第2話 席替えの奇跡(直人)

 俺は今、期待と不安が入り混じった気持ちで黒板を凝視している。かつて俺がこれほど真剣に黒板を見つめていたことは無かっただろう。


 俺は桜元北高校一年C組の若宮直人(わかみやなおと)。今、俺のクラスでは席替えの抽選が行われている。


 抽選は簡単だ。タテ列に数字、横列にアルファベットを割り振った席を、全席分C5とか紙に書き箱に入れる。前に出た学級委員が出席番号の順に箱の中から一枚紙を引き、出た紙の番号がその人の席になるのだ。


 入学式以来、うちのクラスは出席番号の順番で席に座っていた。だが、それでは味気ないという一部の生徒の要望を聞き入れ、担任が席替えを許可してくれたのだ。だが、席替えは一度だけで、今回決まれば二年に上がるまではずっとその席で通す事になっている。


 俺が真剣になるのには訳がある。入学式の日に一目惚れした、香取愛美さん(かとりまなみ)の隣に座りたいからだ。



 入学式の日。彼女との出会いは衝撃的だった。


 俺はこの桜元北高校、通称桜北(おうほく)には校区外から通っている。この年から受験制度が変わり、一定の距離内であれば校区外でも受験できるようになっていた。俺は桜北の強い柔道部に入りたくて少し遠い中学から受験したのだ。


 入学式が終わると、中学時代の友達と楽しく話をする他の生徒とは違い、俺は一人さっさと教室に向かった。


 一年生の教室が並ぶ三階に上がり、俺はC組の場所を探した。A組、B組と入口の戸に貼られた紙を見ながら先に進む。すると何かの手違いか、順番的にC組がある場所に紙が貼られていない。俺は不思議に思いながら、通り過ぎて次の教室に行くと、D組と紙が貼られていた。やはり先程の教室がC組に間違いないだろう。


 元の場所に戻り、中に入るか考えて教室の前に立っていると、横から軽やかな女の子の声で話し掛けられた。


「ここ、C組の教室ですよね?」


 返事をしようと声の方を見て、俺は固まってしまう。そこには今まで見たこともないような可愛い女の子が、緊張した面持ちで立っていたのだ。


 肩に掛かるくらいの綺麗な黒髪。少したれ目な二重の瞳と小さな鼻に薄い唇。身長は百五十後半ぐらい。もう全てが俺好みの妹系キャラだった。


「紙が貼られていないけど、たぶんそうだと思う」


 俺は緊張で少し声を上ずらせて、そう返事をした。


「良かった。あなたもC組ですか? 私は香取愛美です。一年間よろしく」

「あっ、俺は若宮直人。よろしく……」


 笑顔で自己紹介する香取さんを見た瞬間、俺は恋に落ちた。


 彼女も俺とは別の、校区外の中学から受験したらしい。友達が一人も居らず、不安だったので、一人でいる俺に声を掛けたそうだ。


 それがきっかけで、しばらくの間は香取さんと親しく話をする機会が多かった。だがすぐに彼女は同性の友達が出来始め、話をするチャンスが少なくなる。席も離れているし、リア充でもない俺は自分から積極的に話し掛ける勇気も無かった。


 何かまたきっかけが欲しい。そう思っていたゴールデンウィーク明けの五月一五日の今日、席替えと言う絶好のチャンスがやってきたのだ。



 香取さんはすでに席が決まっていた。運の悪い事に、彼女は窓際の席になり隣は一つしかない。


 残り十人となり、幸いにも香取さんの横は空いている。それ以外の近くの席は二つ後ろの席しか空いていない。どうしても隣の席に座りたかった。


 俺の出席番号は後ろから二人目。そこまで彼女の横が空いている可能性は低い。祈るような気持ちで俺は黒板を凝視している。


 残り十人目、委員長が箱から紙を取り出し、番号を読み上げる。


 違った。


 俺は一瞬ほっとするが、すぐに気を引き締めて次の番号に集中する。


 九人目、八人目、七人目、六人目。奇跡のように彼女の横の席を外して決まっていく。


 残りは五分の一の確率だ。少し希望が出てきた。


 五人目、四人目。まだ彼女の横は残っている。もう後三分の一の確率だ。こうなれば俺が横になるような気がしてきた。もしかして、俺と彼女は付き合う運命にあるんじゃないだろうかと、そんな考えさえ浮かんでくる。


 彼女の席は前から二列目の窓際である2A。その横の2Bはまだ空席だ。


「3D」


 三番目も違った! いよいよ後二席。確率は二分の一、これは運命だ!


 次は俺の順番だ。委員長の増田茜(ますだあかね)が箱に手を入れる。


 一枚の紙を取り出し、数字を確認した。


「5F」

「えっ?」


 数字が読み上げられた瞬間、俺は思わず声を出してしまった。


 違った。香取さんの横にはなれなかった。それどころか俺は今と同じ席で、彼女は今より離れた席になってしまう。


 全ての席が決まり、荷物を持って移動するクラスメイト達をよそに、俺はショックで机の上に顔を伏せたまま動くことが出来なかった。


「何よ、私の横になったのが不満なの? 嫌味な態度ね。こっちがショックなくらいなのに」


 怒ったような声を掛けられて俺は顔を上げる。


 俺の横には増田茜が座っていた。


「もしかして、俺の横は委員長なのか?」

「知らなかったの? 抽選の間、あんなに睨むように見ていたのに」

「そうか、良かった! そうか……」


 委員長はしっかり者の姐御肌で、香取さんとは正反対のタイプだが、彼女と一番仲が良い。どちらかと言うと、香取さんの方が委員長の元に寄ってくることが多かった。だから委員長が横の席に座ると言うことは、香取さんとの距離も近くなるのだ。


 残りの二つの席はどちらも香取さんとつながっていた。これはもう運命だ。


「ヨシ!」


 俺は小さくガッツポーズを作った。


「変な奴」


 ニコニコしている俺を見て、委員長が怪訝そうに呟く。


 何と言われても良い。俺は今、最高の気分なのだから。

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