2 戦士はその姿に息を飲んだ

 目の前で焚き木の炎が揺れていた。周囲は茂った木々が邪魔をしているが、開けた部分からは夜空を覗く事ができる。ほとんど雲のない、よく晴れた星空だった。

 パチパチと小さな音をたてている焚き火に手をかざしながら、クレッドは何気に空を眺めていた。季節は夏の入り口を迎えた所だが、山の夜は思いの外寒かった。野外で風が吹いているせいもあるだろう。凍えるほどではないが、火があるに越したことはない。

 燃えやすいよう、小刀ナイフで切れ目をいれた薪を炎の中にくべた。ホルムヘッドは向こう側で横になっている。リウィーは隣で小さな寝息をたてていた。

 夜営の準備が終わり、適当に夕食を取ると見張り順を決めて休むことになった。

 順番は二番目だった。「なかなか起きなかったから」と蹴り起こされたのが半刻ほど前のことだ。その事を思い出し、寝息をたてる少女の鼻を指でつまんでやった。小さく唸ってから「ぷはー」と口を開き、寝返りをうっていた。それを見て一人腹を抱えた。

 もう一度やろうかと思ったが、目が覚めると可哀想だし何より怒らせてしまうので、ささやかな仕返しは一回でやめることにした。

 出会った時からこんな感じだった。少女は、人懐っこいように見えるが警戒心が強く、心を開くまで時間がかかる。表面上は明るく、元気でよく喋るが、慣れていない特に初めての人には一線を引く。有効的に接するがなかなか踏み込まないし、相手にも踏み込ませようとしない。手を握るとか抱きつく等の、物理的な接触も避ける。事実、ホルムヘッドは打ち解けるまでは結構時間がかかったように思うし、村人には特別仲が良い人はいない。しかし、何故か自分とは最初から打ち溶け合っていた。ホルムヘッドに疑問を打ち明けた時は「気に入られたからだろ」と一言で済まされてしまったが。

 懐かれているとは思う。生意気な妹という感じだ。悪くはないと思っている。寝返りをうった拍子にずれた毛布を、そっと直してやった。


    *


 クレッドはレナリアの南東にある島国、レイラルで生まれ育った。家族は十歳ぐらいの頃に海難事故にあって全員死んだ。体力には自信があり、武術も学んでいたので剣で身を立てるのが良いかと考えた。ただ、レイラルは宗教国家で騎士団などの仕官先がなかった。

 家や土地といった財産を全て処分し、一人でレナリアに向かった。方々訪ねて使用人兼騎士見習いで雇い入れてくれたのが、ホルムヘッドの家だった。以来十年。ホルムヘッドとは年が同じせいもあって、気安い間柄だ。彼が左遷された時、騎士見習いを辞してついてきた。それ以来、普段は狩りをしながら厄介事に手を貸すといった事をしている。


 傍らに置いた剣は三年前から使っている。特別高価ではないが、手に馴染む所が気に入っていた。騎士見習いを辞した時、最後に貰った給金が非常に高額だった。理由を尋ねたら、護衛としての役回りを期待している、といった感じの言葉をかけられた。この金で十分な武具を用意しろ、という意味だと解釈した。思う所はあったが折角なので頂戴しておく事にした。田舎に行くと良質な武具は手に入りづらくなる。調達するなら都会の方が良いし、いざという時には良い装備があるに越したことはない。

 この剣と、鎧、盾は、親友からの贈り物のようなものだと思っている。


 当時の事を思い出しながら剣を手に取った。ゆっくりと抜く。あの日から、毎日手入れは欠かしていない。刃が炎の灯りを反射して鈍く光った。

 その時。背後の茂みがガサリ、と音を立てた。

 手に持っていた剣をとっさに構えると、音が聞こえた方に注意を払う。小動物かもしれないが、人間の声が聞こえたような気もする。いざという時の為に、傍らに用意しておいた松明に火を点けた。ゆっくりと立ち上がり、音のした方向に慎重に近づく。

「誰か、いるのか?」

 声をかけた、と同時に茂みが大きな音を立てた。人影。

 そこにいた何者かは、森の奥へ向かって走り出していた。

「誰だ!?」

 大声を張り上げた。反射的に体が動く。仲間を起こして、と一瞬考えたがその間に逃げられてしまう。ホルムヘッドは怪しいが、リウィーなら今の声で目を覚ますはずだ。

 普段は右手に片手剣、左手に盾と言った戦法で戦うが、今は松明を持っているし盾をひろう暇もない。鞘を腰に留める余裕もなかったので、抜き身の剣のみで影を追う事にした。


 出足で距離が開いた。追いつけるか。体力や脚力に自信がないわけではないが、今は金属製の鎧を身に付けている。いつもは身を守ってくれる相棒でも、こういう時は邪魔でしかない。もちろん、脱ぐ暇はない。相手の足が遅いか、体力がない事を祈るしかない。


