3 剣士は嬉しく思った
北から風が吹いていた。この所、気温が下がったように思う。季節が変わり始めているのだろうか。
「嫌な風」
誰に言うでもなく、そんな感想がクリスの口から漏れていた。
アポソリマに来て四日が経っていた。その間にした事、と言っても特にない。王都の中を案内され、戦の状況を説明され、空いた時間に訓練をした。そんな所だ。
「そうか? 涼しくて、ちょうどいいけどな」
少し離れた所で腰を下ろしていたクレッドが、何気ない呟きに答えた。
「なんとなく、ね」
先程まで日課の訓練をしていた。一段落して休憩している所だ。ここからは王都北側が見渡せるようになっている。眼前の街は、今日も工房から上がる煙が見えた。
遠くないうちに、この街は戦場になる。こういった時、市民は逃げ出す事が多いが、ここではそれも殆どない。逃げると言っても行く先が無いからだ。東西にある農村に逃げれば、直接的な戦火は避けられるだろう。とは言え、それらの集落が受入れられる人数はたかがしれているし、アポソリマが落ちれば先がない事に違いはない。
曖昧な返事に少し首をかしげていたが、彼は何も言わずに立ち上がった。
「そろそろ続きをしようぜ」
そう言って剣と盾を構える。頷き、それに応じた。
本来なら姫を「アポソリマ」まで送り届けた時点で、自らに課した誓いは果たしたことになる。旅に同行した者達もそれは同じだろう。だが、誰一人帰ろうと言う者はいなかった。
ホルムヘッドは、レナリア王の勅命を受けているから、帰れない。
リウィーは、あの時の少女と、因縁がある。
クレッドは、ただ、フィルナーナの為に。
ここに残るという事は、ガスティールと戦う事を意味する。状況からみて勝算が高いとは言えない。命懸けの戦いになるだろう。
戦士が命を懸けるには、理由が必要だと思う。彼らには理由がある。
では、私にはあるのか。そもそも、旅の目的は何だっただろうか。
クリスは母国では優れた戦士だった。剣技だけなら五指に入るほどの腕前を誇っていた。
ある時、越えられない「壁」が、立ちふさがっているのを感じた。
剣の師には、今のままではそれを越える事は不可能だ、と宣告された。
耐えがたい事だった。
師に言われた。
「この大陸のどこかに、剣聖への悟りを開く伝説の祠があるという。その祠を探しだせ」
そうして旅に出た。
そんなものが本当にあるのか。行きつく先々で祠についての情報を集めた。いくつもの街を渡り歩いたが、噂すら耳に入る事はなかった。一年ほど放浪したのち、皆と出会った。
初めは少し手伝うだけのつもりだった。これと言って宛もない。寄り道しても構わないだろう。レナリアの首都ハイルナックまでのつもりだった。
そうこうするうちに、請われて稽古をつけるようになった。始めのうちは伸び悩んでいたが、レナリアの将軍マラーナと手合わせした辺りから、明らかに変わった。
それからは、数を重ねるたびに飛躍的に強くなっている。神弓の騎士は「武の民」の血を受け継いでいるのかも、と言っていた。確かに天武の才を持っているのかもしれない。
だが、それだけではないはずだ。クレッドの、フィルナーナを守りたいと言う純粋な想いが糧になっているのだ。
初めは「口出しするつもりはない」と言った訓練で、そこに気付いた頃から口を出すようになっていた。そして、己に足りないものも、おぼろげながらわかってきた。
師の言った「剣聖の祠」は実在しない。師は、旅の中で悟れと言いたかったのだ。
強くなるという事は力や技の積み重ねだけではない。その事を証明する若者が、今、目の前にいる。成長を見届ければ、自分も「壁」が越えられる。
そんな気がする。それを確かめる。これが、ここいる理由だ。
気迫のこもった剣撃が、目の前に迫る。斜めに受け流す。斬り返してきた剣を軽く弾き、陽動を巧みに織り交ぜた三連撃を繰り出す。クレッドは剣と盾を駆使して、すべて受けきった。
