第二章
1 剣士は断ち切るつもりで振り抜いた
レナリア王国。「狩の民」が治める、北大陸南西部の大国だ。
国土に広大な森林地帯を有し、狩人の国として知られている。内海の西端に面している事もあり、海洋貿易の拠点としても有名である。近年、若くして王位についた「賢王」カフェル・フェレーン=ヘイサルの指導力の賜物か、ここ数年間、好景気を続けていた。軍事面では弓騎としては大陸最強と謳われる「神弓騎兵団」を有しており、その実力と勇名を近隣の国々に轟かせている。
レナリアの王都ハイルナックから南西、ネートン領ネートンの街に、クリス達はいた。翼の姫と出会い、護衛する事になってから既に十日ほどが経過していた。
あの後、夜間の山を下り、村に辿り着いた頃には既に日が登っていた。旅の準備や、村長に対して事情を説明するのに時間を取られたのと、フィルナーナの消耗が予想以上に激しかった為に村で一泊した。幸いにそこで襲撃されることはなかった。下山の折、リウィーという少女が、追跡を逃れるための偽装工作と称して何かしていたが、効果があったのかはわからない。
村では馬などの移動手段が調達できなかった。乗合馬車があるが、十日に一度程度という頻度で日取りが悪い。乗り合わせが良かったとしても、万一襲われると周りに迷惑がかかるという理由で姫が固辞した。となると徒歩以外に選択肢がなく、近隣では最大の街であるネートンまで歩く事になった。
ハームの村以降、出来るだけ翼が目立たないように、日中は外套をつけてもらう事にした。暑くなってきているが仕方がない。翼は広げると相応に大きいが、見た目より遥かにしなやかで可動域も広く、割と小さくまとめる事が出来る。上から少し大きめの衣服を着用すれば、その下に背嚢を背負っているように見え、殆ど目立たない。そのせい、というわけではないが、翼が邪魔をするので実際に荷物を背負う事は出来なかった。
ホルムヘッドは、徒歩で旅する時など荷物をどうやって運ぶのか、と質問していた。気にもならなかったが、言われてみれば疑問ではある。この男は中々面白い発想をする。
姫が言うには鞄は腰回りにつける物が基本で、背負う事はしない(出来ないわけではないが翼を広げられなくなる)、肩にかけるのも同様で、手に持つという事もない。大きな物は飛行の邪魔になるから、という理由のようだ。旅をする場合、荷物は最小限、食料などは現地調達、という事らしい。普通の人間は念の為に予備を持っていくが、風の民はそういう時でも飛べば良いので、例えば道に迷うという事があり得ない。
もっと言うと山や森を「徒歩のみで移動」する事自体が、ほぼ無い。そういった話を聞くと、姫のここまでの行程がいかに困難であったか、伺いしれた。
ネートンの街までは徒歩で七日ほどの道のりで、この間一度、襲撃にあった。嵐の民ばかりで七人。うち一人が負っていた傷には見覚えがあった。ガスティールが従属させた、という推測が当たっているのであれば、彼らは使い捨てにされている可能性がある。少なくとも、負傷者まで前線に出すという事は「追手の中の嵐の民」は残り全てだろう。
ハイルナックを目指しているのは敵も察しているはずだし、翼を持つ嵐の民は、王都が近づくほど目立って使いづらくなる。この辺りで先行できる手駒を全て投入し、目的を達成できればよし、悪くても多少の足止めにはなる、という目算ではないだろうか。
逆に言うと、失敗しても「狼に変身できる」特殊能力を持つ者を主体とした本隊がいる事を示しており、もう一つ、その者達はまだ追いついていない、という事でもある。
この場を乗り切れば多少の余裕が出ると言えた。
嵐の民は平均的な身体能力が高く、戦士として優秀だ。並の腕前では一対一で太刀打ちできないだろう。数的に劣り、質的にもどうなのかと危ぶんだが、山で出会った者達は想像以上に戦えた。
