第三十六話「お姉様。指輪とは、八賢人の試練に使う儀式道具です。すなわち――八賢人の候補にお姉様の名前が挙がっているのです」

 それは数日前のこと。

 稀代の陰陽術師である篠宮百合は、その己の知性をもってしても解き明かせない謎に直面していた。

 ――"今夜二人でDiffie-Hellman方式の鍵交換とでも洒落込みませんか?" の今夜が、いつまで経っても来ないのだ。



(おかしいです。あれ以来、ジーニアス君からのお誘いが全然来ないなんて)



 向こうが惚れ込んでいる理由は分からない。

 天使だ、可愛い、とかなんとか熱烈に言い寄ってきたが、そんなことをあまり面と向かって言われたことがない篠宮は、ただただ戸惑ってしまう他なかった。

 どことなく不気味と言われるこの銀髪や、奇抜だと扱われるこの着物姿でも、それを可愛いとまるごと受け入れてくれる人は少なかった。

 遠巻きから綺麗だとひそひそ言う人はいても、やっかみや妬みを混ぜる人もいて、あれだけ近い距離で褒められたのはほぼ初めてといってもいい。



 ……だというのに、今度はほったらかしである。



(よく考えたら、こっちからのお誘いは全部無視してるじゃないですかっ! せっかく呼び出したりウインクしたりしたのに、全部無視して、いつの間にかナーシュカさん経由で生徒会の風紀委員になっていて、でも全然ろくな挨拶もないし、そしたら今度は急にお姫様抱っことかして、可愛い可愛い言っといて、それで放置って)



 あまりにも気まぐれすぎる。

 長き時を生きるエルフとは、感情の時間軸が違いすぎる。



(私が馬鹿でした。念には念を入れよ、ということであの黒猫の気まぐればばあユースティティアに相談したのが間違いです。鍵交換とは古来の言葉で"でぇと"なるものではないか、と聞いたら失笑されてしまいました)



 "でぇと"だったらどうしようか、お互いのことをよく知らないので最初はお友達から、とかいろいろ考えてしまっていただけに、笑われたのは心外であった。しかもあのいけすかない黒猫の魔女にだ。そんなもの、べっかんこうのべか太郎である。



 それはさておくとして。

 篠宮がもう一つ気にしているのは、現状起きている盗難騒ぎについてである。



(濡れ衣を着せられて、いずれ困り果てたジーニアス君は、生徒会長である私に泣きついてくる……と思っていたのですが、妙ですね)



 元々は、あのうら若き枢機卿のルードルフから持ち掛けられた話である。

 学院の諸々の問題を一掃するのと同時に、ジーニアスの実力を試してみたい、ついてはひと騒動起こすので一つ頼まれてくれないかと。



 研究費の不正な使い込み、宝石装飾品の贋作の売買、密造酒の作成――その他諸々の問題を、架空の怪盗に被せたのである。

 名目上は、「架空の怪盗の被害者」ということにして――実質上は、生徒会とルードルフが弱みを握り、都合がいいときに便宜を図ってもらう相手として扱うために。



 それゆえ、篠宮は条件付きで許可をした。

 あくまでジーニアスにかける嫌疑は容疑であり、実際には"生徒会による保護"に近い扱いとすること。そして、各方面に弱みを握るのはあくまで再犯防止のためであり、悪事の容認ではないこと。



 この二つを前提として、かくして怪盗チェストなる存在は生み出されたわけである。



(ですが、ジーニアス君はまた消えてしまいました。まさか世界迷宮に逃げたとは思いませんが……こうも消息を追うことが難しいなんて、奇妙なことです)



 物事が想定通りに進まず、篠宮は頭を悩ませることになる。

 とあるメイドの話が舞い込んできたのは、まさにそんなときのことであった。



 風紀委員の調査資料を調べ回る怪しい人物がいる――と十二天将の紙人形より報告が入った。

 六壬式盤を水面に展開して水の相を見ると、学院構内の各地に無断で侵入する影が観測された。



 相次ぐ情報に、細く浮かび上がる人物が一人いる。



(まさか――ジーニアス君が変装している、ということはないですよね?)



 まさかの仮説だが。

 目撃証言から、外見が全く一致しないとは聞いているが。



 篠宮の疑惑は、あくまでただの思い付きにしか過ぎない。



 しかし同じことである。仮説が正しいにせよ間違っているにせよ、この事件については内々の話で決着がついている。

 部外者が変な判断をしても問題につながる。探りは入れておかないといけない。



 どうせ、可愛いメイドに耳元でごにょごにょ囁かれるだけである。念のため、耐精神汚染のおまじないを二重にかけておけば洗脳なども弾くことができる。

 一部の男子生徒が興奮して語るような、そんな強烈な体験になるはずもない――。











 ◇◇











「こ、こんな、四つん這いで押し倒して、逃げられないように手を組まれて、ぞわぞわする声でしゃべり続けるなんて思わないじゃないですかっ」



 まさかの説教である。面目ない。俺も妹も言い返す言葉はなかった。

 耳を隠したまま顔を真っ赤にして半泣きで怒る篠宮さんは可愛かった。



「というか、これ聞いていいんですか、あの、多分ジーニアス君ですよね? じゃないとあの面倒くさがりのナーシュカさんがわざわざ動いて権限委譲の資料とかを用意しないというか」



