第4話 固めと柔らかめ(幸也)
以前お客さんから「たこ焼きって、すぐに駄目になる食材が無いから廃棄ロスが無くていいね」と言われたことがある。
あまり馴染みではないテイクアウトのお客さんで、たぶん話好きな人だったんだろう。悪意は感じなかったし、俺も「そうですね、無茶な仕込みをしなければ大丈夫ですね」と答えた。だが、廃棄ロスが無いと言うのは事実ではない。たこ焼き屋は廃棄ロスが多いのだ。
お客さんが言った、すぐ駄目になる食材が無いのは事実だ。俺が答えた無茶な仕込みをしなければ大丈夫と言うのも事実だ。だが、それでも常に廃棄ロスの可能性はあるのだ。
多くのたこ焼き屋はテイクアウトがメインのファストフードだ。当然お客さんは注文すれば仕上げてすぐに持ち帰られると思っていて、待つのならキャンセルして帰る人も多い。そのお客さんの期待に応える為に、店は常に焼き上がった状態のたこ焼きを用意しておく必要がある。焼き上がったたこ焼きは弱火で保温することになるが、この状態が曲者で何時間でも置いておけるものではないのだ。一時間からよく持って一時間半。それが焼き上がったたこ焼きの寿命で、この時間内に売れなければ泣く泣くゴミ箱行きとなる。
繁盛していて、引っ切り無しにお客さんが訪れる店なら問題無いのだろうが、うちのように暇な店なら一日に何十個も廃棄しなければいけない日もある。なのに、「廃棄ロスが無くていいね」と言われると複雑な気持ちになってしまう。
更に言えば保温しているたこ焼きの状態は常に変わっていくので悩ましい。焼きたての、中も外も水分たっぷりで柔らかい状態から、時間と共に表面が焼かれて固くなっていく。三十分くらいならあまり影響は無いし、むしろ少し歯ごたえが良くなり美味しいと思うくらいだ。だがそれを過ぎると表面の固さが増して、全体的に小さくみすぼらしくなる。
ただ、そんな表面が固くなったたこ焼きの方が好きなお客さんもいる。時間と共に固くなっていくたこ焼きを見つめながら、救いの手を差し伸べてくれるそんなお客さんを待っているのは辛いものだ。
かく言う今も、俺は焼き上がってから五十分経過したたこ焼きを見つめて、神のようなお客さんを持っていた。
「おおっ、美味しそうに焼けているやつがあるじゃねえか」
祈りを捧げる俺の前に神が訪れた。商店街の中にある魚屋の店主、和弘(かずひろ)さんが注文窓の前に立っていた。
和弘さんは商店街の中の店でも珍しい、代替わりしていない初代の店主だ。歳はもう八十歳を過ぎているらしい。
この和弘さんは表面がよく焼けた固いたこ焼きが大好きなのだ。
「いらっしゃいませ! ちょうど良いタイミングですね。よく焼けたたこ焼きがありますよ」
「じゃあ、いつもの頼むわ」
そう言って和弘さんは店内に入ってくる。注文はいつもソースの六個。十二個残っていたたこ焼きが半分になる。
俺は和弘さん仕様のマヨネーズは付けずに粉カツオと青のりだけで仕上げた。
「お待たせしました。どうぞ」
「おお、これこれ」
俺が和弘さんの前にたこ焼きを置いた時、店のドアが開いて一人のお爺さんが入ってくる。
「うわっ、嫌な奴が居やがるな」
店に入って来るなり、露骨に顔を歪めるのは、乾物屋の店主の隆司(たかし)さんだ。
隆司さんも初代の店主で、二人は午後三時頃に休憩と昼食を兼ねて、よくうちの店に食べに来てくれる。
「あー飯がまずくなる奴が来た」
和弘さんも隆司さんを見て顔をしかめる。二人は犬猿の仲で、顔を合わせる度に文句を言い合っている。
「あ、少し固めでよければすぐにお出し出来ますよ」
俺が、そう言うと隆司さんは客席側からたこ焼き鍋の上のたこ焼きを覗き込んで顔をしかめた。
「俺の好みを知っているだろ。待つから焼いてくれ」
