第2話
†
それは、もう気が遠くなるほど昔の話。
十年とか、二十年とか。
そんなレベルじゃきかないくらいの過去————前世の、話。
「私、決めたんだ。魔法はもう、二度と使わないって」
鈍色に染まった空の下。
ざぁっ、と音を立てて吹かれる風と共に、私はそんな言葉を口にした。
この世界では、随分と長く戦争が行われていた。悪意が猛威を振るい、荒れ狂う世界。終わりの見えない戦争ってやつは、何よりも私達にとって身近な存在であり、忌むべきものだった。
でも、終わりの見えない戦争も漸く、終わりを迎えようとしている。
荒れに荒れた大地を見下ろしながら、隣で地面に腰を下ろす青年に向けて私がそう発言をしたのはそんな理由からだった。
「クラウスには内緒にしてたけど、もし、こんな日が来る事になったらそうしようって前から決めてたんだ」
青年————クラウスの名を呼びながら、私は言葉を続けてゆく。
彼は、私の婚約者だった。
所謂政略結婚ってやつだったけど、仲は多分、良かったと思う。
戦争の同盟相手に。
たったそれだけの理由で組まれた縁談。
そして来る日も来る日も戦争に悩まされ、私達自身も戦争に駆り出されていた事もあり、もう十年近く近くで過ごしてたというのに、婚約者らしい事なんてたった一度もした試しがなかった。
……でも、今思えばそれで良かったのかなって、思う。たとえ仲が良かろうが、悪かろうが、私とクラウスが一緒に過ごせるのはこの日が
未練がなくて良かったじゃん。って、何度目か分からない言い訳を心の中で重ねながら私は笑った。
「戦争は終わったのに、旗頭になってた
本当はもうちょっと色々と理由はあったんだけど、大きくそう纏めて口にする。
戦争は終わったんだって民草に教える為にも。余計な不安を煽らない為にも、戦争を私達から遠ざけなければならなかった。
本当の平穏にはまだ、辿り着いていない。
まだ、道半ばであるから。
だか、ら————。
「……お前らしいな」
伊達に長い付き合いじゃないからか。
呆れ混じりに返ってきたその返事には、理解の色が含まれていた。
「でも、いいんじゃねえの。そういうのもさ」
少なくとも俺は、その考えを尊重してやるよって、言葉を付け足して、クラウスは仕方なさそうに笑った。
————もう必要ない。戦争の為だけに使われてきた魔法は、戦争の道具としての認識が根強く滲み込んでいる。だから、この力はもう要らないし、使っちゃいけない。
少なくとも、この〝戦争〟が風化するまでは。
現国王陛下でもある父にそこまでする必要はないと言われ、反対されてしまった決め事。
でも、「お前らしい」って言って、クラウスは肯定をしてくれる。
その「私らしさ」ってやつで散々クラウスを振り回してきた張本人だから、私は苦笑いを浮かべるしかなくて。でも、その言葉は何よりも嬉しかった。
「俺は好きだけどな、お前のそういう綺麗なところ」
苦笑いを浮かべる私の表情から、既にそのことを誰かに相談して反対され済みと見てか。
笑われてしまう。
「民草の為に。民草の為にって、何をするにしてもまず自国の民を想うお前の考え方は何も間違ってねえよ」
たとえそれが、意味を成さない行為であろうとも。その姿勢は称賛されて然るべきものだ。
そう、クラウスは私の言葉をどこまでも肯定してくれて————でも。
「だけど、二度と使わない。は、駄目だ。そこだけ訂正してくれ」
「……訂正?」
散々肯定してくれてたのに、何故か最後の最後で駄目だしが入る。
「……魔法を使わなくちゃいけない状況に陥った時は、ちゃんと躊躇いなく使ってくれ。たとえば、自分を。誰かを、守らなくちゃいけない時とかさ」
……あぁ、そういう事か、って、納得がいく。
私が自他共に認める〝ど〟が付くほどの頑固者だから。一度決めてしまった事に対してはたとえ身を滅ぼす事に繋がろうともそれを貫こうとする。
故に、クラウスは言ってきたんだと思った。
使わないと決めたら、たとえ自分が死ぬ状況に陥ったとしてもそれを貫こうとするかもしれない頑固過ぎる私に対して、「二度と使わない」はやめてくれって。
「……心配、してくれるんだ」
————もう、婚約者でも無いのに。