飛行する者に対して、フィルナーナの祝福は非常に効果的だった。まともに飛べなくなるし、下手をすると地面に叩きつけられる。実際に一人、それで戦闘不能に追いやった。そうなると、残る嵐の民は空から攻撃する事を諦める他なく、地上戦に限定させることができた。彼女は武器を所持していなかったので、クレッドが弓を渡していたが、これも想定外に扱えた。流石に名手とまではいかないが、援護や牽制だけなら全く問題なく、十分に戦力と言える腕前だ。
クレッドは盾を持つことで、二人相手に負けない戦いを展開していたし、リウィーも小剣ながら敏捷さで上回り、一対一なら早々遅れを取ることはないと思えた。ホルムヘッドは防戦一方で、雇い主に援護してもらってなんとか持ちこたえている程度、だったが。
自分の対敵は二人となるが、ここで後手に回るつもりはなかった。障害物のない場所で、敵の獲物は槍だが、全く問題ではない。
この二人は戦士としてはともかく、複数人で戦う兵士としては練度が高いとは言えない。同じ長さの獲物で、同じ距離から仕掛けてくる。槍が武装の時、大人数なら定石だが、二体一の場合でこの戦法だと、間合いを詰められたら対処出来なくなる。
ほぼ同時に繰り出された槍撃を、体勢を低くしてかいくぐる。一気に距離を詰め、瞬く間に二人を斬り伏せた。これが訓練で部下が今の攻撃だったらならば、叱責に加えて訓練場十周だな、と場違いな事を考えた。
即座にホルムヘッドの助けに入り、二、三合で切り倒す。数的有利が崩れると形勢は一気に逆転したが、嵐の民は最後の一人まで逃げようとはしなかった。
*
追手を撃退した翌日。日が傾きだした頃に、ちょうど街道沿いの宿場町にさしかかり、久しぶりに早めに宿に入ろう、という事になった。追手がどこまで迫っているのかはわからないが、強行軍を続けると体力にも精神にも響く。余力がある時に、早目に休むのは悪い事ではない。
時間に空きが出来たので、夕食の前に、久しぶりに剣の訓練を行うことにした。日課としていたのだが、護衛をする事になってから今日までは余裕がなく、こなせていなかった。
宿屋の裏庭で精神統一した後、剣を抜く。祖国に伝わる剣術の型を、感触を確かめながら丁寧になぞった。「型」は武術の基本であり、武器を扱う為に必要な筋力を養う効果もある。
実際に使われる技は型とはかけ離れた物が多く、型の訓練は実戦では役に立たないとよく言われるが、それは間違っている。数多の技は、あくまでも基本の応用なのだ。そして、どのような分野であれ、基本をおろそかにする人間は絶対に一流になる事は出来ない。だから、クリスにとっての訓練は「型」に始まり「型」で終わる。
初めはゆっくり。素人目にもわかるほどの、遅緩な動き。ぶれたり、震えたりしないように。緩やかに、でも正確に。一通りこなすと、少し速度を上げてもう一度。これを繰り返していく。
途中、クレッドが近づいて来ているのに気付いた。真剣な顔つきで、こちらの様子を伺っている。あえて無視し、続けた。
十周目に突入し、速度は最速に近づく。並の人間では、もはや見えない域に達する。速いだけでは意味はない。強く、正確に。
最後、頭頂部から股間まで真縦に切り降ろす一振りを、此方を伺う戦士に向かって一閃した。距離は十分に離れており、剣が届くような間合いではないが、対象物の遥か後方まで断ち切るつもりで振り抜いた。彼は驚いたように、額を抑えた。
残心。ゆっくりと剣を降ろした。そのまま数度深呼吸し、呼吸を整えた。たっぷりと時間を置いてから、待っていた男と向き合った。
「私に何か用?」
彼はしばらく無言でこちらを見つめたのち、不意に頭を下げた。
「俺に、剣を教えてくれませんか」
「唐突ね」
ある意味、予想通りの申し出ではあったが。
「この前の戦いで、あなたの戦いぶりを見て思った。俺はまだまだ弱い。もっと強くなりたい。俺に、剣を教えてください」
「強くなりたい、ね。お姫様を守る為に、かしら」
「それもある。けど、理由は問題じゃない」