 夜の闇が支配する森の中を、どれくらい走っただろうか。

 前を走っていた何者かは、突然小さな悲鳴を上げると転倒した。張り出した木の根に足を取られたようだ。

 ある意味、助かった。遅れだしていたので、これ以上走っていたら見失っていた。

 三歩ほどの距離をとって一旦止まり、荒くなった呼吸を整えた。反撃を警戒しながら、ゆっくりと近づく。火をかざす。


 炎が照らし出した後ろ姿に、息を飲んだ。

 人間の女。見た感じ、まだ若い。

 だが、驚いたのはそこではない。その背中には普通の人間にはないものが生えていた。


 白い翼。


 美しい、と思った。こんな人がいるのか。

「貴女は……誰だ? こんなところで何を?」

 なにも答えない。脅えたような目でこちらを見ながら、ゆっくりと後退っている。左足を抑えているのが目に入った。転倒した時に、痛めたのだろうか。

 驚きと疑問は、ひとまず飲み込む。大丈夫かと声をかけて、抜身の剣を持ったままだったのを思い出した。愛想笑いをした後、愛剣を地面に突き立てた。

「追いかけたりして悪かった。足、見てやるからさ」

 剣を放したのが良かったのか、幾分表情が和らいだように思えた。逃げる気はもうないようだ。あっても、逃げられない事を悟ったのかもしれない。

「これ、持ってもらえるか」

 そう言って松明をかざすと、恐る恐るといった感じで受け取ってもらえた。言葉は通じているらしい。腰に結びつけた袋から塗り薬と包帯を取り出した。いつも肌身はなさず持っていて正解だな、と思った。

 断ってから足をとる。少し痛みがあるみたいだ。皮の長靴を脱がせて見た所、骨は大丈夫そうだ。軽く捻った程度だろうか。炎症に効く薬を塗り、布を強めに巻いて固定した。 その間、何かしゃべろうと思ったが、何を話したらよいのかわからずに機を逃した。


 手当てが終わった後、沈黙を先に破ったのは女の方だった。

「ありがとうございます」

 小さな声だったが、澄んだ、よく通る声だった。改めて姿を見る。背中に大きな翼。

 自分の拙い知識にも、祝福の中には特別な身体的特徴を有している民がいる、という程度のものはあったので、それだろうと検討がついた。

 翼以外は普通に見えた。いやしかし、他の部分も普通とは違う。

 透明感のある肌に整った顔立ち。優しげな緑の瞳。スラリと伸びた手足。細く、長い金色の髪が、松明の炎に照らされて橙の色に染まっていた。

 ……ようするに、美人に見えたのだ。

「あ、ああ。別にたいした事はしてない。それより、悪かったな。追い掛け回したりして」

 女は小さく首を振ると、私が逃げたので、と消え入るような声で言った。

「俺は、クレッドだ。ハームという村から、仕事があってこの山に。あんたは?」

「私は、フィルナーナ、と申します。ご存知ないかもしれませんが……『風の民』です」

 特に驚きはなかった。予想通りだ。民の名前については、聞き覚えはなかったが。

「初めて聞いたよ」

「そうですね、無理もないでしょう。私達は、北大陸とあまり交流していませんから」

 その言いようは、この人は南大陸から来た、という事だろうか。

 ハーバスト大陸は陸続きではあるが、海や山を境とし、大きく三つに分けられる。北と、東と、南。便宜上「北大陸」などと呼んでいる。レナリアは北大陸の南西部に位置し、ちょうどハームの村から南にある大山岳地帯を持って、南大陸と隔たれている。

