第一章 1 シャンタリオへ(初稿)

 2 神の助け手(初稿)

 せっかくの運命の人たちの出会いの場面、もっと色を乗せたいなと思って書き直していたら長くなり、2つの話に分かれました。そういうことで本編が「2 夢の中の声」の1話分増えております。






――――――――――――――――――――――――――――――


「お気が付かれましたか?」


 柔かい女の声がした。

 どこかで聞いたことがあるようなないような。誰の声だっただろうか、懐かしい声のように思えた。


「ミーヤ?」

「は?」


 違ったようだ。


 トーヤはまだ目を開けられず柔らかい布に体をすっぽりと預けた。

 温かい、ふんわりとした、まるで雲に乗っているような感じだ。いや、雲に乗ったことはないけどな、そんなことを思いながら温かさに甘えるようにううん、と寝返りを打った。


「お気が付かれましたか?」


 もう一度誰かの声がそう言った。

 誰だ?

 

 いやいやをするように首を振り、うっすらと目を開ける。

 まぶしい。

 目の前には見たこともない女がいた。

 

 黒い髪をゆるやかにまとめ、何かキラキラした飾りがついたものが黒髪にきらめいている。まだ若い少女だ。化粧っ気のない張りのある肌はトーヤが港町で見ていた女たちとは随分と違うものであった。トーヤがよく知る女たちはみんな夜の光の中で生えるように若くても白粉おしろいべにをつけて自分をいろどっていた。

 心配そうにトーヤを見下ろすその顔は、あどけないという言葉が一番ふさわしい。若くとも隙のない目つきで客の懐具合ふところぐあいを探る女とは種類が違うのは一目瞭然いちもくりょうぜんであった。


「……あんた、誰?」


 トーヤの口から素直に出たのはその言葉であった。

 実際、それ以外に言えることは何もない。

 

「お気が付かれましたか?」


 女は、いや、少女は3度目の同じ言葉を口にした。

 トーヤは今までそんな丁寧な言葉で何かを尋ねられたことはない。なんだか背中がムズムズするような感じがした。


「いや、あんた、いや、ここ、どこだ?」


 まだ全然状況が飲み込めない。

 う~んと頭を回して、ガバッと跳ね起きた!


「船、そうだ船、嵐がきて、船、どうなった!」


 自分が嵐の中、荒天の海に放り出されたことはおぼろげに思い出した。

 冷たい波の中でもみくちゃにされ、もうだめかと思ったことも思い出した。


「生きてるのか、俺……」


 両手を広げて見渡すと、えらく高級そうな絹でできた着物を着せられ、やはり高そうな絹の上敷きのある布団の上に寝かせられているようだ。もちろん上掛け布団も絹だ。


「なんっだ、これは……」


 あらためて周囲を見渡しトーヤは息をするのを忘れてしまうところだった。


 高級そうなのは布団だけではない。ベッドは豪華な天蓋てんがい付き、透けたしゃの垂れ幕の向こうに透けて見えるのは見たこともない光景だ。

 開け放たれた窓にもやはり紗のカーテンがかけられ心地よい風にそよそよと揺れている。日が高いので時刻は昼を過ぎているのだろうか、暑そうな空気もその風が適度に冷やしてくれているようだ。

 周囲の調度品も見たことがないぐらい豪華で、ベッドの脇のテーブルやキャビネットは白を基調として統一した色合いで揃えられており、どれもつやつやと光る木地に金や銀で象嵌ぞうがんを施されている。見るからに座り心地の良さそうな長椅子に張られた生地には、いつもトーヤが目にしているようなほころびなど一つも見つけられず、きれいな花模様の刺繍ししゅうが見てとれる。


「なんなんだ、これは……」


 もう一度そう言うとトーヤはふと思い出したようにそばに控えている少女に目を移した。


 つややかな黒い髪をやんわりとまとめ、そこに金属や色とりどりの石のついた鎖のようなものが飾ってある。髪飾りとは別に額にまで垂れる鎖の先にもやはり青い石がついていて少女の黒いつやつやとした瞳と合わせて3つの光がキラキラときらめいている。

 顔立ちは、美しいと言うよりは可愛らしい。ふっくらとやわらかそうな頬はほんのりと赤みを帯び、きゅっと引き結んだ唇はそれでも柔らかいカーブを描いてやや笑みを浮かべているように見える。


