第5話 盤面をひっくり返す反則な男
「クラージュ! ≪
「あぁ、任せてくれ!」
ゲーベンの強化魔法を受けたクラージュが、重装備に身を包んでいるとは思えないほどの速さでブルーノに接敵する。
「なにぃいっ!?」
「申し訳ないけど、これは決闘ではないのでね。無粋な真似をさせてもらうよ」
彼の言う通りルールのある決闘であれば、ゲーベンの強化も受けられず、勝敗は分からなかったであろう。
けれど、これは実戦であり、ゲーベンやリーナを護る戦いでもある。
クラージュとて戦う者としての誇りは持ち合わせているが、誰かの命を背負っている時に、自身の誇りを優先させるほど愚かではなかった。
「ぐぅうっ!? 平民風情がっ、小癪なっ!!」
見た目の重厚さを感じさせない小枝でも持っているかのような軽やかさで、クラージュは大楯と穂先の長い馬上槍を振るう。
クラージュの圧倒的な攻撃によってブルーノは劣勢を強いられる。
技量はブルーノが上。けれども、圧倒的な身体能力の差にブルーノは守勢ばかりで攻撃に転じられないでいた。
クラージュとブルーノ。強化魔法を抜きにした彼ら本来の実力差が分かるのか、リーナは目を星のように瞬かせて熱量の高い感嘆の声を上げる。
「おぉ! さっきも思いましたけど、ゲーベンさんの強化魔法は凄いですね!」
「まぁな! 強化魔法で俺の右に出る者は、世界中探してもいねぇだろうよ!」
自慢の強化魔法を褒められてゲーベンは気分が良くなる。
有頂天になり吐いた大言壮語であったが、リーナは冗談と受けとめなかったらしい。
ほえぇと感心したように声を漏らしている。
「なるほど。強化魔法であればなんでもできるんですか?」
「当然だ」
「ふむふむ」
なにやら納得したようにリーナは頷いている。
完全に見物客となった二人が観戦していると、戦闘も大詰めになっていた。
「貴様ぁあっ! 他者の手を借りて戦うとは、誇りがないのですかっ!?」
「誇りで守れるのは自分だけだから。そんな自尊心、七年前に捨てたさ」
レイピアこそ折れていないが、ブルーノのマンゴーシュは刃こぼれし、ほつれ一つなかった礼服は至る箇所が擦切れ、露出した肌から痛々しく血を垂れ流している。
「クラージュさん! さっきも言いましたけど、殺さないでくださいね!」
「それはっ! 僕としても殺したくはないけど、どうしてだいっ!」
「魅了されて操られている人を殺したくはないですから」
魅了という言葉に、ゲーベンもクラージュも一定の理解を示す。
理性こそ飛び我を忘れてはいるが、本人の意志が皆無というわけではない。昨日、ゲーベンが相手にした男達も、魅了されて興奮状態にあったというのであれば、性的欲求に抗えなくても仕方がない。
――とはいえ、リリィだけしか目に入ってなかったのは謎だが。
まさか、魅了をかけた本人が追われていた、なんて間抜けな話ではないだろう。
いささか不可解な点は残るも、納得ができる話だ。
意外なことに、リーナの説明に最も理解を示したのはブルーノであった。
「なにを当たり前のこと。私は麗しき姫君の美しさに惚れ込んだのです。いわば、愛の奴隷。操られているというのであれば、それは愛ゆえのこと」
「おい、こいつ本当に操られてるのか?」
目が充血しているという共通点はあるものの、唯一理性を残しているブルーノは朗々と恥ずかし気もなく臭いことを口にする。
ゲーベンからすれば、愛に酔った馬鹿にしか見えず、操られているとは到底思えなかった。
「他の人より抵抗力が強いのか理由はわかりませんけど、魅了されているのは間違いありません!」
「それは神官だから悪意を見抜けるとかそういうのか?」
「いいえ! 乙女の勘です!」
「一気に信憑性が落ちたな、おい」
信用の欠片もない。
せめて神官の勘であったならばゲーベンとて己を説得できたが、乙女の勘などとゆるふわで根拠が
ただ、信用するしないは置いておいても、彼女の言を実行できるかは別問題なのだ。
