第7話 勝利、そして蠢く闇
「な、なんですかこれは!?」
駆けつけた宿の主人が、部屋に入りなり叫びを上げた。
それも当然だろう。
何しろ宿屋は大惨事だ。部屋の一つが破壊され、天井も壁もボロボロ。
顕現させた《タイラントワーム》は一部だけ。とはいえ、リゲルのいた部屋はほぼ全壊。調度品も壁も何もかも破砕されていた。
天井に至っては吹き飛び、まるで青空教室状態。床が抜けていないのが不思議だった。
仮面の巨漢は、手加減したため生きてはいる。
だがもはやぼろぼろで、ほとんどボロ布の塊と変わりない有様。
尋問の必要があるためリゲルが手加減したが、しばらく指も動かせないだろう。
「とにかく人を! 衛兵さん、応援を寄こしていただけますか!」
宿屋の主人が叫ぶ。
連れてきた衛兵に叫び、他の客への説明など大忙しだった。
その合間に、リゲルは衛兵に事情を話して保護を頼む。
宿屋周辺は封鎖され、仮面の巨漢は尋問と治療のため、衛兵の駐在所へ連行されていった。
リゲルはミュリーに寄り添い、共に衛兵の駐在所に運んでもらう事になった。
† †
明けて翌日。
「……リゲルさん」
清廉な朝の空気の舞う療養室の中。
優しい、鈴の音の鳴るような声に、リゲルは目を覚ました。
「ミュリー……?」
細く白い手が優しく頬に添えられている。
頭の裏に柔らかな太ももの感触。どうやらリゲルは、ミュリーに膝枕されながら頬を撫でられていたらしい。
「……え? これ、どういう状況? 膝枕最高! ……ではなくて、敵は? あの巨漢は、どうなった?」
「リゲルさんはあの後、疲れて寝ていたんだす。大怪我を負って、衛兵さんに説明して……無理もありません」
そうだった。全て思い出した。あの後、リゲルは衛兵に事情を説明をして駐在所で眠ってしまったのだ。
嬉しさと、誇らしさの混じった響きがミュリーの唇から発せられる。
「あなたのおかげで助かりました。……本当に、ありがとうございます。わたしを助けてくれて」
感極まったように、ミュリーの柔らかな腕がリゲルの頭を抱きしめる。
甘くて優しい感触。嗚咽にも似た響きが広がり、リゲルはそれで彼女が泣いているのだと思った。
悲しさからではない、嬉しさからの、涙。
まるで揺りかごのように安心できる抱擁。静かなミュリーの嗚咽と、慈しむように抱いた柔らかさ。嬉しくて、嬉しくて、たまらない――そんなミュリーの気持ちが伝わる感触だった。
自然と、リゲルも幸せな気分になる。
「少し不器用な勝ち方でごめん。ミュリーにも怖い思いさせてしまった」
「いえ、そんなことありません。わたし……嬉しいんです。リゲルさんが、あんなにも一生懸命に戦ってくれたことが」
ほのかに涙を流すミュリー。
「死んでしまうかと思いました。リゲルさんが、遠い場所に行ってしまうのではないかと……」
「それはあり得ないよ。言ったでしょ? 君は僕にとって女神だ。君がいるから僕は変われた。アーデルに奪われた過去から脱し、『合成』スキルを得て、未来を変えられた。君の『おはよう』や『お帰りなさい』――それがない日なんて、もう考えられないよ。僕の中には、とっくに君がいるんだ」
「リゲルさん……、リゲルさん……っ」
感極まり、涙ぐみミュリー。
彼女も同じだ。かつての『主』はなく、孤独に人間の街で、ずっとベッド上で暮らすしかなかった日々。所詮は過去から置き去りにされた遺物だと、嘆いた孤独な立場。
だが、今その瞳には、確かな幸福があった。
「今の生活を守る。そのためなら、例え神様だって僕は打倒してみせる。だから、ね? いつまでも一緒だよ、ミュリー」
「はい……はいっ」
涙ぐみ、嬉しさを抑えきれないといったように、ミュリーが強く抱き締めてくる。
もう離れないと。離したくないと。
孤独に苛まれていた少女が――ようやく、その安住の地を得た瞬間だった。
「またあんな敵が現れても、必ず撃退してみせる。僕には【合成】スキルがある。女神から祝福された僕に怖いものなんて何もない」
「リゲルさん……っ」
ミュリーのしがみつくような抱擁へ抱き返し、彼女の熱い眼差しに真っ直ぐ応じていく。
少女の瞳が嬉しさで潤み、一滴の涙が流れ落ちていった。
その宝石のように綺麗な雫を優しく拭い取り、リゲルは、ミュリーを抱き締めた。
† †
「――すると、『仮面の彼』が何者かはわからないんだね」
「はい。記憶を辿っても、接点となるものは何も……」
抱擁をして互いに落ち着き、しばらく経った頃。
リゲルとミュリーは、ベッドの上で情報を交換していた。
「結局、あの仮面も壊れたけど中身は普通の男だった。襲撃の原因になるものは何も見つからない、か」
結局、仮面の巨漢の正体は不明。今は衛兵の兵舎で治療中。
尋問できる体力がついても、話すかどうか解らないだろう。
何より、あのゴブリンの仮面は特殊なものだった。途中報告に来た衛兵が言うには、「初めて見る仮面です……ですが『洗脳系』の魔術具の可能性も……」とのこと。