「あんた誰だ?ここは一体どこなんだ?」


 トーヤが少女に向けて尋ねると、少女はにっこり笑い、ゆっくりと片膝をついて床にひざまずき、頭は下げずに小首をかしげてベッドの脇からトーヤをやや見上げるような姿勢になってから答える言葉を口にした。


「それは今、私どもからはお答えいたしかねます、もうしばらくお待ちください」


 そうして軽く会釈を一つするとやはりゆっくりと立ち上がり、トーヤは気づいていなかったがそばにいる少女よりさらに年下のような少女に軽く向き直り、小声で何か指図をした。聞いた少女は軽くうなずくと一つ会釈をして部屋から出ていってしまった。


(どういうことだこりゃあ……一体何があったんだ……)


 どう考えても何も思い出せない。そして聞いても「今は答えられない」ときたもんだ。


(まるで妖魔にでもつままれたような、いや、そんなもんじゃないなこれは)


 もっとたちの悪い、人を持ち上げておいて一気に地獄の底に突き落とす魔のしわざか?ときゅっと身をすくめてトーヤは口をつぐんだ。何を聞いても答えられないのでは話をする価値もない。

 

 どうしようもないと開き直るとちょっと気持ちが落ち着いた。することもないので周囲をもっと観察してやろうとトーヤは目だけで周囲を注意深く見渡した。

 調度品はさっき見た通り、どれも見たこともないぐらい豪華、に見える。だが実際に本当に高価なものかどうかは分からない。あくまで「見える」だけだ。もしもトーヤを騙すために高価に見えるだけのものを用意したとしたらえらく暇なことだな、そんなことを思いながら一通り眺めてみた。


 次に、近くに控えてニコニコしている例の少女を見た。

 顔付きはそれほど自分たちと違う造りをしているわけではないが、見たこともない服装をしている。


 ハイウエストの幅広の帯でキュッと締められた上着は薄い生地の薄いオレンジで、少女の黒い髪がふんわりとかかってよく映えている。帯の下からなだらかに膝上までの高さに流れ、その下にやはり胸の下から上着よりやや濃い、赤みを帯びたスカートのようなものをはいているが、さきほど片膝をついて跪いた時に見た限りだとどうもズボンのように両足それぞれにはく形になっていて、立っているとゆるやかに身を包んでいるためにスカートと見分けがつかないような造りになっているらしい。


 スカートの上にはブラウスのような白い服が上着を透かして見えている。足元はキラキラした石がついたサンダルを素足に履いている。

 体の前で軽く組まれた服の袖は手首のところでキュッと締まり、その先に続くほっそりした手の先、爪は磨かれたようにつやつやとしていた。


(きっと水仕事なんかしたこともないんだろうな)


 トーヤは自分の知っている女たちの手を思い浮かべて比べた。手入れはしていてもどうしても生活が手に出てしまう。働く手だ。


 そんな風にあれこれと思いを巡らせていると「チリンチリン」と鈴の音がして人の近づく気配がし、豪奢ごうしゃな扉が開いて2人の、今トーヤのそばにいる少女と同じような格好をしたやはり少女を従えた女性が部屋に入ってきた。


 服装は少女と似たような形をしているが、年齢はもう少し上の二十歳前後に見えた。やはり黒い髪をこちらはシニヨンのようにゆるくまとめている。


 ゆっくりとトーヤが上半身を起こして座っているベッドの傍らまで近づくと、ふわっと柔らかい笑みを浮かべ声をかけてきた。


「お気が付かれましたか?」


 よく通る心地よい声だったが、本日4回目の同じ問いかけにトーヤはため息をついた。


「お気が付かれましたけどどういう状況なのかよく分からないので困ってるところだ」


 女はにっこりと笑うとこう言った。


「シャンタルの託宣により、あなたを『神の助け手たすけで』としてお迎えいたしました。わたくしはマユリアと申します」


 トーヤは驚きのあまりあんぐりと口を開けたまま女を見上げた。


  シャンタリオに来るに当たってとりあえず最低の基礎知識として頭に入れたことが浮かんだ……


「この国はシャンタルという生き神様が治めている」

「シャンタルを支えるのはやはり女神でシャンタルの侍女のマユリアである」


 トーヤとしては冗談のようにしか思えなかったその聖なる存在が、今、自分の目の前にいる。

 どう考えてもやはりたちの悪い冗談か魔につままれた状態としか思えなかった。

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