「けど、殺すなと言っても、さっきのように気絶させるのも難しい実力なんだけど」
「平民がぁあ! 存外やるようですが、ここまでです! 我が麗しの姫君の下僕共よ、いつまで惰眠を貪る気ですか! 体を起こし、その身をルスラン様のために役立てなさい!」
ブルーノの咆哮のごとき
まさかと三人が揃って目を見開き気絶し転がっている住人たちを確認すれば、手足を震わせながらも、赤い目を爛々と輝かせゲーベンたちに襲い掛かってきた。
『ルスラン様のためにぃいいいいいっ!!』
「
殺しても殺しても死なない死人のように、何度倒れても蘇る住人たち。
「これはっ、ちょっと厳しいな……っ!」
ブルーノを相手にしながら、人とは思えない形相で向かってくる狂人たちの数の暴力に、さしもの強化を施されたクラージュも苦悶の声を上げる。
その光景を見ていたゲーベンが苦々しい表情を浮かべる。
「助けるって言ったってな」
背後は壁で、正面は狂人の津波。
逃げ道はなく、強化しているクラージュですら苦戦している戦況である。
通路幅が狭いからこそクラージュ一人で守れているが、このままでは逃げるのもままならない。
そんな手が回らない状況で他人の心配をする余裕はなかった。
なにより、住人たちが起き上がってから殺人衝動とは異なる欲求を叫び始めてゲーベンはやる気が削がれていた。
「ルスラン様を犯したいぃいいいっ!」
「俺のをしゃぶってもらいたいぃいいいっ!」
「セックスぅううううううううっ!!」
「……こいつらを救う価値があると?」
自慰を覚えたばかりの猿か思春期の少年かのように、羞恥心の欠片もなく己の劣情を周囲に喧伝する住人たちに、ゲーベンは冷ややかな目を向ける。
たとえ助けたからといって、彼らの社会性はもう死んでいるのではないだろうか。
潔くここで殺してあげるのが、世界にとっても彼らにとっても幸福なことではなかろうか。
ごりっ、ごりっと鉄やすりでモチベーションが削られていくゲーベンとは違い、やはり神官であったらしいリーナは、迷いに迷って迷走している哀れな子羊たちを見捨てようとはしなかった。
「魅了されていて、欲望が抑えられないだけですから! ……多分」
「おぉい! 今余計な一言追加したな?」
心優しき神官すら心揺らぎ始め、彼らの命も風前の灯火であったが、もう一人だけ諦めていない男がいた。
「ゲーベン! バジリスクの時のように、耐性を強化して魅了に抗えるようにできないのかい!?」
「無理」
「どうして!?」
後ろに通さぬよう、必死に戦いながらも打開策を提案したクラージュを、ゲーベンはにべもなく一蹴する。
「やってもいいが、下手したら廃人だぞ、そいつら」
強化魔法はゲーベンの専売特許だ。
ゆえに、他人が思い付く程度の案を彼が検討していないわけがなかった。
「バジリスクの麻痺と違って、魅了ってのは肉体ではなく精神に作用している物だ。かかる前ならまだしも、かかった後に抵抗を上げたんじゃ、魅了と俺の強化魔法のせめぎ合いに精神が耐え兼ねて、壊れかねない」
命は助かるだろうが、心は死ぬ。
成功する可能性がないわけではないが、確率は良くて一割以下。他人の命を賭け皿に乗せるにしては、いくらなんでも危険過ぎる。
「一か八か試すならやるが、どうする?」
「ダメですよ!」
答えを理解しつつもゲーベンが問いかけると、返答したのはリーナであった。
「それは本当にどうしようもなくなった時で、他に方法がないか考えてからにしましょう!」
「聖職者らしい提言だな、けど」
ふんすと気合十分のリーナから、ゲーベンは正面へと視線を移す。
丁度彼が目にしたのは、クラージュが這いずる男を通過させてしまう瞬間であった。
「そろそろどうしようもなくなりそうだが?」
「ごめん一人送った!」
「うーん、絶体絶命!」
リーナはどこまでいっても能天気であった。
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