第7話 アイスの手ほどき
一つ一つ丁寧な手さばきと良い香りに、仕事の手が止まってしまう。
上品で気品があって、どうしたらこんなに素敵な人間になれるのだろうとしみじみ思う。この前、アーサーさんに住む世界が違うというのはまやかしだと遠回りに言われたが、彼を見ていると一概には言えない気がする。
「今日はよく見つめられる日です」
「すみません、あまりに綺麗だったから」
「そうですか? ありがとうございます。彼方さんも入れてみます?」
カウンターの中に入るのはまだ慣れない。
「彼方さんはお茶と聞いて、何を思い浮かべますか?」
「日本茶です」
「日本茶は果物や野菜といった大まかな種類になりますね。日本茶には、抹茶、ほうじ茶、玄米茶などがあります。そして今挙げたものはすべて緑茶と呼ばれています」
「え? ほうじ茶もですか?」
「液体の色を水色と言います。水色が緑色だから分けているわけではないのです。発酵しているかどうかで分けられていて、日本茶はほぼ不発酵なんです。ほうじ茶もです」
「そうなんですか」
「発酵させないために、熱を加えたりしています。ほうじ茶はその典型ですね。焙煎はして発酵はしていない日本茶が、ほうじ茶になります」
目から鱗だ。単に色分けされているのかと思っていた。
「そこまでお茶について考えたこともなかったです」
「お茶は非常に奥が深い。私は紅茶やハーブティーを好みますが、日本茶も大好きです」
ハーブティーといえば、大学で知り合いになった春野さんと楽しんだ。結局僕は園芸サークルには入らなかったが、いつでも飲みにきてと誘われている。
「よろしければですが、来週で学校が終わった後、私に時間を頂けませんか? 本場の抹茶というものを飲んでみたいのです」
「一緒にお出かけですか?」
「はい。ぜひ。こちらでお金を思い出しますので」
「いえ……それは……」
「彼方さんを見ていると、私がまだ幼かった頃に出会った少女を思い出します。とても恥ずかしがり屋で、困ったことがあったりするとすぐ下を向く方でした。それとお金の件ですが、どうかお気になさらず」
「……ありがとうございます」
素直にお礼を言うべきだ。彼の好意を無駄にすべきじやない。
「その女性とは、今も連絡を取ったりしているんですか?」
「いえ……それが……」
アーサーさんは言葉を濁した。
さり気なく出した話題だったようだが、あまり触れられたくないのかもしれない。
自分から話題を出しても、実は掘られたくない話だったというのはあるあるだ。
僕は話題を変えようと、目の前の器具を手に取った。
アンティークの砂時計、ティーポット、ミルクを入れる器も、どれも美しくこだわりが強い。
ふと彼を見ると、僕が器材に触れるのを怒りもせず、ただ僕を見つめていた。
そんなに似ていますか、と心の中で会話をする。
人の心は難しく、謎解きより複雑だ。
早朝の東京駅は人の波で行き場がない。酸素があるだけまし、という生きるために必要なものが揃ってあり感謝するレベルだ。それにコンビニには水もある。ここを通り、命あって帰宅できたら褒められるべき。
「暑い……」
「新幹線の中でお茶でもしましょう」
「びっくりした……」
「おはようございます。今日も天気が良く何よりです」
後ろから現れたハンサムに、眠気が一気に吹っ飛ぶ。
現在、朝の七時前だ。なぜこんな時間なのかというと、アーサーさんから京都へ行こうと連絡が来たからだ。京都なんて、修学旅行で行ったきりだ。しかも今日は強行突破の日帰りときた。
新幹線に乗ると、まあ目立つ目立つ。英国紳士と長髪の僕。熱い眼差しと色物を見るかのような目。同じ視線でも対照的すぎる。
彼を窓際に座らせ、僕は廊下側の席にした。女性の視線に気づいていないわけでもないのに、彼はどこ吹く風だ。
しばらくは窓に映る景色を眺めていた。景色の変わりが早く、脳は対処しきれなくて眠気が襲ってくる。
出発してから数分と経たないうちに眠っていて、耳に届くやりとりに目を覚ました。目の前には新幹線おなじみのアイスクリームが置かれている。
「……おはようございます」
二度目のおはように、アーサーさんは困ったように笑う。
「これ……僕の分ですか?」
「ええ。ですが、困ったことがありまして」
すぐにピンときた。
「それなら、ホットコーヒーがおすすめですよ」
車内販売を待ち、コーヒーを二つ注文した。
紙コップの上にアイスを置く。
「なんと……これは……」
「これから食べるときは、セットで買うのがいいですよ」
「素晴らしい。グッドアイディアです」
「アーサーさんって……」
「なんです?」
「……いえ、なんでも」
石のように硬かったアイスは、柔らかく食べ頃になった。
蓋を開ける瞬間は、遠出前の気分になる。昨日の夜のように、わくわくだ。
僕以上にわくわく中の彼は、蓋を開けて英語で感動を漏らす。こらえきれない数々の母国語は、全力で褒め称えていた。
提供までは絶対に溶かさないという確固たる意思を備えたアイスも、こうも綺麗に食べてもらえると本望だろう。
東京から京都までは、およそ二時間ほどで着く。京都駅はイメージ以上で、祇園や上七軒のような、和を強調した造りになっていた。ここが京都だぞ、と自信満々の建物だ。カフェや土産物屋が並び、東京によくあるチェーン店でもすごくおしゃれに見える。
駅を出てタクシーを拾い、祇園にやってきた。ゴミ一つ落ちていない美しい町並み。日本を象徴する小さな世界は、日本全体がこういう造りなわけじゃなくて、ここが特別。
赤い提灯の下がる店の前に来て、アーサーさんは引き戸を開けた。
これぞ京都と思わせるような、外観を裏切らない内装だった。中にも小さな提灯がぶら下がっていて、椅子には赤い座布団が敷かれている。人工的な香りではなく、自然の木の香りがした。
「ラナウェーラさんじゃないですか」
奥から男性が出てきた。ひょろっとした上背のある人だ。
「お久しぶりです。本日は小旅行も兼ねて、ご挨拶に伺いました」
「あなたのおかげで、商売もこの通りです。軌道に乗って今は祇園に店舗を持つこともできました。そちらの方は?」
「月森彼方と言います」
「可愛らしいお坊ちゃんですね」
反応に困っていると、アーサーさんは話題を変えた。
「ぜひうちの娘にも会ってもらえませんか? あなたの話をよくするんですよ。日本に来ているなら会いたいと言うもので」
「ええ、もちろんです。今はどちらに?」
「地図を書きましょう。京都は迷いやすい。ここから歩いていけますよ」
「大宮さん、彼方さんへお手製のお茶をお願いします」
「僕はここにいればいいですか?」
「はい。大宮さんのお茶はとても美味しいですから、ゆっくりなさっていて下さい」
初対面の人とふたりきりは得意ではないが、京都丸出しのフロアにも、アーサーさんが太鼓判を押すお茶にも興味があった。
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