第4話
「あの……、とても自然な感じで一緒にご飯食べてますね」
「同じ部屋にいるんだから一緒に食べてないと不自然でしょ」
「いや、そういうことを言いたいわけではなくて――」
そこで夕月はため息をついて口を結んだ。何を言ったところでまたこんな感じで咲万に言い返されて、自分が野暮な人のようになってしまう。
澄まし顔の咲万を横目に、夕月はトーストを齧る。
咲万を拾って数日が経っていた。
あたかも自分がこの部屋の主のようにくつろいでいる咲万は、ワイシャツにハーフパンツというラフな格好をしている。服は夕月が貸したものだ。さすがに下着はいつの日か彼女が持ってきたものを使っている。服を貸すとはどんな関係なのだろう。夕月には考えつかないことだった。
今日は風が強く、雲はないため陽光がサンサンと降り注いでいるが、気温は上がらないどころか体感温度は無風の日よりもずっと冷たくなっている。早朝、いつものように部屋を出て外の空気を吸い込んだ夕月は、冷気で喉を少し痛めていた。
ニュースキャスターの快活な声を聴きながら夕月はホットミルクをすする。咲万の方はニュースにはまったく興味がないらしく、窓の外をぼんやり眺めながら目玉焼きを咀嚼していた。
結局のところ、夕月は咲万について何も聞き出せていなかった。
翌朝夕月が目を覚ますと、約束通り咲万は部屋にいたのだが、道端に座り込んでいた理由を訊いてみるも、家にいることは約束したけど質問に答えるとは言ってない、と赤髪の彼女はそう屁理屈を並べた。
ひねくれ者め、と大仰にため息をついてみるも、返ってくるのは笑顔だけで、それも屈託なく笑うものだから夕月もなんだかんだうやむやにしてしまっている。しかし、いつまでもそうしているわけにもいかないはずで。
今日こそは、と思ったのは本日が休日であり尚且つアルバイトも休みであるからだった。
夕月のアルバイト先はレストランで、土、日ともなれば客で込み合い一人でも多く人手がほしいところではあるが、つい先日の夕月の不調に、店長も心配になり平日では学業もあるからと急遽休日に休みを作ってくれた。大したことはないと言いたくとも、原因が原因なだけに気安く話すこともできず、罪悪感に苛まれつつ受け入れることにした。
だからこそこの絶好の機会を逃したくなかった。
夕月は咲万の横顔を盗み見る。考えた作戦はこうだ。まず、咲万が部屋を出る。そして、気づかれないように夕月がその後を追う。彼女が日頃何をやっているのかこの目で確かめれば、変にはぐらかされたり、こちらがモヤモヤする必要もなくなる。
自分がこれから尾行されるとは露ほども思っていない咲万は、何ものにも興味なさそうに欠伸をしていた。
この無頓着さに夕月は悩まされていた。気まぐれ、という言葉がこれほどに似合う人物には会ったことがない。猫の気質ではよく聞く単語であるが、咲万はまさにそれだった。
これで毛づくろいでも始めたら可愛らしいだろうな、とぼんやりしていると、不意に咲万が夕月の方に顔を向けた。
「今何か考えてた?」
怪しげな口ぶりで咲万が訊ねる。
急に視線が合って反射的に顔を逸らしてしまう。
これも猫的な野生の勘なのか、ひとの痛いところを的確に突いてくる。こういう時に何かに気を逸らすことができればいいのだけれど、慣れていない咄嗟の対応は夕月はあまり得意ではなかった。だから正直に。
「今日、わたしアルバイトが休みなんです。本来だったらシフトが入ってたんですけど、店長の計らいで急遽って感じで。だから特にやることもなくて――咲万さんはどうするんだろうって思いまして」
ふーん、と何かを探るように目を細くこちらに向けてくる咲万に、夕月はぎこちない笑みを返した。何かを感づいていそうな咲万だったが、わざとらしくなるほどと呟くと、何もない炬燵の上にコトンと顎を乗せて、上目遣いで言う。
「じゃあ一緒にどっか行く?」
「えっ?」
夕月は反射的に声を漏らした。
「だってそういうことでしょ?」
「え、いや、そういうことではないですよ」
「違うの? あたしはてっきりそうなのかと思った。だって、学校もバイトもないってことはヒマってことでしょ?」
「たしかにヒマですけど……」
夕月は呟くようにそう言って、思案した。今日の作戦は咲万を尾行すること。決して一緒に出掛けることではない。しかし、夕月の頭にはそれもありかも、という思いもあった。一番近くで咲万のことを観察できるのは願ってもいないこと。話していて、ぽろっと情報を吐くかもしれない。たしかに行動は限られてしまい、咲万が何をしているのか知ることはできなくなるが、尾行が失敗するかもしれないと思うと、一緒にいた方が安全な策であることは間違いなかった。