「ごめんな。俺の仲間に物知りな奴がいるから、そいつなら知っていると思うけど」

 フィルナーナは、そうですか、と言って少し微笑んだ。

 儚げな微笑みに、脈拍が少し上がるのを感じた。


「それはそうと。こんな夜中に何を? 近くに家があるのか? そうなら送っていくけど」

 何か事情があるのだろうと察しつつ、それとなく聞いてみる。何か言おうとしていたが、何も言わなかった。言うべきか、悩んでいるように見えた。

「言いたくないのなら別に無理に聞きはしないけど。行く当てがないのなら、取りあえず俺と一緒にこないか。仲間もいるし、一人よりは安全だろうから」

 夜の山は危険だから、と続ける。

 その言葉は、この人ともう少し一緒にいたいと言う気持ちの現われであったと言う事に、自身では気づいてはいなかった。


 少し躊躇する様子を見せてから「レナリアまでは、ここからどれくらいでしょうか?」と問われた。

「うーん、レナリア王国の領内という意味なら、半日ほどでハームの村に着くけど」

「王都、でしたら」

「王都? ハイルナックなら、歩きで二十日は、かからないかな。乗合馬車とかなら」

 説明を最後まで言い切る前に、遮られる。フィルナーナが緊張した様子で、唇に人差し指をあて、無言で静かにするよう、促してきた。

 周りの様子を伺いながら、囁くような声で「誰かいます」と伝えてくる。

 緊張感のある言葉に頷きながら、突き立ててあった剣をゆっくり引き抜いた。

 流石に、今度は彼女のような相手ではないだろう。


 辺りの様子を伺う。音を立てないように、剣を構えた。此方を見ていたのか、何者かは姿を見せた。

 人間だ。少なくとも三人。皆、手に槍を持ち、穂先をこちらに向けている。服装も簡易な革製の鎧と、毛皮のようなものを羽織っているように見えるが、暗さのせいもあってあまり良く見えない。ただ、三人とも薄っすらとではあったが、背に翼らしきものが見えた。

「お仲間……だったり、しない?」

「違います」

 希望的観測は、短い返事によってあっさりと否定された。

「だよね。違うよな、状況的に」

 三人。我が身一人なら、突破して逃げる事も出来るだろう。けど、今はフィルナーナがいるし、足の状態から逃がす事も無理だ。考えるまでもなく見捨てる、という事はできない。近くにあった幹の太い木を支えに立たせると、背後にかばうようにした。

 敵らしき三人は、ゆっくりと、取り囲むように移動している。

「一人で何とかします。逃げて下さい」

「そんな訳には、いかないだろ。ここで見捨てたら寝覚めが悪くなる」

「でも」

「あんた一人ぐらい、守るよ。約束する」

 格好つけてみたものの、障害物の多い山林の中では、剣より槍の方が有利だ。木が邪魔になって振り回せないのは同じだが、単純に間合いが違う。暗くてハッキリとは見えないが、三人が持っているのは両手でも片手でも扱える槍のようだ。片手剣より十分に長い。

 人数、装備、状況のどれをとっても不利。あえて有利な点を上げるとすれば、金属製の鎧を着ていることと、時間を稼げば仲間が来てくれる、かもしれない事ぐらいだろうか。もっとも、向こうも三人だけとは限らないので、そこに大きな違いはない。

「松明、くれる?」

 振り返らずに空いた左手を後ろに伸ばした。すぐに木の感触と熱気を感じ、松明を受け取った。まだ燃え尽きる気配はないし、振り回せば威嚇ぐらいにはなるだろう。

「三人……他には、今の所いません」

「見えるのか?」

 言葉は確信に満ちていた。「見えてはいませんが、わかります」との返答を、何故か信じる事が出来た。このような状況で、適当な事を言うようには思えなかったからだ。

「牽制ぐらいなら、できると思います」

 どうやって、と聞く余裕もなく。後ろで何か呟いているかと思ったら、周囲に突然風が巻き起こった。向き合う三人に向かって下から吹き上げる突風。小枝や草が巻き上がり敵を打ちつけた。風そのものや、枝などには殺傷能力はないが、三人はたまらず両腕で顔をかばった。僅かな隙ではあったが、接近戦では十分だ。体は反射的に動いた。

 正面にいた一人に向かって一気に間合いを詰め、剣を突き出す。半分当てずっぽうだったが、反応が遅れた相手の左腕前腕に当たった。深追いはせず、直ぐに引いて距離を取る。一拍遅れて吠えた敵が、手にした槍を振り回し、周囲の木に当たって鈍い音を立てた。

 初撃としては十分な戦果と言えるが、依然不利な状況は変わっていない。直ぐに風から立ち直った残る二人が距離を詰めてくる。同じ場所に留まっては不利とはいえ、明らかにフィルナーナが狙われている。大きくは動けない。時間を稼ぐしかない。

「負けて、たまるかよっ!」

 自らを奮い立たせるように、クレッドは雄叫びを上げた。

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