第40話 調香師ベラドンナ

「なんとか追手をまいたようだな」


 俺たちは近くの雑多な森の中に入った。身を隠すならここが最適だ。周囲には人の気配はないことから、まいたのは間違いない。


「うう……リックに蹴られたお尻がまだ痛い」


 リーサは臀部をさすりながら俺に恨めしい視線を送った。緊急事態とは言え、リーサには悪いことをした。


「すまないリーサ。どうしても起きなかったし、あの場ではああるするしかなかった。その……大丈夫か? 腫れたりとかしてないか?」


「まあ、謝って心配してくれるなら許す! へへ、腫れもないし、まだ痛みが残っているけど大丈夫だと思う」


「ああ、許してくれてありがとう」


 寛大なリーサに感謝しつつ、俺はノエルの方を向いた。俺と視線があったノエルは頷いて口を開く。


「状況は私にもわかりません。私たちは暗黒騎士を探して保護するための組織だったはず。ですが、その組織が私1人を除いて裏切った」


「ノエル。アンタは確か、自分のことを公人だと言っていたな? 他の教団員もそうなのか?」


「いえ、公職についているのは私だけです。それが、私だけ今回の裏切りの計画を知らなかったことに対する手がかりになるかは知りませんが……他の者は信者の中で戦闘能力が高い選りすぐりの者を集めました」


「なるほど。選定基準は戦闘能力だってことか」


「ええ。ですから、信仰心の有無は見てなかったのかもしれません。それがこのような結果になるとは……誠に残念です」


 ノエルは唇を噛み視線を斜め下へとやる。


「ねえ、リック。私のテントに侵入した女って何者なの?」


「さあ、俺も相手の顔はよく見てないからなんとも言えない。体型で女だってことはわかったけれど、ローブを被って顔を隠していたからな」


「今回の遠征部隊の中に香りに関するスキルを持つ者はベラドンナ。彼女だけです。彼女のスキルは調香師。ハーブを合成して、特殊な作用をもたらす香水を作り出す能力者。直接的な戦闘能力はありませんが、彼女の搦め手はハッキリ言って厄介です」


 悪霊憑きなんて搦め手の権化みたいなスキルを持つノエルを以ってしても厄介だと評する相手か。そりゃ、警戒能力が高い盗賊のリーサに気づかれずに彼女の体を蝕めるよな。


「リック―—!」


「ああ……いるな」


 何者かが近くにいる気配がした。後方からねっとりと突き刺す視線。そして、刺激的な匂いが俺の鼻孔をくすぐる。


「みなさん、姿勢を低くしてください。この香水は空気より軽い。姿勢を低くすれば呼吸ができるはずです」


 ノエルの指示通り、俺たちは姿勢を低くした。先程の刺激臭はしなくなり、平然と息ができるようになった。


「ノエル、これは……」


「ええ、間違いなくベラドンナの香水です。どんな効果があるのかは私にはわかりませんが、吸い続けるとロクなことにならないでしょう」


「ねえ、どうするのノエル。ベラドンナは私たちを見えないところから攻撃しているみたい」


「リック様、リーサ。ここは私に任せて下さい。直接的な戦闘が得意なお2人のスキルでは分が悪い相手です」


 ノエルは姿勢を低くしたまま、地面を掘り始めた。一体何を擦る気だこいつは……


「よし、いた。私がなぜこの森を隠れ家に選んだのか。それは……万一ベラドンナに追いつかれた時に対応できるようにするため。教団員の中で最も厄介なのは彼女ですから。そして、ベラドンナを攻略するための切り札は……これです!」


 ノエルは手づかみでにょろにょろとした動いている細長い物体を複数掴み、それを俺たちに見せた。


「ひ、ひい! そんなもん見せないでよ」


 リーサは手で目を覆い視線をそれから逸らす。確かにいきなり見せられると男の俺でも気持ち悪いと思ってしまう。それを平然と手づかみできるノエル。こいつは一体……


「それはミミズか。そいつをどうするんだ?」


「ええ、これに悪霊を憑かせる。憑かせるのは婦女に乱暴した罪を背負った者の霊。異常性欲者の霊ですから、女性を見たらそこにまっしぐらに動くでしょう。ベラドンナは女です。そして、ミミズが大の苦手。あの女はこの森がミミズの生息地だと知らずに入って来たようですが、それが運の尽きですね」


「人間以外にも霊を憑かせることができるのか。流石だな」


「では、行きます」


 ノエルが深呼吸をする。そして、手に霊を集めている。ミミズは複数いるから霊も複数必要だ。


「……ん? あ、ちょ、ちょっと待って!」


 リーサはなにか制止をしているみたいだけど、この一刻を争う状況でなんだ? と思った瞬間、答えがわかった。無数のミミズが一斉にリーサに向かってミミズとは思えないほどの爆速で進みだした。そうか、女に見境なくなるんだったら、リーサもその対象だったのか!