この攻撃は並の剣士では捌けない。自分が最も得意とする技なのだから。今ではこれを凌げる程に成長しているのだ。
続けて放った刺突を、彼は想定外の動きで応じた。盾を捨て、身体をひねる事で躱す。勢いで身体を回転させ、上から振り下ろす斬撃。意表を突かれたが、回転する時の足運びが悪く、僅かに安定が崩れていた。
その隙を見逃さなかった。踏み込みに対して引き付けた足で、相手の足元を払った。体が浮き上がり、背中から地面に落ちる。すぐさま喉元に剣を突きつけた。
「やられた、まいりました!」
降参とばかりに両手が上がった。
「突きを躱した所まではよかった。けど、後の足運びが悪いわね。攻撃の時も、防御の時も、次に足を踏み出す先を想定しながら、動く事」
クレッドは寝転がったまま頷いた。
注意はしたが、正直危なかった。今までに百回以上の模擬戦をくりかえしているが、未だ一度も負けていない。しかし、今のは本当に僅かな差だった。少し運が悪ければ、初の敗北を喫していただろう。
「今日はここまでにしましょう」
心の内を隠しつつ、そう言って剣を納めた。わずかに不服そうな顔をしていたが、何も言われなかった。
結果的には、これが彼との最後の訓練になった。
*
けたたましい鐘の音が城内に響いたのは、翌日の朝だった。街のあちらこちらで警告の鐘が鳴らされている。南の空を見ると、狼煙が上がっていた。敵が動いたという合図だ。
敵軍は昼過ぎには外輪山の内側に侵入し、下った辺りに陣を敷いた。
予想はしていたが、レナリア軍は間に合わなかった。編成や行軍に時間がかかってしまうのは仕方がない事だが。計算では援軍が到着するまでに、まだ一ヶ月はかかる。
その間、砦でもない街を守らなければならない。
アポソリマはカルデラ内部にあり、外輪山自体が城壁の代わりとして機能している。面積が巨大な分、複数箇所を同時に攻められると厳しいが、敵陣を見る限り取り囲めるほどの数ではない。
流石に、今の兵力だけでアポソリマを落とせるとは考えていないだろう。
増援を手配しているだろうが、元々標高の高い山岳地帯に位置するため、短期間で大軍を送り込むことは難しい。同様の理由で、大型の攻城兵器も持ち込み困難だ。
少数で進軍してきたのは圧力をかける為だと考えられる。この状況では、囲まれているだけで消耗するものだ。
対するフレイア軍は、アポソリマの防衛部隊に、砦から撤退してきた兵や義勇兵を加える事で、数だけならある程度揃えることが出来ている。
兵数はほぼ互角、質は向こうに分があるが、地の利は我軍にある。敵軍の増援が到着するのが先か、味方の援軍が到着するのが先か、というのがこの戦の焦点となる。
敵戦力で厄介なのは、やはり嵐の民の存在だ。空を飛ばれると城壁は意味を成さない。
空中からの弓矢や投げ槍は厄介だ。此方の矢が届かない上空から放たれた場合、攻撃そのものは注意していれば致死率は高くない。が、いつ来るかわからない、非戦闘員も巻き込まれる恐れがある、といった緊張感は心理的に多大な効果がある。
また、街の一角を強襲・放火する、といった行為も恐ろしい。広い街のどこを襲われるか、事前に察知する事は困難だ。流石に燃えた松明を持って飛行するとか、空中で火を付けるという事はできないようなので、空から無差別に炎を落とすといった事がないのは幸いといえる。
翌日の昼前に開戦した。
積極的に攻めてきていない。消耗を抑えつつ、威圧する作戦だろう。
クリスは、クレッドと共に遊撃部隊に入ることになった。
空を警戒し、強襲してきた場合にこれを迎撃するのが任務だ。四部隊が編成され、そのうちの一部隊、義勇兵で編成された隊の隊長に任命された。
義勇兵は風の民が多いが、そうでないものもいる。その殆どは南大陸出身か、祖を持つ者だった。中には高位の祝福を使える者や、傭兵やら冒険者もいた。
