第24話 呪いを解く者
「彼方さん、よろしけば夕食を一緒にどうですか?」
本日は忙しい日だった。ネットの情報で見たと言う客人が多く、てんやわんやフロア中を動き回っていた。
「行きたいです。ちょっと話があって……」
「ぜひとも」
やはり、アーサーは待っていた。待っていたというより、見守っていた、が正しい。
店を閉め、吉祥寺にある焼き肉屋へ入る。薄暗い明かりと牛の置物に出迎えられ、個室へと案内された。
「食べたいものはありますか?」
「……これ」
「こちらにしましょうか」
アーサーは高いヒレ肉に変えた。
ご飯は、飲み物は、と次々にタッチパネルをタップしていき、テーブルがにぎやかになった。
「まだまだ、遠慮のある間柄なのですね」
「高いお肉が食べたいなんて言えないですよ」
なんせ、お金を払うのはアーサーだ。彼方は一度たりとも出したことがない。
「この一年間で、彼方さんのことは少し分かった気がします。おばあさま思いで、大学では勉学によく励み、紅茶についてもよく学んでいる。そして聞きたいことがあっても、なかなか口に出せない遠慮がちな性格」
「う…………」
「食べながら話しましょうか」
焼き上がったヒレ肉を彼方の皿に乗せ、アーサーはアイスクリームに手を伸ばした。キャラメルとナッツの乗ったバニラ味だ。
「この話をしてしまうと、どこからの情報網だとか咎められそうで」
「情報網を話してしまうのは問題が?」
「多分……いやなんとも言えません。素姓も何もかも分からないですから。ただ、アーサーさんと今までの関係が崩れそうで、それが怖いんです」
「ときには崩すことも必要ですが、あなたへの気持ちは変わることはありませんよ」
アーサーは微笑し、アイスをすくう。
ジンジャーエールを飲んで落ち着かせ、彼方は重い口を開いた。
「アーサー・スタッフォード」
その名を口にすると、アーサーの手が止まる。
「って、アーサーさんのことですか?」
「……なるほど。情報網を聞かれたくないとは、そういうことでしたか。しかし、その名前を知る人物となると限られるはずですが」
「言えません」
「口止めされていますか?」
「違います。僕の意思です。言わない方がいい気がして……アーサーさんがいなくなりそうで、怖いんです」
「いなくなる……ですか」
アーサーは否定の言葉を口にしなかった。
「アーサー・ラナウェーラという名前は、間違いでもないのですよ。私のミドルネームですから」
「ミドルネーム」
「はい。日本の方にはあまりなじみがないかもしれませんね。アーサー・ドヴィエンヌ・ラナウェーラ・スタッフォード。これが私の本名です。ラナウェーラはスリランカの血を引く祖母の名字で、スタッフォードがファーストネームになります」
「日本では、ずっとラナウェーラって名乗ってますよね。スタッフォードを言えない理由があったんですか?」
「私にとってスタッフォードは呪いのようなもの。ですが、関係者にとってはラナウェーラが呪われた名字といったところでしょうか」
重い話だ。けれどアーサーは、祖母の話をするときは頬が緩んだ。
「スリランカの血が問題で、魔女の血を引いていると言われています」
「アーサーさんが? 魔女って、薬作ったりおとぎ話に出てくるような、あの魔女ですか?」
「そうです。私のひいおばあさまが魔女と言われ、いろいろあってスタッフォード家に嫁いできました。祖母が生まれ、そして私もあの家に生まれた。私も魔女の血を引いています」
「前に、魂はスリランカって言ってたのって、こういうことだったんですね……」
紅茶のフェスティバルで出会った男性は、アーサーをスリランカに呼び寄せようと話しかけてきた。ずっと引っかかっていた言葉だ。
「魔女の血を引いてたら、何か問題があるんですか?」
「私にもさっぱりです。ですが、どうしても根絶やしにしたい団体がいるようで、私という存在が気に食わないのでしょう」
「アーサーさんは……どうなっちゃうんです?」
アーサーは一度目を瞑り、ゆっくりと開いた。
「スリランカはとても大好きな国です。ひいおばあさまの生まれた土地でもありますから。ですが他人の言いなりで戻ろうとはしません。これは納得のいく答えではありませんか?」
アーサーを知れば知るほど疑問しか沸かなかった。
ドヴィエンヌという初めて聞いたミドルネームに、アーサーは触れなかった。心の容量がいっぱいいっぱいで、聞くに聞けなかった。
アーサーには気持ちが伝わったようで、珍しく子供のような顔で笑っていた。
帰り際にアーサーは焼き肉弁当を三つ購入して、彼方に渡した。聡子の分も含まれている。
「では、また来週お会いしましょう」
少なくとも、来週はまた会える。
力強く頷くと、アーサーは彼方の髪に触れ、口を開いた。
声にならない声は聞こえず、指の隙間から髪がすり抜けた。
彼が見えなくなると、彼方も踵を返す。
二十一時を過ぎると祖母は寝ているが、聡子がいるため明かりはついていた。
「わっ、良い匂い」
「食べる? 焼き肉弁当だけと」
「食べる食べる」
「ご飯食べたんじゃないの?」
「これ夜食だから」
二つを冷蔵庫にしまい、一つを彼女に渡した。
「んー、すっごい美味しい。肉やわらか」
「高いやつだからね」
聡子は大きな一口をものともせずに頬張る。
「呪いって、どうしたら解けるんだろうね」
「髪切ってあげようか?」
ぽつりと呟いた言葉だが、聡子には届いていたようだ。
「髪切ったって根本的なものは解決しないんだって。僕の話じゃなく、別の人の話だよ」
「本人の気の持ちようとか、お払いにいってみるとか」
「目に見えないものは信じにくいよ」
「占いの店で働いてるんじゃなかったっけ?」
「……だね」
呪いと占い。どちらも目に見えないもので、信じにくいものだ。人の心を操れ、どう違うのかと言われれば、非常に難しい。
「呪いは、人を不幸にするもの。占いは、人を幸せに導くもの……」
「それだって人によるじゃん。占いにどっぷりハマって身を滅ぼす人もいるくらいだし。あとは壷を買わされたり」
独り言だったが、これも聡子は律儀に拾った。
捨てる人間もいれば、拾い上げてくれる人間もいる。後者は当たり前と思ってはいけない。幸せ者の証だ。
「呪いって、自分では解けないものだと思う」
「なんで?」
「今までもがいても解けなかったんでしょ? この先解けると思う? きっとスーパーヒーローみたいな人が現れて、解いてくれるんだよ。だって呪いをかけたのは人なんだから、解くのも人でしょ」
根拠のない話に顔を上げるが、聡子はいたってまじめな顔つきだった。
「アンタにかかった呪いだって、きっと解いてくれる人がいるよ。案外近くにいたりして。私じゃ解けなかったけどね」
聡子は残念そうに言うが、存在そのものに救われているのだ。
「焼き肉弁当代くらいには良い話だった」
「これ彼方が買ったんじゃないでしょ」
「バイトの店長が家族分買ってくれて」
「そういやおばあちゃんが一緒にお茶したって聞いた! 死んだおじいちゃんにそっくりだって! めちゃくちゃかっこいいって言ってた!」
「作られた格好良さっていうより、美術館の彫刻みたいな? すっごく好きな顔。ハンサムだから好きとかじゃなく、好みの顔ってあるじゃん」
「分かる分かる。じっと見ていたい顔のタイプっているからね。今度バイトに行くわ、絶対」
「来なくていいって」
イケメン好きの聡子のことだ。もみくちゃにされるのは目に見えている。
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