第4話 アーサーという男
アーサー・ラナウェーラ。イギリス人。年齢不詳。僕より年上。お茶を入れる手つきが綺麗。紅茶が美味しい。詳しそう。詳しいではなく詳しそうというのは、まだ彼の持ついろんな知識を披露してもらっていないからだ。ほぼ知らないに等しい。
イギリスについて調べたところ、紅茶大国と呼ばれるほど紅茶の消費量が世界でトップクラスの国だ。そしてなんといっても、アフタヌーンティーが有名。日本でも有名なホテルでアフタヌーンティーを味わえるところがけっこうあったりする。
三段重ねの皿にケーキやサンドイッチや甘そうなジャムたっぷりのタルトなど、見ているだけでお腹が空いてくる。
履歴書を持って店に行くと、店の入り口には昨日なかった『Astrology & Cafe』と『Aimer』の文字がある。『Astrology』は占星術だ。
「こんにちは」
遠慮がちに入ると、ラフなポロシャツとジーンズを着た男性がいた。店主と英語で話し、僕に気づくと片手を上げる。
「ハロー」
僕も英語で話しかけた。邪魔にならないように横で待っていると、十分ほど経って男性は出ていった。
「お待たせしました。アルバイトの件ですか?」
「はい。履歴書を持ってきました」
手書きかパソコンで打ち込みか、どちらにしようか悩み、結局パソコンで作った。
「せっかく来て下さいましたので、先ほど仕入れた茶葉で紅茶を作りますね。そちらへ座って下さい」
「面接とかはしなくていいんですか?」
「昨日散々しましたよ」
あれは面接だったのか。美味しい紅茶とお菓子を食べただけなのに。
「かしこまった席で話を聞くよりも、ああいう場の方が本音が出やすいものです。昨日と違うお菓子を出しましょう」
昨日と同じように、無駄のない動きで準備を始める。
皿には、ピンク色をしたクッキーだ。
「フランボワーズのクッキーです。少し酸味があります」
「フランボワーズってなんですか?」
「ラズベリーのことです」
確かに酸味はあるが、食べやすい。けれど日本人好みというわけではなく、外国人好みの味だ。
「何かご意見があれば何なりと」
「いえっ、とても美味しいです」
どこまで踏み込んでいいのかもやっとする。彼と会うのは今日で三回目だ。おまけに僕の性格の問題もあって、うまく会話が混ざり合わない。今思っていることを話すのは、禁断の会話になりそうだった。
「あまり、日本人向けの味ではなかったようですね」
彼はきっかけを作ってくれた。なら僕も気持ちに答えなければ失礼にあたる。
「美味しいんです。ですけど、僕からしたら外国のお菓子だなあという印象を持ちました」
「ああ、そういうことでしたか。日本のスイーツは甘さ控えめが主流ですからね。材料と分量の見直しをしてみます。あなたはお菓子を作れるのですか?」
「洋菓子より、和菓子はそこそこです」
「そこそこ?」
「えーと……まあまあって意味です」
「日本の文化は、できないことはできない、できることはできないと話すと伺いました。かなり腕が立つレベルなのですね」
「滅相もない! おばあちゃんに比べたら、僕なんか全然」
「経験の差はあって当然でしょう。実は、考えていることがありまして。和菓子を提供したいとも考えているのです」
「それは素敵ですね。でも、和菓子と紅茶を結びつけてお茶請けにする人は見たことがないです。僕が知るのは、羊羹とコーヒーは意外とよく合うとか」
「ようかん?」
「あんこを寒天と一緒に煮詰めたお菓子です」
「……あんこ」
アーサーさんは復唱し、顎に指を置いて考え込んでしまった。
「日本は摩訶不思議な世界です。独特の文化も食べ物も、奥が深い」
「そうでしょうか?」
「さあ、紅茶を召し上がって下さい。先ほど頂いた茶葉で作ったものです」