さらに嵐の民も数人。聞くと、アポソリマで生まれ育った者や移住してきた人だそうだ。
理解してはいたが、戦争とは時に、こういった不可思議な状況を生むものだ。
人数は、総勢で三十名。
三分割する事にした。十名は、戦闘経験が無いか浅い者。盾だけを持たせ、飛び道具をひたすら防ぐ。十名は、狩人など弓矢が得意な者。また、射程距離の長い祝福を行使できる人間も加えた。空中の敵を迎撃し、地上に降りてきた場合は牽制や援護を行う。残り十名は接近戦を得意とする者だ。自分やクレッドもここに入る。元々戦を生業とする傭兵や、冒険者にも入ってもらった。
接近戦が十名というのは心もとないようにも見えるが、戦場は基本的に街中だ。一度に戦える人数は限られている。素人に不慣れな武器を持たせるより、遥かに効率的だ。初日から強襲部隊と戦ったが、この編成と作戦で一人の負傷者も出すこと無く切り抜けた。
これまでの経験で、クリスは嵐の民の弱点を見切っていた。
彼らは確かに強い。筋力も強く、防御力も高く、空を飛ぶ事もできる。経験のない戦士なら、空中から攻められると戸惑うだろう。
けれど、飛びあがろうとする瞬間、無防備になる。わずかだが「溜め」が必要なのだ。一流の戦士であれば、この隙は見逃さない。
そして嵐の民は、空を飛べない者は全て、上からの攻撃に弱いと決めてかかっている。決めつけのせいで、それ以外の戦法の選択肢が狭い。そこに隙が生まれるのだ。
急降下からの一撃は確かに速い。速度に対応できる動体視力、身体の強さがあるのは間違いない。が、弱点が無いわけではない。速さ故に急激な方向転換や制動が効かない。自ずと、飛行経路が限られ、動きが単調になる。
また、いかに飛行に特化しているとはいえ、体自体の作りは人間と変わりはない。空中でどのような体勢でも飛行できるわけではないのだ。彼等が飛行するためには、体の軸を保たなくてはならない。逆に言うと、首や体を一定以上捻ると、安定が崩れて飛行できなくなるのだ。
戦いにおいて「捻り」はとても重要なものだ。捻る事によって躱し、受け流せる。速度を上げ、威力を強化させる事も出来る。武器を腕で振るだけでは、鎧を貫く力など到底生み出す事はできない。足をしっかりと踏みしめ、大地の重さを腰から肩、腕へと伝える。そうする事によって真に速く、強い一撃が生み出せる。
それは、あらゆる武術の基本にして奥義。空中からいくら早く飛びかかる事が出来たとしても、その境地に達する事は不可能だ。
これを理解出来ない者など、敵ではない。下級の戦士は、申し合わせたように同じ動きをする。それに合わせて剣を振るだけだった。
五日あまり、連日戦闘を繰り返した。多い時には一日に三度、刃を交えた。流石に手傷を追うものは出たが、死者は出さなかった。戦果は遊撃部隊の中でも随一で、フレイアの正規軍からも称賛された。編成や戦術は他の遊撃部隊にも採用されていった。
一般の、風の民ではない層から英雄視され、義勇兵に志願する者が倍増した。隊は、五十人にまで増員された。
*
順調に運んでいる、と感じていた矢先。クリスの部隊で最初の死者が出た。
その日の敵部隊は明らかに急降下攻撃をやめていた。効果が薄いと見て、地上に降りてから戦うことを徹底しだしたのだ。
空中からの攻撃が無いなら盾組に出番は無い。弓矢組も、乱戦になると誤射の危険が高まり、援護もままならなくなる。接近戦で個々の実力頼りにならざるを得なかった。
戦いが始まって二人ほど倒した時だった。義勇兵の一人が槍に貫かれたのが視界に入った。背中に突き出た穂先。革製とはいえ、鎧もろとも貫いている。恐ろしい威力だ。
その槍の主は、今までの嵐の民とは明らかに雰囲気が違う。体格が二回りは大きい。自然、見上げるような格好になった。
「お前は鱗の民だな。噂の女将軍とはお前の事か」
大男は不敵に笑った。どうやら、多少は有名になったらしい。