「想像にお任せする」



「お姉様の意向にお任せします」



 結構きわどいことを質問されてしまったが、あくまでしらを切る。

 こういうとき、俺とターニャは息ぴったりである。

 外向きの顔がいいのでターニャは優等生だと思われているが、ひとたび俺の共犯者になってくれたらとても心強い。



「……そのキャラ続けるんですね?」



 なんだか納得のいかない表情の篠宮さんも可愛い。曇った顔が可愛い人も世の中にはいるのだ。

 話題を強引に変えるため、俺は事件の真相について矛先を向けた。



「……生徒会長。恐らくあなたは、この聞き取り調査に参加しても問題ないと考えた。なぜならあなたは何も盗んでいない・・・・・・・・から。むしろ、部外者がどのような聞き取り調査を行っているのか、探りを入れるためにここにやってきた」



「そうです。事と次第によっては真実の一部を開示するつもりでした。ですがそこまで推理されていたとは予想外でしたよ、ジーニアス君」



「メイドのジーニャと呼んで」



「……」



 何だかとても難しい顔を浮かべている。何故だろう。



「推理は簡単だった。現場の南京錠など、本当に盗難が起きたのであればおそらく人が触るであろう場所の指紋を調べた。そして、容疑者の指紋とパターン照合をかけて調査した。結論から言うと、風紀委員が調べている容疑者リストと、指紋データはほぼ一致しなかった」



「しもん、というのが分かりませんが……そうですね、風紀委員がマークしているリストは別のものです。表向きは容疑者リストとしてますが、本質的には別の理由で調査対象となってます」



「そこからは簡単な推理だった。そもそも盗難が起きていない、だが盗難が起きたことにすると都合がいい――と仮定すると話は早かった。というよりも、それ以外に犯行声明文のカードの説明がつかなかった。何故盗んだことをアピールする必要があるのか、と」



「そうです。架空の怪盗をでっち上げるためのものですよ」



 はあ、と観念したようなため息を一つ吐いた篠宮さんは、そのまま俺の説明を引き継いだ。



「完全に学院側の都合です。巻き込んでしまって申し訳ありません。怪盗が現れたことにして処理したかった案件が積み重なっていたのです」



「別にいい。最終的に無実だと証明できるなら、特に問題はない」



「ジーニアス君には、後で謝礼金代わりに魔術学院の不要物品が進呈されるでしょう。教官たちの人事異動などで、資産管理の帳簿上、誰も所有していない死に資産になったものですので、遠慮なくもらってください」



 篠宮さんから頭を下げられたが、俺は特に問題だと思ってないのでむしろ気が引けてしまった。どちらかというと、俺が学院側に迷惑をかけてきたほうが大きいので、この程度なら些事の内に入る。

 だから謝礼なんてそんなのもらっていいのだろうか、と一瞬疑問に思ったぐらいだが、もらえるものであればもらってしまいたい。

 差し引きで見れば得をしたぐらいだろう。



「……問題ない」



「やっぱりジーニアス君なんですね」



 ふふっと篠宮さんに笑われる。そろそろ頬の赤みも落ち着いて、ほんのりと桜色になっているのが目を引く。ばればれな嘘を見抜いて嬉しそうなのがまた可愛らしい。隣の妹からちらっと怪訝そうな目で見られてしまったので、あまり見とれることはできなかったが。



「ところで、怪盗チェストというのはどういった意味なのか気になっていた。推理するに、チェストには平坦な胸という意味と」



「! だから私を疑ったんですか!? 違いますよ平坦な胸じゃないです」



 他に櫃(宝を入れる箱)という意味がある、と続けるつもりだったがすごい速さで遮られてしまった。

 ちょっと誤解されてしまった気がする。



「いいですかジーニアス君。チェストとは薩摩示現流につらなる、古流剣術に用いられた掛け声です。知恵を捨てよ、一の太刀疑わず、の精神を示しているのです。チェストの意味を聞くようなものにはチェストはできません」



「……本当?」



「……ルードルフ君に聞いたわけではありませんが、恐らく」



 ターニャと目があった。思わぬ名前がここで飛び出してきた。特級指定魔術師の一人。つまり、すべてそのルードルフという人物が裏で糸を引いていた――という可能性もあるわけである。

 一瞬呆気に取られてしまった俺とターニャだったが、篠宮さんはむしろそれが本題だとばかりに話を続けていた。



「そうです、ルードルフ君のことです、思い出しました。これだけは伝えなければと思っていました」



「何?」



「指輪を渡すに足るか、確かめたい――という伝言を預かってます。もしこの事件の真相にたどり着いた場合は、そう伝えてくれと」



 指輪? と頭に疑問符が浮かぶ。ターニャと篠宮さんの表情が真剣なものに変わったのを見るに、恐らく重要な内容なのだろうが、俺には見当がつかなかった。

 だが、ターニャが分かりやすく言い換えてくれた内容を耳にした瞬間、俺は全てが吹き飛んだような衝撃を覚えた。



「お姉様。指輪とは、八賢人の試練に使う儀式道具です。すなわち――八賢人の候補にお姉様の名前が挙がっているのです」




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