つまり、あの巨漢は刺客ではあったが、何故ミュリーを狙った目的は不明だった。
「(やはりアーデルの手の者……はないか。杜撰すぎる)」
魔術と同じ効力を宿した道具――『魔術具』、その中には人を惑わせ、狂わせるものもある。あのゴブリンの仮面もその類だろう。
《錬金王》アーデルが寄越した刺客という線も考えたが、それはないだろう。『彼』ならば、もっと残虐非道に行う。
喉を聖剣で貫かれ、絶命した《烈神剣》のゴーゼルス。
磔にされ、毒蛇に噛まれ死の淵に叩き落とされた《轟竜剣》ベルゼガルド。
最凶の猛毒を盛られ、廃人と化した《朧帝剣》のファティマ。
そして四肢を拘束され、さらわれた《千里姫》のフィリナ。
アーデルが行ったにしては、『穏やか』過ぎる。
だから、今回は彼とは別件だろう。街の衛兵は調査するとの事だが、しばらく真相は謎のままになるはず。
「……何にせよ、拠点を考えないといけないね」
「え、でもリゲルさん……」
襲撃された以上、同じ宿屋にとどまるのは危険だ。
ゴブリンの仮面が何者であろうと、ミュリーは精霊、彼女を利用しようとする者は多いだろう。
あの巨漢はミュリーを知っていた。『その娘をさらう』と。おそらく、何らかの個人なり組織の下、動いていたのだろう。
絶滅と言われた種族――『精霊』。これまでは街の片隅の安宿で暮らしていたが、客か宿屋の主人づてに情報が漏れている可能性もある。
何らかの道を辿って、刺客が放たれた可能性も。
「大丈夫さ、魔石で得た資金はたくさんある。今度は防備に優れた家を買おう」
「でも高いのではないですか? わたしなんかのために……」
「違うよ。これは必要なことさ。……それより謝り癖ついてない? 何だか謝られてばかりな気がするよ?」
ことさら冗談めかしてリゲルが笑う。
すると、恐縮しつつも、ミュリーも笑ってくれた。
――やはり、ミュリーは笑っているときが最高だ。
掛け値なしにそう思う。銀色にルビーのような瞳。それらはひどく美しい。
これから、彼女をもっと笑わせてあげたい。いつか、普通の女の子みたいに。穏やかに暮らせる日を迎えさせる。
そんな意味を込めて、優しくミュリーの手を握るリゲル。
「拠点を整えてさ。今度こそ安住の場所に行こう? そして僕は引き続き、《迷宮》の深く潜り込むよ。ミュリーの主、《精霊王》ユルゼーラを探すために。だから心配することは何もない。僕が、君のために《迷宮》の覇者になる」
「……っ、リゲルさん、ありがとう、ございます……っ、うう……」
ミュリーの瞳から一滴の涙が伝う。
何だか泣かせてばかりだな――そう思いつつも、リゲルは、ミュリーを労るべく、その体をゆっくり撫でていくのだった。
† †
十一ある地下迷宮、そのいずれかの深部にて。
「どうやら、彼は失敗したようです」
茫漠と広がる闇の中。無限にも思える漆黒の空間。
薄っすらと映える『玉座』の主に向け、押し殺した声が響く。
それは、『仮面』をつけた男だ。
それも、一人や二人ではない。屈強な体格の者、痩身の青年、体中に入れ墨を入れた女性、体に鎖を巻く老人……様々な者たちが闇の中、静かに佇んでいる。
「詳細は不明ですが、かの『精霊』は人間と契約を結んだらしく。《タイラントワーム》らしき体の一部が確認できました」
闇の主が、玉座の上で身動ぎする。
仮面の者たちが、申し訳程度につけられた篝火の明かりの中、わずかに恐怖で、身を固くする。
それは、怒りか、嘆きか、嘲りか。いずれにせよ、闇の主の機嫌一つで、彼らの首が飛ぶこともあり得る。緊張、そして重圧が、仮面の者らを支配する。
「――早急に対策が必要かと思います。いかが致しますか? 我が主よ」
声に対し、闇の玉座の上から、低く、圧ある響きが渡る。
「■■■■■、■■■■」
古代の言葉で告げられたそれは、常人には聞き取りづらかった。しかし響きの似るわずか二つの単語が、仮面の男たちへ意を察せさせた。
「――かしこまりました。貴方様の命に沿い、貴方様のために戦う。必ずやかの精霊を連れ戻すと、約束いたします」
闇の中、高い金属音のようなものが響き渡った。
檻に入った『怪物』だ。
色は白く、銀色の触覚を持ち、全体としては昆虫を思わせる。
ただしその姿は一定ごとに移り変わり、安定しない。
『変幻自在』――それは特定の姿をもたない怪物だった。
怪物の収まっていた檻の封が破られる。甲高い声が響き、鎌のような手で地面を砕き、高々と咆哮した。
闇の主が、短く命令を投じる。
征けと。
あの娘を、捕らえよと。
『怪物』が。歓喜に打ち震える。精霊の少女を捕縛するべく。死の匂いを振りまき、開放される。
――それは、第二の刺客が放たれた、新たなる激闘への、序章だった。
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