをかけてやっていた。


「あ、ありがとう……え……だ、大丈夫……なの? ギル……」


 そう言ってシャーリーはギルバートが今しがた落ちて来たテラスを見てゴクリと息を飲んだ。


 シャーリーは驚きのあまり目を真ん丸にしているが、ギルバートは今日初めて見るシャーリーに今感じた恐怖などすっかり忘れて小さく笑う。


「ああ、問題ない。シャーリーこそ風邪を引く。一体どうしたんだ? こんな時間に」

「あ、その。セシル姉さまとキース様に全て聞きました。梟の事も……キース様にあなたが言った事も……」

「僕が言った事?」

「はい。命を粗末にする奴は嫌いだって」

「ああ、あれか……」


 そう言えばそんな事を言ったな。そこまで考えてふと思い出した。


 そう言えばシャーリーもまたキースと同じように自分が処刑されるつもりで居たのだと言う事を。


 青ざめたギルバートがシャーリーの次の言葉を待っていると、案の定シャーリーはギルバートが想像していた通りの事を話し出す。


「私も同じです。自分が処刑されれば全て丸く収まるだろうなんて考えていました……ギルに嫌われてるのかなって思ったら、何だか居ても経っても居られなくなってしまって……」

「!」


 やっぱりな! そうとったよな⁉ 違う、それは大きな誤解である。


「嫌いとは言ったが、今は生きたいと思っているのなら問題ない。それにそう思い至るまでに色んな葛藤もあっただろうし、事情があった事も分かっている。僕が言いたかったのは、頼れる人が居るのに頼らず、自分を孤独だと思い込んで結論に至るなと言いたかったんだ。そういう思考に思い至った時は必ず少し落ち着いて周りを見渡してみてほしかっただけだ。シャーリーは僕が助けに行った時、僕に抱き着いてきた。その時点で君には死ぬ覚悟なんて何も出来ていなかったという事だ。生きる事にしがみつこうとした。そうだろう?」


 あの時の感触を思い出しつつギルバートが言うと、シャーリーは涙を浮かべてコクリと頷いた。


「助けに来たって言われて……ホッとしたの。私はずっと誰にも秘密の存在だった。でも、何も教えてないのにあなただけは私に気付いてシャーリーとして、一人の人間として扱って助けに来てくれた。私、多分本当はずっと寂しかったんだと思う……自分でもそれに気付いてなかったけど、キース様にあなたが言った言葉を聞いて、凄く怖くなった。嫌われていたら……どうしようって。ごめんなさい、とても身勝手な事を言ってるわ、私」


 そう言って視線を伏せたシャーリーを、思わずギルバートは抱きしめそうになったが、すんでの所で思いとどまる。


「身勝手などではないし、僕はあの教会で話をしていた時からずっと、僕にとってはシャーリーはただ一人、君しか居ない。これからもずっと、それは変わらない」

「ギル……ありがとう。本当に……ありがとう……」


 そう言って涙を流すシャーリーの肩に手をそっと置き、慰めるように頭を撫でながらふと思った。


【あれ? これはもしかしてとてもいい雰囲気なのでは?】


 そこまで考えてギルバートはハッとした。あれほど毎度毎度キャンディハートさんに付け上がるな! と言われているが、これは誰がどう見てもそういう事だろう。


【神よ! もしかして僕にチャンスを与えてくれたのですか!? シャーリーは僕に嫌われたと思って落ち込んでこんな夜更けに部屋を抜け出してきた……という事は!? もはやこれはシャーリーからの告白なのでは!?】


 ギルバートがそこまで思い至って一歩、シャーリーに近寄ろうとしたその時、どこからともなく聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「シャーロット! 今すぐその狼から離れなさい! 全く! こんな夜更けにどこに行ったのかと思ったら、何やってんの!」

「そうだよ、姫さんそういう危機管理の無さが男を付け上がらせるんだよ。今までにも散々言ったでしょ?」

「……」


 突然の怒鳴り声にギルバートが恐る恐る振り返ると、そこにはシャーロットとロタが腰に手を当ててギルバートを獲物でも狩るかのような顔をして見ている。


【神よぉ! 何故! 何故いつもこんなタイミングで僕に試練を寄越してくるのですか!? もしかして僕の事が嫌いなのですか⁉】


 ギルバートは心の中で叫びながらもシャーリーの背中をそっと押した。


「シャーリー、これだけは覚えていてくれ。僕は君を嫌ってなど居ない。これからも君を嫌うだなんて事はありえない。【むしろ大好きなんだ! だからどうか頼むからそんな顔をしないでくれ!】」


 ギルバートの言葉にシャーリーは顔を上げて泣きそうな嬉しそうな顔をして笑い、小さく頷く。


「……ありがとう、ギル」

「ああ。さあ、もう戻れ。本当に風邪を引くぞ」

「はい」


 そう言ってシャーリーは足を一歩踏み出したのだが、案の定ギルバートの長いガウンに躓いてこけそうになった。


「ひゃぁ!」

「! シャーリー!」


 慌てて腕を差し出したギルバート。その手の平に何かとてつもなく柔らかい物が当たった。白パンなんて目じゃない。これは何だ。


 一瞬本気で分からなくて呆けたまま、どうにかシャーリーの体勢を立て直したギルバートは、何度も何度も謝るシャーリーの頭を撫でて別れたのだが、部屋に戻って何となく手の平を見つめてブワっと汗をかく。


【か・み・よぉぉぉぉぉ! あれは本当に人体の一部なのか⁉ 人間にあんな部分があって許されるのか!? あれは白パンどころではない……生。そう、生パンだ!】


 ギルバートは急いで恐怖心も忘れてトイレに駆け込んでゆっくりと目を閉じて覚悟した。おそらく、今夜はここで一晩を明かす事になるだろう……と。 


 翌朝、憔悴しきったギルバートは誰にも見つからないようにひっそりと部屋に戻ってそのままベッドに倒れ込んだ。


 トイレの中で一晩中妄想にふけっていたが、最後の方はもうギルバートとシャーリーは結婚して子供も居て、何なら孫の話までしていた。


 はっきり言って……幸せだった。 


 シャーリーの何がそんなに好きなのかと聞かれたら、自分でもよく分からない。


 けれど、これから生涯を共にするのなら、シャーリー以外はありえない。


 ギルバートはベッドの中でゆっくりと目を閉じて大きく息を吐く。


『思い立ったが吉日よ。さあ、今すぐ思いの丈を手紙にぶつけて!』


 ふと脳裏に過ったのはキャンディハートさんの記念すべき一巻の一ページ目のポエムだ。


 このポエムを見てギルバートは悪役令嬢シャーロットに手紙を書いた。あの時の手紙は結局出す事は無かったが、そうだ。とりあえず書こう。この思いの丈を思う存分、手紙にぶつけよう。


 ギルバートはベッドから飛び起きて机の引き出しからシャーロットに宛てた手紙と全く同じ便せんを取り出してペンを取り誓った。シャーリーが帰る前に、必ずこの手紙を渡そうと。

 

『急啓、シャーリー・アルバ様、今すぐ僕と結婚してください草々』

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