夕月は心の中で、そうしよう、と決めると、咲万のほうに目を向けた。
「わかりました。そういうことにします。一緒に出掛けましょう」
「なんか考えてたよね。なんで急に考えを変えたの」
「そんなことないですよ! なにも考えてなんかいません」
夕月はあわてて反論する。
咲万はふふっと笑って、
「ふーん、そっか。じゃあどこ行く?」
と話を進展させた。夕月はちょっと安堵して、
「えっと、ここから近くのデパートに買い物に行きませんか? 欲しい物があって。ついでに夕ご飯の材料も買いたいと思ってます」
「オッケ!」
咲万は軽く返事をすると、すっと立ち上がった。
「たしかそこってドーナツ屋さんもあったよね。久しぶりに食べたいなぁ」
「いいですね。せっかくなので寄っていきましょう」
夕月も出掛ける支度を始める。
外は寒いので防寒着を忘れてはいけない。いつものコートとマフラーを手に取って思い出す。防寒着を使うのは夕月一人なので、この部屋には他に寒さ対策ができる服はなかった。
咲万は今、夕月から借りた服を着ている。そのままの格好ではさすがに寒すぎると思い、夕月はタンスから厚手のパーカーとズボンを取り出した。
「咲万さん、これ着てください。残念ながら温かいのはこのくらいしかないですけど」
「いいよ。ありがとう」
咲万は渡された服を炬燵の上に置くと、おもむろにズボンを脱ぎだした。露われた咲万のたおやかな太ももが視界に入って、夕月はとっさに目を逸らした。
「ちょっと、咲万さん。ここで着替えるつもりですか?」
「そうだけど? 問題ないでしょ?」
「いやいや、……え?」
改めて考えてみれば同性同士だ、たしかに問題はない。けれど、夕月の心臓はそれが見てはいけないものを見たときのように、どきどきとしていた。
我に返って目を逸らしたまま目をつむると、さっきの咲万の姿が瞼の裏にこびりついたように映像として映し出される。
「なにやってるの……」
少し呆れが入った咲万の声に、見えないくらい小さく肩を震わせた夕月はパーカー姿の彼女に向き直った。
「……いえ、べつに」
「ほら、支度できたよ。あなたは大丈夫なの?」
ああ、はい、と夕月は言って、綺麗に畳まれたバッグと財布、スマホを手にする。炬燵の電源を切ったのを確認すると、先に出ていった咲万のあとを追った。
部屋の外に出ると、冷たい風が夕月の髪をなぞって通り過ぎていった。
「さむっ」
と小さく呟く咲万は、身体を縮こませている。この真冬に外に出るにはさすがに格好が寒すぎる。夕月は自身の首に巻かれているマフラーを外し、咲万に渡した。
「使ってください。ちょっとでも寒さが和らぐといいんですけど」
「ありがとう。温かいよ」
早速マフラーを自分の首元に巻いた咲万は笑顔を作ってそう言った。
果たしてマフラー一つでそこまで防寒効果があるか疑問だったが、本人が本当に温かそうにしていたので、夕月も安心する。初めて二人が出会った時は、咲万はマフラーすらつけていなかったので、彼女は割と寒さに強い体質なのだろう。
また風が吹いて、今度は夕月の首筋をなでていった。ぶるっと震えた夕月のほうは、見てわかるほど寒さにめっぽう弱かった。
デパートに着く頃には、夕月の首から上はとても冷たくなっていて、暖房の効いた空気に触れるだけで安堵のため息を吐くほどだった。
「寒さも暑さもは慣れだよ。人間の身体って不思議で、その環境に順応するようになってるみたいなんだよね」
「それでもわざわざ寒い格好してはいられませんよ。せっかく人間の叡智があるのにそれを使わず生きるなんて不自由過ぎます」
「たしかにね」
はははっ、と咲万は笑った。
「それで、欲しい物ってなんなの?」
「バスタオルです。今使っているのがだいぶ古くなってきて新しいのに変えようかな、と。それと、咲万さんのぶんも」
おお、と咲万が感嘆の声を漏らす。
「それはあなたの家に永住してもいい証明?」
「そうではないですけど、うちには身体を拭くには小さすぎるタオルしかないので不便ですからね。咲万さんがうちに居続けるのは、咲万さん次第かなと思っています」
咲万は夕月の横顔をちらっと見て、きまり悪そうに小さく笑顔を作る。
「なんかごめんなさい。なしくずし的に居候する感じになって」
「本当にそんなこと思ってます?」