シンプルなティーカップに注ぐと、赤茶色の液体が溜まっていく。どちらかというと、赤に近い色だ。味は……飲み慣れない。同じ紅茶であっても、昨日のものとはまるで違う。
「素人の僕でもこの前の紅茶の違いが分かります」
「飲みにくければ、ミルクをたっぷりとどうぞ。ミルクを多めに入れても、一切負ける気がしないと強気の茶葉です」
おかしそうに笑うので、言うとおりにしてみた。入れすぎなくらいミルクを多めにしても、紅茶が勝っている。恐るべし。
カウンターの脇には昨日なかったものか置いてある。天然石のブレスレットや指輪、イヤリングとアクセサリー関連だ。値札もついている。
「美しいでしょう?」
「アーサーさんって、本当に日本語お上手ですね……」
面食らった顔をされた。僕の勘だけれど、彼は褒められることをよしと思っていないのだろうか。
「初めて名前を呼ばれました。……こういうのはなんと言うのでしょう。くすぐったい?」
「合ってます。ラナウェーラさんの方がいいですか? それとも店長?」
「ぜひとも、名前で」
「分かりました」
くすぐったいのは僕の方だ。高校時代、名前で呼ばれたことなんて一度もない。それどころか名字ですらほぼない。変人兼問題児扱いで、何度教師に呼ばれたことか。それもこれも髪型のせいだ。何かのせいにしないと、保っていられない。
常に後ろ向きな自分が嫌になる。
夕方頃になると日も落ちかけ、オレンジ色の光が眩しい。
玄関には、僕と祖母の靴の他に、シューズが一足並んでいた。
「聡子?」
「よっ、おかえり」
いとこの聡子が来ていた。同じ大学生で、今年から三年生となる。僕より二つ年上だ。
彼女が祖母の和菓子屋を継ぎたがっているいとこの正体である。芋焼酎をワイングラスで飲み、彼女には見た目から入るという思考がないのかもしれない。
「手を洗ってきなさい。ご飯用意しておくからね」
「ありがと、おばあちゃん」
洗面台には僕も祖母も使わないソープやら何やら散らばっている。今日、泊まるつもりらしい。
ほかほかのご飯と、チキンソテー、たっぷりの野菜が入ったみそ汁。
「アンタもお酒飲む?」
「僕未成年だってば」
「そうだったね。誕生日が来たら私がワインでもプレゼントしてあげるよ」
「楽しみにしてる」
普段の私生活は大雑把なのに、和菓子を作る手は繊細だ。聡子もおばあちゃん子で、昔から僕といい勝負だった。
「そういや今日ね、めちゃくちゃイケメンに出会ったのよ! 美男子! 王子様!」
「ふうん」
「この辺に住んでる人じゃないと思うんだよね。あの顔は一回見たら忘れらんないし」
「ふうん」
今日のチキンソテーはもも肉だ。ジューシーで柔らかい。
肉に集中していると、案の定すんごい顔で睨まれた。
「肉と私の話、どっちがいい?」
「聡子の悪い癖だよ。今は肉。でも聡子の話も聞いてる。王子で思い出したけど、バイト先決まったよ」
「あらまあ、良かったねえ」
「うん」
祖母はいろいろと心配してくれていた。一つ安心させて、たくさん働いた給料で祖母に何かプレゼントしたい。親のいない僕としては、これが親孝行の一つだ。
「なにその王子で思い出したって」
「……なんでもない」
『かっこいい』はアーサーさんにとって禁句の語彙なのかはまだよく分かっていない。不用意な発言は控えるべきだ。本人がいないところで、おかしな噂話なんてもやもやする。
「まさか職場の人がめちゃくちゃハンサムとか?」
「それは人によって感じ方が違うから」
本当はめちゃくちゃハンサムです。五度見するくらいには。
もし言ったら、イケメン好きの聡子は押しかけてくるかもしれない。月森聡子は恋に生きる女性だ。将来は絵に描いたようなお嫁さんと和菓子屋を継ぐ、が彼女の夢だったりする。
今日一日、なんだか寝付けなかった。
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