その言葉を続けようとしたけど——やめた。
喉元まで出かかった言葉を直前で飲み込み、誤魔化すように自分でも分かる不器用な笑みを向けておく。
百数十年と行われ続けていた戦争に終止符が打たれ、結ばれた和平。
様々な条件が盛り込まれ、漸く合意に達した和平条約には、国家間での同盟は勿論、結婚といった血の繋がりを作る事を禁ずる、というものがあった。
この和平を長く続けていく為にも、国家間同士での繋がりをつくらず、国力の差を出来る限り付けない。そんな約束が交わされていた。
だから、王女である私と隣国の王子であったクラウスは——元、婚約者。
「当たり前だ。婚約者の心配をして、何が悪い」
クラウスにだってその通達は行ってる筈なのに、何を当たり前の事をって、平然と言ってのける。
「それに、お前が俺の立場だったとしても、どうせ俺と同じ事を言っただろ?」
私が、クラウスの立場だったとしたら。
その前提で少しばかり考えてみると、確かに言ってる気がする。なんて結論が出てきた。
本当だ。人の事全然言えないじゃん、私。
「……十年って、短いようで長いんだよな」
「……そうだね」
「十年前は、ただの婚約者だった。親の言葉一つで決められただけの中身のない関係。でも、十年も一緒に過ごせば、こうも変わっちまうんだ……十年は、長過ぎるんだよ」
せめて。
せめて、あと数年早ければ良かったのにな。お互いに。って言葉が続けられた。
お互いに、婚約者という関係に居心地の良さを感じてしまっていたから。
未練なく離れる……には、些か一緒に居過ぎた。
「……思えば、婚約者らしい事なんて一度もした事が無かったよな」
「そんな時間は無かったからね」
「それも、そうだ」
寝ても覚めても戦争、戦争。
色恋にうつつを抜かす暇なんて一秒とて存在してなかった。だから、これは仕方がない事であって。
やがて降りる沈黙。
それは、十秒、二十秒と過ぎてゆく。
その時間がクラウスなりの葛藤であったのだと、続く言葉のお陰で気付けた。
「……ずっと、言えてなかったんだけどさ。なぁ、アイファ————」
————愛してる。
……今、このタイミングで言うことか。
って責め立てたくなる言葉が私の名前と共に口にされる。ただでさえ未練だらけなのに、未練に逃げ道を塞がれて雁字搦めにされてしまいそうだった。
でも、何処か涙声になっていたその一言に文句なんて言えるはずが無くて。
つられるように、じわりと温かい何かが私の頰を伝って落ちて来ようとする。
それを歯を噛んで必死に抑えながら、これ以上の未練を作ってなるものかって聞こえないフリをしようと、聞き返そうとして。
「……クラ、ウス?」
一瞬俯いた間に、私の顔に影が覆い被さっていた。それは、クラウスの影。
どうして。
そう思ってる間に私とクラウスの顔の距離はお互いの息が当たる程近くなっていた。
やがて、私の唇に自分ではない他の温もりが触れる。それが接吻であって、離別の意味を示すものであるのだと否応なしに理解させられた。
程なく、触れ合っていた唇が離れてゆく。
「……しょっぱ」
ちょっとだけ涙の味がした。
接吻自体は別に嫌では無かったけど、こういう事は初めてだったから妙に気恥ずかしくて。
羞恥心を隠すように、私は笑いながらそんな感想をもらした。
「……悪い」
「……でも、悪くないかな。こういうのも」
もう婚約者でもなくなったのに、こういうところを他の人に見られたら怒られちゃうのかなあ。
なんて感想を抱きつつも、悪くなかったと私は伝える。
そしてそれが、私とクラウスの最後の思い出になった。
また、いつか。どれだけの時間がかかるかは分からないけど、いつか、会いにいくから。
叶う筈のない約束を二人で交わす。
お互いに、それは理解してた。
でも、それでも、いつか会えますようにって、願いたかったんだ。信じたかったんだ。
たとえ、口の中がどうしようもなくしょっぱくて。涙の味と理解しながら、それがこの世界という現実の味のように思えてしまっていたとしても、私は————。
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