「確かに。戦士にとって、強くなりたいと願う事に理由はいらない」
目を見る。強い意思が感じられた。
「けど、私と貴方は体格も違うし、獲物も違う。教えると言っても具体的にどうこうと説明する事はできない。実戦的な訓練の中で、強くなる切欠をみつけるしかないわよ」
自分の言葉に、男の目が輝いた。
「それでいいです」
「それから、私は誰が相手であろうと、手加減しない主義なのだけど」
「……望む所です」
少しだけ嬉しくなった。この男の戦いぶりは、二度見た。その気になれば飛躍的に成長する可能性がある。それに付き合って見るのも悪くはない。
「早速だけど、一本手合わせしましょうか」
そう言うと手にした剣を構えた。刀身が夕日を反射して、輝きを放った。
この日から始まった訓練は、休むこと無く連日行われる事になった。
*
明日か明後日にはネートンに着くという頃に、今後の算段を話し合った。
ネートンは子爵領で、独自の軍隊を持っている。先に子爵に話を通すという案もあったが、ホルムヘッドは否定的だった。領主の性格的に独自に動いてくれるとは思えず「盟約」を知っているとは、とてもじゃないが思えない。警戒されたり、最悪拘束されたりする恐れもあるので、一気にハイルナックを目指すべきだ、というのが彼の意見だ。筋は通っている。
もっとも、ハイルナックに到着したとしても、何の当てもないままでは手の打ちようがない。それについては先案を却下した手前か、当人が「当てがある」と申し出た。かなり渋々といった感じだったが。
詳しく聞くと、この男の実家は下級ではあるものの、貴族らしい。という事は、これも貴族。リウィーは「見た目は大事」といった。この少女とは余り反りが合わないが、この件については同意する。
レナリア王国の内情は全く知らないので、この辺の感覚については彼に任せるしか無い。何か、微妙に頼りないが。否も応もない、とはこういう事なのだろう。
その後は、特筆すべき事もなく、ネートンの街に到着した。まずは移動手段として馬を調達する事にした。
戦闘をこなせる軍馬はとても高価なのと、そもそも個人には売ってくれないので、普通の馬だ。それでも庶民からすると大変高価だが、ホルムヘッドの口利きで購入ではなく貸与(信用のない相手には販売のみで貸与はしてくれない)、金額も割の良い額で借り受けることができた。しかも、事前に往復分を支払っておき、やっぱり片道だけという場合は、指定の馬舎まで馬と共に証文を持っていけば半額返してくれるそうだ。ハイルナック到着後、どうなるか未知数なので、往復でも片道でも都合の良い方を選べるというのはありがたい。
なるほど、この男は戦闘では役に立たないが、こういった交渉や政治的な知見については有用な人間なのだなと評価を改めた。
馬の賃料はフィルナーナが所有していた宝石類で支払った。予算としては五頭借りることも出来たが、馬に乗れないとか、翼の姫に至っては馬を見た事すら初めてという事で、三人で分けて乗る事になった。さほどどうでも良い情報ではあるが、クレッドが金属製の鎧を着て重いので一人で。自分とフィルナーナ、ホルムヘッドとリウィーで分かれることにした。少女は嫌そうではあったが、ヒゲの後ろに姫を乗せるよりはマシだと言っていた。
「見た目は大事。清潔にする事は、もっと大事」
この件に関しても、同意する。
馬の調達が終わった頃には日が傾いていたので、ネートンの街で一泊する事にした。
ネートンからハイルナックまで、馬の足で順調なら四、五日もあれば着くという話だ。ここから先は街道も整備されており、宿場町も沢山あって治安も良い。
それを聞いた時、逆に一抹の不安を覚えた。敵が諦めたとは思えない。この先、襲撃しづらくなるのなら、今夜が山場なのではないか。
この夜、クリスの予想は的中することになった。
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