レディ古門戸 ~少女と執事と歩いた死体~

江田・K

第1話

 日はすっかり暮れていたが、山々に囲まれた小さな集落には多くの明かりが灯っていた。家の明かりだけではない、屋外で祭りの準備をする村民たちが屋外で火を熾したり電球を引いてきたりしているのだ。


 二日後に迫っている年に一度の祭祀まつり

 

 祭り支度の喧騒は村で最も大きな屋敷――加々村かがむら家にも及んでいた。

 屋敷の蔵に仕舞ってある祭具や露店の備品といったあれこれを取りに来た男たち、その男たちのための炊き出しと、奉納御膳の下拵えに励む婦人たち。怒号じみた呼びかけと罵声めいた返事が飛び交い、平素は静かな村はにわかに活気づいている。


 屋敷の一番奥の座敷にも、多忙の気配は届いていた。


「爺さん婆さん皆元気そうで結構結構」


 据えられた座卓の引き出しを開け印鑑を取り出しながら、青年は僅かに笑った。手元には小さな文字がびっしりと印字された書面がある。印鑑の上下を確認し、朱肉につけていざ押印というその瞬間。


「何をやっとるか、一郎太」


 一郎太と呼ばれた青年の背中を、怒気を孕んだ低い声が貫いた。

 声の主は一郎太の父、加々村正蔵だった。


「親父」

「祭りの時分じぶんに帰ってきたかと思えば盗人ぬすっとの真似事か。駐在に突き出すぞ」

「勘弁してくれよ」


 父の本気の口調に一郎太は書類と印鑑から手を離した。老いて体も弱ったとはいえ、村を治める長としての正蔵の気迫は健在だった。


「何をしとった。何の書類じゃ、それは」

「……契約書だよ。この神賀村かみがむらに企業を誘致するための」


 素直に白状した一郎太を正蔵は怒鳴りつけた。


「まだそんなことを言うとるのかお前は! ご先祖様の土地をなんだと思うとる!」

「ご先祖様のことを思うなら若者が帰って来れるようにするべきだろ。こんな何もない田舎じゃあ仕事なんてないから帰りたくても誰も帰ってこれない!」

「そいで得体の知れん会社を引っ張ってくるか」

「悪いかよ」

「悪い。悪いに決まっとるわ。村の皆の意見も聞かずに勝手に印鑑を盗んで事を進めようとする輩に、村の未来を説かれてたまるものか……!」

「意見なんて言っても反対するだけだろうが。村の年寄り連中は!」

「説得する自信がないからコソコソしよるんじゃろうが」

「なんだと!?」


 最早もはや売り言葉に買い言葉だけでは済まなくなっていた。

 正蔵が一郎太に手を伸ばした。

 腕を掴む。


「印鑑を返せ」

「離せよ親父」


 細い腕には大した力は込められていなかった。一郎太の表情が僅かに曇る。もみ合いは長くは続かない。一郎太が正蔵を強く押した。その時、一郎太の足の下にあった座布団がずるり、と滑った。


「うわぁっ!?」


 ふたりはもつれ合い、正蔵が一郎太を押し倒すような形で転倒した。

 固いもの同士がぶつかる鈍い音が響く。


たた」


 したたかに腰を打った正蔵はよろよろと立ち上がった。

 そして――


「お、おぉお……」


 ――気付いた。

 座卓で後頭部を強打した息子が物言わぬ死体になっていることに。

 正蔵は、喧騒を遠く微かに聞きながら、呆然と立ち尽くしていた。

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