「いやあああ!」


 リーサは立ち上がり、逃げ出した。しかし、上部にはベラドンナの香水が撒かれている。それを吸ったリーサはその場に倒れてびくんびくんと痙攣けいれんし始めた。


「どうやら、あの香水は神経麻痺の作用があるようですね。大きく吸い込む前で良かった」


「そんなこと言ってる場合か、すぐに霊を解除しろ! このままじゃリーサが」


 リーサが倒れている間にもミミズはリーサの方に近づいている。このままでは数十秒後にはリーサの体にミミズが這うことになるだろう。


「ダメです。ここからじゃ解除するには遠すぎる。もう少し近づかないと……私もこの姿勢ですから移動するのに時間がかかります。リーサには少し我慢してもらいましょう」


「ええ……」


 多くのミミズがリーサの体に這いつく中、数匹のミミズが別の方向に移動し始めた。


「おい、ノエル。あのミミズは?」


「まあ、悪霊にも好みがありますからね。金髪が気に入らないのか、巨乳が嫌なのか、それとも別の理由が考えられますが、リーサは好みではないようです。と言うことは、次に近くにいるベラドンナに向かったのでしょう。あのミミズを追いましょう」


「ああ」


「いやあああ! み、み、ミミズ~!」


 女性の悲鳴が聞こえた。


「ノエル。あの声は?」


「間違いない。ベラドンナです」


 ミミズが這った先には、腰を抜かして大股開きで仰向けに倒れている茶髪の女がいた。


「ベラドンナ。状況を説明してもらいましょうか」


「ひ、ひい。た、助けて。ミミズ……取って」


「話になりませんね。悪霊を憑かせて自白させましょう」


 ノエルはベラドンナの鳩尾に掌底を食らわせて霊を強制的に憑りつけた。悪霊がついたベラドンナの表情が変わる。


「私に質問してください。なんでも正直に答えます。だからもう刑罰だけは許してください」


「こ、こいつは……」


「私が使役している悪霊は、誰かに憑いていない時は地獄で裁きを受けています。この詐欺師の例は正直に話すことで刑罰が短くなり、刑期を終えれば新たな命に転生できる。逆に嘘をつけば刑期が伸びるので、嘘はつかないでしょう」


「そうなのか」


「ベラドンナ。最初の質問です。あなたはどうして、リック様とリーサを襲ったのですか?」


「暗黒騎士リック。それを捕らえて、グレイス王に引き渡すように命じられた」


「それは何故ですか?」


「グレイス王のスキルが関係しています。グレイス王のスキルは、竜騎士とされてきました。しかし、それは違う。グレイス王のスキルは、スキルアブソーバー。他人のスキルを吸収する能力を持っている。そのスキルを使って、暗黒騎士のスキルを吸収して自らが最強の力を手に入れる。それがグレイス王の狙いなのです」


「なっ……! 我が王がそんなことを。あ、ありえない。でも、それが真実なのですよね」


「スキルアブソーバー? なんだそれは? 聞いたことがないスキルだな」


 ノエルは俯いてしまった。なにかこのスキルに忌まわしい思い出でもあるのだろうか。


「クリスリッカの国には、迫害を受けている民族がいます。その名もカゲロウ族。彼らの一族にのみ必ず発現するスキルがある。それがスキルアブソーバー。他者のスキルを吸収してストックすることができる。1度に吸収できるスキルは1つまで。新しいスキルを習得したら、元のスキルは破棄される」


「スキルを吸収された者はどうなる?」


「アブソーバーから返却されない限りはスキルなしのまま過ごします。ただし、破棄されたスキルの持ち主に、2度とスキルが戻ることはない。故に迫害されたのです」

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