アキコ

門前払 勝無

第1話

「アキコ」


 春の冷たい朝ー。

 濡れたアスファルトの水溜まりにアメンボが浮いていると言って良いのか、泳ぐと表現すれば良いのか…と、悩む。

 大久保公園に鳴り響く軟式球を打ち上げる音。ロッテの看板を通り過ぎる山手線。名残惜しく桜色を保とうとする地面に落ちた花びら。


 長閑な都会の昼下がりー。


 自分の中の悪魔が寝ている間に、この和やかな時間を楽しむ、ただ目的も無くふらふらと時間を楽しむのである。


 時に取り残されたアパートの階段に座るジジィが独り言を喋っている。


 あの時に何故、日本は満州へ行ったのか…誰が答えられる。行った人、あそこで生活をした人間じゃないと解らない。数年で馴染んだ土地に手に入れた物を捨てて日本へ帰った人。行った人それぞれに想う事も違うのである。

 台湾北部の霧杜で起きた事件も言える。なぜ、殺し合わなければならなかったのか…。


 独り言を呟いているジジィへコーラを差し出した。

「アメリカが持ち込んだ中で嬉しかったのはコーラとチョコレートだけだ…ありがとう」

「じいさんの履いてるジーパンもだよ」

「これは白洲次郎さんが持ち込んで流行らした物だ」

「ん?誰だよその人」

俺はじいさんの肩を軽く叩いて自分の部屋へ入った。

 流しの水道からぽたんぽたんと水滴が落ちている。パッキンを交換する必要があるが、いつも忘れてしまう。


 俺はソファに寝転がって毛布に包まった。


 20年ーある女を追い掛けている。

 家族の命を奪った仇である。

 俺の人生を狂わせた奴であり、俺の心を浄化させるために其奴を殺すと決めている。


 小さな鏡で化粧をして建付の悪い玄関ドアを開けて夜の繁華街へ出掛ける。

 排気ガスが冷えた空気を暖めて、生温い風を吹かしている。

 昼間とは違う景色の中で私は泳いでいるー。

 高層ビルの窓の灯りが街を彩り私は花びらを拡げて獲物を待つー。


つづく

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