占星術師アーサーと彼方のカフェ

不来方しい

第1話 人生の終わりと始まり

「お前は最後まで、その髪型だったな」

 高校生活最後の日、担任から卒業アルバムを渡されるのと同時に、クラスメイトからは小さな笑い声が漏れる。

 いじりといじめは一文字違うだけというけれど、意味は似たり寄ったりだ。少なくとも、僕は同じだと思う。三年間、そういうキャラになってしまった僕は、必然的に喋らなくなった。元々口数が多いわけでもない。おかげで、休み時間も勉強がはかどった。

 新品の卒業アルバムに刻まれている想い出はすかすかで、後ろのページも真っ白のまま鞄に収まった。

 涙を零す者、カラオケに行こうと盛り上がる者、僕と同じように興味がないと窓を眺める者。良くも悪くも個性的なメンバーだったと思う。半分以上は、喋ったことのない生徒ばかり。

 最後のホームルームを終えて、誰よりも早く教室を出た。

 靴を履き替えて外に出ると、強風と共に桜の花びらが横殴りに舞う。桜の絨毯状態だったのに、僕が通ろうとするとアスファルトが顔を出し、結局いつも通りの道となった。

 吉祥寺駅で降りると、同じ制服の生徒が、ボーリング場へ吸い込まれていく。胸元の花はお揃いだ。

 家へ帰る前に、井の頭公園へ寄り道した。よりいっそう桜の香りが強く感じ、気分が高揚したまま少し足を早めた。

「ねえ、さっきの人」

「やばい、話しかけられた」

 やばい、やばい、と、女性たちは横を通り過ぎる。黄色い声を聞くに、変質者というよりは芸能人に声をかけられた、みたいなトーンだった。

 池の側のベンチで、後ろ姿だけでもモデルだと言わんばかりの男性は、携帯端末に話しかけていた。英語でもフランス語でも、イタリア語でもない、僕の知らない言語だった。だが返ってくる日本語は「もう一度、お願いします」。悲しき現実。ベンチの横には、スーツケースが置かれている。

 回りには、怖々と様子を伺う人たちがいて、状況は把握した。

『何かお手伝いしましょうか?』

 英語で話しかけると、男性は後ろを振り返る。

 やばいと連呼していた女性たちの気持ちは充分に伝わった。

 宝石みたいな青い瞳と、少しくせっ毛のブロンドヘアー。白い肌は少し火照っていて、長時間外にいたのではないか。

「日本語、話せます」

 男性はほっとした笑みを見せて、口角を上げた。

 流暢な日本語に、僕は英語で話したかった。逆に緊張してしまう。こんなモデルのような人、知り合いに一人もいない。本物のモデルと言われても疑わない。

「少々、道に迷ってしまいまして」

「どこに行きたいんですか?」

「こちらです」

 男性は端末を見せてくるが、長く細い指が刺さった場所は反対方向だ。

「よろしければ、地図を書きましょうか?」

 鞄を漁るが、ノートも何も持っていない。

 僕は卒業アルバムを取り出すと、後ろの何も書かれていない紙をカッターで切り取った。何かを書くにはもってこいの、厚みのある紙だ。

「ちょっと待って下さい。それは……」

「大丈夫です。今いるところは、井の頭公園といいます」

 下に大きく公園を書き、大通りや目立つ店を書いていく。店の名前は漢字で書き、読み仮名はローマ字で書いた。

「まずは大通りに出て下さい。最初の信号を右に曲がると、小道に入ります」

 説明を続けていくと、男性は顔を近づけてきた。ほのかな香水と、バニラのような甘い香りが混じっている。

「……あなたはジェントルマンで、日本人は外国人がお嫌いなのですか?」

「え」

 男性が目を伏せると、睫毛が影を作る。

「先ほど、近くにいた女性に話しかけたところ、逃げていきました。それとも、外国人は日本に来たら話しかけてはいけないという文化がありますか?」

「まさか。そんなことはないです。ちょっぴり、驚いたんだと思います。見慣れない方だと特に」

「国境で国と国が繋がっていない、スリランカのように面白い国です。独自の文化を遂げたのですね」

 スリランカ。突如出てきた国で、何が有名だったかも思い出せない。

 卒業アルバムを閉じると、男性は目を見開いた。

「かなた……? あなたの名前ですか?」

「はい。月森彼方といいます」

「……彼方というのは、日本では珍しい名前ですか?」

「どうでしょう? 珍しくはないと思いますが、少なくとも僕は同じ名前の人に会ったことはないですね」

 それっきり、男性は口を閉ざしてしまった。

 分かったのは、彼は英語以外の言語も話せるということ。絶世の美男子であること。あと足と指が長い。

 気づけば、回りには人が集まっていた。端末をタップしながら、こちらをちらちら見ている者もいる。

「あの、じゃあ僕は行きますね」

 軽く会釈すると、彼は深々と頭を下げた。

 日本人よりも、日本人らしい仕草だった。


 僕の家は、吉祥寺にある。たいてい羨ましがられる、住みやすい町ランキングにいつも上位にある町だ。

 玄関を開けると、あんこの香りが広がっていて、お腹が音を立てた。実家は和菓子店で、今はネット販売に力を入れていて店は開いていない。有り難いことに雑誌やテレビでも取り上げられて、ちょっとした有名店だ。

 店は僕の祖母といとこが営業していて、祖母の代で終わりを迎える。とはいっても後ろ向きなわけではなく、祖母は『時代の流れ』だと笑い飛ばしていた。『時代の流れ』があるからこそ、ネット販売ができるのだ。

 ただ、味は僕が引き継いでほしいと云われている。もし好きな人や食べてもらいたい人ができたら、ぜひ振る舞ってほしい、と。いとこは自分が継ぐといって聞かないが、将来なんて未知数だ。何も見えないし、どうなるかも想像つかない。

「おばあちゃん、ただいま」

「はい、おかえり。卒業おめでとう」

「ふふ、ありがと」

 起きたときにもおんなじセリフを聞いた。祖母も嬉しくて仕方ないと、顔に書いてある。僕の自慢の家族。とっても可愛い人。

「ケーキ買ってあるけど、食べるかい?」

「饅頭じゃなくて?」

「好きでしょう? イチゴが乗ったの買ってきたんだよ」

「食べる」

 祖母の手に負えないくらいの大きさだ。箱にみちっと二つ入っている。大ぶりのイチゴが乗り、生クリームの中にもスライスされたイチゴが入っている。

「彼方も大学生か。大きくなったねえ」

「中学生になったときも同じこと言ってたよ」

「何歳なっても言うもんだよ」

 イチゴのショートケーキと温かな緑茶をお供に食べた。うちはいつも緑茶だ。和菓子店というだけあって、イメージ通りの飲み物。そして食事は和菓子が多い。朝食は食パンを焼いて初めて食べたときは、祖母は「ハイカラだねえ」と言い、僕は吹き出してしまった。

「明日はさ、バイト探してくるよ」

「ええ、いってらっしゃい。車に気をつけるんだよ」

 何歳になってもこれだ。心配してくれるのは祖母だけで、ちょっと口うるさいけれど心地よくも感じている。

 本当は、家を手伝おうと思っていた。祖母は「お金を貯めて外の世界を知りなさい」と言う。感謝しかない。涙が出そうになったが、後ろを振り向いてなんとかこらえた。

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