「将軍とは過剰な評価ね。私は只の、義勇兵の隊長」
言葉を返しながら慎重に様子を伺う。こいつは、他の者とは違う。
「戦うつもりなら、やめておいた方がいいわよ。痛い目に会う」
口調は強気だったが、心は眼前の敵に対して警告を発していた。戦士の直感が、相手の実力を感じ取っているのだ。男はやめるつもりはない、と応じた。
「そう。警告は、一度しかしない主義なの」
ゆっくりと剣先を目の高さまで上げた。大男は、槍を立てると、胸を張った。
「俺の名はギレスガッザ。我が一族の言葉で『猛き翼』と言う意味だ」
名乗りを上げた。嵐の民にも誇り高き者がいる事を、嬉しく思った。
「クリス。ドラグリアの千人隊長。故あってフレイアに助勢する」
ギレスガッザ、と名乗った男は、応答に頷くと槍を中段に構えた。
「では、行くぞ」
戦いが始まった。
相対する獲物は大型の槍だ。当たり前だが、槍の方が剣よりも長い。
戦いにおいて間合いが広いという事は、基本的に有利な事であるが、懐に入られると一気に不利になる。接近戦では長さが邪魔になるからだ。剣と槍との戦いは、つまる所、剣の使い手がどれだけ距離を詰められるか、で勝負が決まる。
とは言え、達人の槍さばきの前で間を詰める事は困難極まりない。仮に実力が全く同じとしたら、三対七で剣が不利だ。それ程「間合いが広い」事は有利である事を意味する。
今までに何度も槍の使い手と戦った事がある。そもそも鱗の民は、多くが槍の使い手だ。ドラグリアは湿地が多く、足場が不安定な場所が多い。距離が詰めづらいのであれば、獲物は長いほうが良いという理屈だ。
「槍に対して不利な剣で戦うなど、やめておいた方がよい」
「剣は、槍の補助として扱う方が、実戦では向いている」
そう、何度も言われてきた。
しかも、片手の片刃刀。実戦向きの武器ではないことは、よくわかっている。
なぜ、これに拘るのか。理由はよくわからない。常に腰に携えておく事ができ、とっさの時も抜き打ちが出来る。槍よりも、長剣よりも小回りが利き、すばやく振りまわせ、屋内でも扱える。そんな理由だったように思うが細かな事は忘れた。
とにかく拘りのおかげで、槍に対してはかなりの経験がある、と自負している。
それでもギレスガッザの槍は強烈だった。今まで相対してきた槍使いの中で一、二を争う実力だろう。一振り、一突きから力を感じ取れる。それを躱し、詰める。何度か斬りこんだものの、巧みに距離を広げられた。
この男も、剣に対する戦い方をよく心得ている。
死をかけた戦いの中、不思議な高揚感を感じていた。
戦士として、生きている事を実感する。こう言う時は不思議と心が通じ合う気がする。
自分が何の民であるとか、男とか、女とか、そう言う事は関係がない。
ただ、強い相手を望む。強い相手を尊敬する。強い相手を超える事に全てを賭ける。
彼も、そう言う種類の「戦士」なのだ。
二人の戦士は、ひたすらに戦った。端から見ると舞台で舞いを舞っているようだった。競い合うような「死」を賭けた舞い。その戦いは、決着を見る事はなかった。
不意に何かの破裂音が響いた。ギレスガッザは大きく間を取ると、槍を下ろした。
「残念だが、撤退の合図だ。勝負はお預けだ」
返事も待たずに背中を向ける。今なら後ろから斬り倒す事も出来るが、そんな気にはならなかった。彼もまた、そんな事は決してないと悟っているのだろう。
「次に会った時は、ケリをつけよう」
振りかえる事無くそう言うと、翼の大男は空へと向かっていった。
あまりの堂々さに、追撃しようという者は一人もいなかった。
ギレスガッザが去って行った空を見つめた。強敵に会えた事に、喜びを感じた。
「次は、ケリをつけましょう」
聞こえない事を承知で、クリスはそう呼びかけていた。
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