第26話 幽霊か、人間か

 美術館の彫刻を見るかのようにベンチの回りには人だかりができ、彼方はアーサーを連れて場所移動をした。

 どこへ行っても人、人、人だ。なるべく人の目を当てさせたくなかったが、今日はなかなか難しい。

 おろおろする彼方を見て、アーサーは笑うだけだ。

「さて、園芸サークルへ行きましょうか」

「なんか……出店もそうでしたけど、同じジャンルならばらけさせたらいいのに」

 長い廊下には、カフェが横並びになっている。これでは奥にある店は不利な状況だ。

「デパートなどでレストラン街がありますね。似たようなスタイルといいますか、端と端であれば行き来が面倒になりますから。けれど、このように最初の店で客引きをされていますと、奥の店には入りづらいですね」

 目的の演劇サークルのカフェは奥の奥だ。造花で飾られた看板は控えめで、落ち着いた雰囲気がある。

 店内には数名の店員がいた。トレーに乗せてあるコーヒーは気にしつつも、アーサーを二度見する。

「いますか?」

「いないです」

 アーサーは、暇そうに窓際で談話している店員に声をかけた。

「こちらの演劇サークルに、春野雪音さんという女性はいらっしゃいますか?」

 女性は手櫛で髪を整え、目を泳がせた。

「春野……? 聞いたことないです」

「茶髪でボブヘアーの女性なんですが」

「その人なら見たことあるかも……」

 もう一人の女性が首を傾げる。

 アーサーは辛抱強く待った。

「でも、あ、いや……多分、見たかも」

「演劇サークル内でですか?」

「後ろ姿だけで、土いじってた気がします」

「手作りのハーブティーなどは、普段はどなたがお作りに?」

「そういえば……誰だろ?」

「気づくと冷蔵庫の中に入ってるんだよね」

「参考になりました。ありがとうございます」

 アーサーは優雅にお辞儀をし、行こうと促した。

「演劇サークルの活動場所へ行きたいです」

「何か分かったんですか?」

「春野さんは存在しているだけでも、充分な情報です。幽霊ではハーブティーを入れられませんからね」

 テニスコートの脇を通ると、だんだんハーブの香りが強くなっていく。

 小さなハーブ園では、男性が一人でハーブを収穫していた。

 アーサーたちに気づくと、鼻歌が止まる。

「すみません、お尋ねしたいことがあるのですが、春野雪音さんをご存じありませんか?」

「雪音?」

 呼び捨てだ。名を呼ぶのは近しい間柄の証。

「お知り合いですか?」

「姪っ子だからね。あの子にこんな可愛らしいボーイフレンドがいたなんてねえ」

 男性は、彼方を見て穏やかに口角を上げた。

「違います。ボーイフレンドじゃ……」

「そうです断じて違います。彼方さんと春野さんはご友人です」

「アーサーさん?」

「あなたは叔父に当たる方なのですね。彼方さんは彼女を探しています。演劇サークルの方に聞いても、どなたもご存じないようで困惑しておりました」

「……そうか。ありがとう」

 男性はお礼を言い、軍手を外して立ち上がった。

「おいで。お茶をごちそうしよう」

 ついていった先は、春野と何度も言葉を交わした部室だ。

 男性は冷蔵庫からハーブティーを出し、三人分のお茶を入れる。

「雪音ほどうまくは作れんがね」

「美味しいです」

「それはよかった」

 ハーブ独特の苦みが癖になる。彼方は少しだけ砂糖を足して半分ほど飲んだ。

「雪音はね、残念ながらしばらく学校には来られない。これから手術するんだ」

「手術……?」

「元々身体が弱い子で、再発してしまったんだよ。二年もダブってしまっているが、それでも卒業したいって頑張っているんだ。友達ができたとは聞いていたが、おそらく君たちのことだね。あの子を追いかけてきてくれる子がいたなんて話したら、きっと喜ぶ」

「病気だったんですか?」

 勢い余ってテーブルに手をつくと、黄金色の液体が波を打った。

「小学一年の頃に発覚してね。雪音はほとんど学校に行った経験がないんだ。病院と家の行き来ばかりを繰り返しているから。雪音を知らない人が多くても仕方ない」

「そんな事情があったんですね……」

 慰めの言葉も、きっと良くなるなんていうその場限りの言葉も出てこなかった。

 なんせ、彼方は彼女を知らないのだ。病気一つにしても今聞かされたばかりで、戸惑いが大きい。

 アーサーは隣で助け船を出した。

「彼女に会いたいのですが、どこへ行ったらいいでしょう」

「本当に? 今までそんな風に言ってくれる子はいなかったよ」

 男性は心底嬉しそうに、目尻にしわを作った。

 彼はこの大学の教授だと素性を空かし、切り取ったメモ帳に住所を書いた。

 最後までありがとう、と深くお礼を言い、目にたまる涙が零れそうになる。

 彼方も何に対しての言葉かはっきりしなかったが、ありがとうと口にした。

 紙に書かれた住所を地図アプリに入れ、ふたりはタクシーに乗る。

「出会った頃を思い出します。あのときも、彼方さんは私のために一生懸命でした」

「一年ちょいくらい前なのに、アーサーさんとは毎週会っているから、もっと長く感じます」

「ええ、本当に。……昔からの知り合いだったみたいに」

 急ブレーキがかかった。身体が大きくバウンドする。

 前の背もたれに頭をぶつけそうになる瞬間、アーサーは揺れる彼方の頭に手を差し入れた。

「すまんねえ、急に自転車が飛び出してきたもんで」

 運転手は呑気に言う。

「大丈夫ですか?」

「はい。ありがとうございます」

 アーサーの手は熱く、触れた額も熱が伝わる。

「彼女に会ったら、どうしますか?」

「そういえば、考えていませんでした」

 アーサーは小さく笑った。

「どんなに遠くにいても、あなたが追いかけてきてくれる。こんなに名誉なことはありません。勲章を頂きたいくらいですね」

「そんな大げさな。アーサーさんが遠くに行ってしまっても、僕は追いかけていきますよ」

「本当に? 私が海外に行ったとしても、心配してくれますか?」

 軽口程度の言い方ではなく、一生一代の告白のように言うものだから、彼方は言葉を呑み込んだ。

 考えて考えて、考え抜いて。うんと頭をひねって。

「宇宙人に連れ去られても、追いかけます」

 真剣な眼差しの彼に答えるように、彼方も誓いを立てた。

 思い浮かぶのは結婚式での家族を結ぶ契りで、恥ずかしくなって俯いた。

 並んでいても一際目立つ建物ではないのに、真っ白な外観のせいか、異彩を放っていた。庭の植え込みは青々とし、余計に白を際立たせているせいかもしれない。

『はあい?』

 インターホンを押すと、ほがらかな声が聞こえる。春野の声とも違う、歌うような話し方だ。

「月森彼方といいます。春野雪音さんの、大学の友達で……」

『あの子の? ちょっと待ってね』

 中からぱたぱたと足音が聞こえ、玄関が開いた。

 春野とうり二つと言っても過言ではないほど、よく似た顔が目の前にある。

「こんにちは。まあまあ、あなたもお友達?」

「アーサー・ラナウェーラと申します。春野さんとは初対面ですが、彼方さんの友人関係にあり、よく彼女の話を伺っておりました」

「どうぞどうぞ。さあ、上がって」

 初対面で、素姓の分からない彼方の腕を掴む。

 おろおろする彼方をよそに、アーサーは泣く子も黙りそうな笑みでお邪魔します、と告げた。

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