夕月の疑いの眼差しを、咲万は面白そうに見返した。
「もちろん。それより人が多いね」
そう言われて辺りを見渡す。咲万が言うように館内は人でいっぱいだった。今日は休日なので、家族連れの客が目立つ。各々が別々に話をしているので、音が重なり合ってざわざわという雑音として耳に伝わってくる。
「さすがに土曜日だとそうなりますよね。咲万さんは人混み大丈夫ですか?」
「全然平気」
「そうですか。じゃあ先にバスタオル見に行きますね。ドーナツはそのあとで」
喧騒の中を縫って、夕月たちは日用品売り場まで足を進めた。
タオルの売り場まで着くと、種々様々なタオルの中から夕月は一番安いものを探していた。
「これとかどう?」
咲万がどこからか一つタオルを持ってきて夕月に見せた。
夕月はタオルを一瞥すると、
「ダメですね」
とあっさりと提案を断った。
「なんで」
「高すぎます。そんなふわふわで吸水性、速乾性のよさそうなものはわたしには必要ありません」
「いやけど、気持ちいよ? 一回使ったらやみつきになるくらいに」
「だからこそです。元あったところに戻してきてください」
「えー、いやだ。あたしはこれにする」
咲万はタオルを両腕でぎゅっと潰すように抱えると、わがままな子どものように訴えた。
夕月は見ていた商品を棚に戻し、咲万のほうに向き直る。
「ダメです。一度使えば普通のに戻ってくることなんてできなくなるのは知れていますから。それに、誰が払うと思ってるんですか」
「あたしが払うよ」
「え……? 咲万さんのお金ですか? それなら家に置いてきたので今ここにはありませんよ」
ううん、と咲万は首を横に振ると、いつの間に仕舞い込んだのかズボンのポケットから裸の一万円札を取り出した。夕月は驚いて目を見開いた。
「あの、本当に大丈夫なお金なんですよね?」
「もちろん、本物のお金だよ」
「いや、そうではなくて……」
夕月の反応に、咲万はきょとんとした。ただでさえ、まとまったお金を渡されていて、そこからまだ出てくるとなると恐怖が強くなる。夕月の頭に、何か悪いことでもして得たお金なのではないかと、疑う思いがよぎる。
そんなことは露知らず、咲万はタオルを手放す気はなさそうにしている。
「あなたのもあたしが払うよ。それならいいでしょ?」
「え、でも、そういうわけには」
「いいからいいから」
軽々しくそう言うと、咲万は持っていたタオルと同じ種類のものを取りにすたすたと歩いていく。夕月は咄嗟に咲万を止めようと呼びかけたが、彼女は一瞬も振り向こうとしなかった。
夕月はそっと目を伏せた。少し嬉しかったのだ。誰かとこうして出掛けることが今までなかった。高校生になって一人で暮らすようになり、アルバイトも始めて生活に余裕ができたのは事実だが、充実感はそれほどなかった。夕月にとって過ぎていく日々はまるで音の出ない宇宙のようで、存在とは自分とそれ以外でしかないとどこか冷めた見方をしていた。だから、咲万との出逢いは偶然だったかもしれないが、夕月には大きな出来事であることは間違いなかった。
少しして、タオルを持ってきた咲万が不思議そうに夕月を見た。
「どうかした?」
「いえ、なにも……。咲万さん、それわたしが払います」
夕月のその言葉に、咲万は首を振った。
「え? いや、いいよ。あたしのわがままだし、それに居候させてくれてるお礼」
「お礼って、お金はもうもらっていますよ」
「それだけで返せるとは思ってないよ。あたしはあの日、あのまま外にいたら凍死していたかもしれないんだからね」
咲万は寒い夜のことを思い出しているのか、その瞳はどこか遠くを見つめていた。
「――わかりました。ならこうしましょう。咲万さんはドーナツ代を出してください。ここはわたしが出すので」
夕月の提案を聞いて、咲万はニヤッと笑った。
「お互いゆずりそうになさそうだね。それならそうしよう。あたしはドーナツ代、あなたはこれ」
そう言って、咲万は持っていたタオルを差し出した。夕月はそれを両手で取る。押さえた瞬間、タオルのその柔らかさに少し驚いた。こんな贅沢していいのだろうか、と声が頭をよぎるが、言ったからには買わなくては示しがつかない。夕月は大袈裟に意気込む。
「それじゃあ買ってきます」
咲万に見送られてレジに歩いていく。商品を出したあと、その値段に一旦買うのを断りかけたのは咲万には黙っておかなくてはいけなかった。
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