やはりそうかと俺はがっかりした。隆司さんは和弘さんとは真逆で焼き立てのふっくらしたたこ焼きが好きなのだ。
「幸也(ゆきや)許してやれよ。こいつは歳とってもう歯が使い物にならないから固い物は食べられないんだ。カリっと香ばしくて美味しいのによ」
和弘さんが笑いながら隆司さんをからかう。
「馬鹿野郎、歯は丈夫だよ! まだ自分の歯が何本も残っているんだぞ。俺はふっくらとした食感が好きなだけなんだよ!」
たこ焼きに限らず、この二人は趣味嗜好が何から何まで違う。陽気な和弘さんと物静かな隆司さん。好きな野球チームは阪神と巨人、散歩好きと読書好き、服は着られればなんでも構わない和弘さんとお洒落な隆司さん。二人はその違いを肴にいつも罵り合いながらたこ焼きを食べている。
「しかし、今の巨人は弱くなったよな。同じ伝統のチームとして情けないぜ」
「なに言ってやがんだ。阪神みたいに外様に監督やらしているチームが伝統とは笑わせるぜ」
またいつものプロ野球の話題が始まった。最近両チームで首位争いしているので、対立も激化している。
「幸也、お前はどっちのチームが強いと思う?」
「あっ、いや俺はあまり野球に詳しくないから……広島が強かったんですかね」
俺は隆司さんに聞かれてそう答えた。
「馬鹿か! 広島なんてもう弱小チームだよ」
俺は二人に声を合わせて怒られた。
それぞれは気の良い好感が持てる老人なのだが、二人そろうと対抗心を燃やして扱いに困る。これも一種のマウントなのだろうか? どうせなら時間をずらして来てくれれば良いのに。
「幸也、いつものやつくれ」
梅雨に入ったある平日の三時頃、和弘さんは店に入るなりそう言うと、いつものように席に座った。
「いらっしゃいませ! 今日も固いたこ焼きがありますよ」
俺は仕上げたたこ焼きを和弘さんの前に置いた。
「最近は固いのがいつでもあるな。店は暇なのか?」
痛いところを突かれた俺は、曖昧に返事をしてオープンキッチンの厨房に戻る。
「そういやあ、最近じじいの顔を見てないな。時間がずれているのか?」
和弘さんが「じじい」と呼ぶのは隆司さんの事だ。
「そうですね、もう一週間くらいは店に来ていないな」
「ええっ、そうなのか! 奴は三日に一回は来ていただろ?」
「あっ、いや、そうですね……でも、階段を踏み外して腰を痛めたらしいから仕方ないですよ」
「ええっ、あのバカが……年寄りが腰なんか痛めたら、ずっと動けなくなるぞ……」
和弘さんは苛立たし気にそう言った。
「あっ、でももう大丈夫みたいですよ。奥さんがそう言ってましたから」
「そうか、大丈夫なのか……」
「うちの店に来たがっているって言ってましたよ。明日か明後日には来るんじゃないかな」
俺の言葉を聞いている間、和弘さんは何かを考えているように黙っていた。
「すまんが、これを箱に詰めて、他にもう六個持ち帰りで頼む」
和弘さんはそう言って皿に乗せたたこ焼きを差し出す。
「あ、はい、ちょうどまだ六個余っているので、すぐに仕上げますね」
俺は深く考えずにそう言った。
「馬鹿か、ちゃんと焼いてやれよ、じじいは歯が悪いから、固くて美味しいたこ焼きは食べられないんだからよ」
「ええっ……ああ……」
俺は和弘さんの考えが分かって可笑しくなった。
「分かりました。ふっくらとして柔らかいたこ焼きをすぐに焼きます」
あんなに毎回喧嘩しているのに顔を見ないと寂しいものなのか。そう考えると、あれはあれで良いコミュニケーションだったんだな。
なにからなにまで趣味嗜好が違う二人。でも、不謹慎な想像だが、どちらかが先に死んだら、相手が誰より一番悲しむような気がした。
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