第3話 休日の遠出




「やっぱり春ってよくわかんねぇ」



 『白雪姫』に傘を渡した翌日。のそのそと目を覚ましたパジャマ姿の晴人がカーテンを開けて二階の自室から窓を覗くと、昨日さくじつの豪雨が嘘だったかのように綺麗な蒼空が広がっていた。


 四季の内、"春"というのは変化の多い季節だ。人間関係や心の移ろいといった新しい環境はもちろん、寒暖差の激しい天候もそれに当て嵌まる。ようは多様な性質、つまり様々な顔を見せるので非常に面倒な季節と言い換えてもいいだろう。


 かといって晴人はこの季節が嫌いな訳ではない。早朝は空気がひんやりとしており、少し時間が経てば辺りはぽかぽかと陽気に包まれる。特に見る者の心を彩る、春の象徴とも呼べる桜なんてとても好ましいと思っている程だ。


 まぁそもそもの話、好ましくなぞ思っていなければわざわざ間近で桜の写真を撮ろうとはしないのだが。



「……よし、出掛けるか」



 今日は週末の土曜日なので高校は休みだ。昨日は雨が強風に煽られて全身びしょ濡れになってしまったと云えど、帰宅して速攻シャワーを浴びたので体調のコンディションは何も問題は無い。


 やけに肌寒くて身体が重苦しく感じるが、それはきっと寝起きだからだろう。部屋の空気もひんやりとしており、次第に目も頭も冴えてきた。


 たまには駅を経由して遠出してみても良いかもしれないな、と今日一日の予定を組み立てながら晴人は身支度を開始するのだった。






 晴人の住む地域から徒歩、電車移動含め小一時間程かけて離れた地域に到着すると、心がざわつくも不思議と空気が新鮮に感じられた。それはきっと、ビルのような多くの建物が立っているものの、道路に沿って植えられた街路樹といった緑などの人口的自然が多いからなのだろう。


 陽光が照らす街並みを散策しながら周りへ視線を向けてみる。



「さて、今日はどんな写真・・が撮れるかねぇ」



 そう、晴人の趣味は写真撮影。折角貴重な休日の中、わざわざ時間を掛けて離れた場所に出掛けたのはまさにその為だった。


 元々無趣味だったが、今現在この写真撮影が趣味と言えるまで昇華したのは、高校入学時にスマホを母親から買って貰ったのがきっかけ。


 初めはただ自分のスマホカメラにどんな機能が備わっているのかを試していただけだった。それこそピンボケせずに上手く撮れたら良いな、という何気ない気軽さで。だが母の趣味でリビングに飾られている生け花を被写体としてポートレートモード、連射機能、色調変化など様々な機能で写真を撮影している内に没頭している自分がいた事に気付いたのだ。


 それ以来晴人は様々な写真を撮り続け、それを趣味と自負している。例え下手くそだ、写真歴一年ちょっとと誰かに否定されたとしても折角夢中になれる物を見つけたのだ。それだけは決して譲れない。



「そういえばSNS用の写真も撮らなきゃな。最近更新してないし」



 ここ最近呟いていない晴人が保持しているSNS個人アカウントを思い浮かべながら歩道を進んでいく。かといってこれといった目的の被写体も無いのでただ足を前へ運んでいるだけだが。


 写真を撮るのは気分、と言えば何様だと思われるのだろうが、正直人通りのあるこの場所では晴人の撮りたいモノは無かった。実際にここはある程度人通りもあるし、行き交う車の走行音やクラクションが煩わしい。


 人混みや騒音があまり得意ではない晴人にとって、こればかりは仕方が無い。


 やっぱり自然風景が一番だ、と改めて認識しつつ、この休日が実りある一日になりますようにと祈るのだった。



「ふぅ」



 しばらく歩くと郊外まで抜けることが出来たのか、先程と比べて人も交通量も閑散としていた。ぐるりと辺りを見渡してみると鮮やかな色合いの山が案外近く見えるし、自然的な緑色の木々がこれでもかという程立ち並んでいる。


 木々の茂みから洩れる微かな陽光に手を翳しながら晴人は軽く息を吐く。



「俺はいつの間にか自然的な癒しを求めていたのか」



 単に歩きすぎなだけだと思うが、先程のような都心部の慣れなさと比べると心のざわつきは治まった。訪れたことがない上、全く土地勘が無いと云えど、結論で言えば結果オーライだろう。


 晴人は僅かに頬を緩める。そして上着のポケットから取り出したスマホで画角を定めると、ボタンを押してシャッターを切った。確認の為スマホの画面に視線を落とすと、木々の緑色の葉が部分的に重なることで生まれる、葉の陰影が主張された綺麗な一枚がそこにはある。


 不思議と胸の内がじんわりと暖かくなった。


 一通り何度か他の風景写真を撮り終えると、晴人は山道と呼ぶに近い、舗装されている道を進んでいく。歩道に沿って歩きながら大きく息を吸えば、空気が上手いし気分が良い。


 つい大きく気が緩んでしまって、ずっと休日ならば良いのにと思ったのは内緒だ。


 すると、目線の先になにやら建造物を見つける。



「ん、あれは店か……?」



 騒がしい都心から離れた郊外で見つけたそれは、カフェのような、レストランとも見てとれる外観だった。木々や緑といった自然の多い郊外の中に佇むその建造物の様子は、自然風景を好む晴人にとってもどこか魅力的に映る。



(……ああ、なんだろう。この湧き上がるような感じ)



 それは純粋な自然風景を撮るときにしか抱けなかった、久しい感覚。人工物の都心部に囲まれて存在する大々的に銘打たれた人気店のような内側だけの世界とは違う、そこにあるだけで目を引く特別な存在感。


 そう感じるのはきっと晴人だけかもしれない。だけど、間違いなくそこには見る者を感嘆させ、安心を抱かせるだけの魅力が確かにあった。


 珍しく少なくない興味を惹かれたのでその建物の近くへと歩みを進める。



「カフェ&レストラン『デ・ネーヴェ』……?」



 この建物と近くに設置されている立て看板にそう書かれた店の名前を読み上げる。英語かイタリア語か良く分からないが、流暢に描かれている外国語の上にルビがあったので助かった。


 やはりというべきかこの建物の正体はカフェレストラン、つまり飲食店だったようだ。木製の扉にはオープン&クローズの掛札があり、窓から見える内部の暖色の明かりは見る者の気分を落ち着かせる。それにどうやら最近の飲食店らしくテラス席もあるみたいだ。ここは春らしい鮮やかな色合いの山が近いので、そういった自然を一望出来るのはきっと最高だろう。


 現にそのテラス席にはここを訪れた客らしき人がここからでもよく見えるので、この店がとても賑わっているのが分かる。


 さて、と息を吐きつつ一通りこの建物のことを観察した晴人。これからどうしようと思案したところでぐぅ、という恥ずかしい音が鳴った。

 思わず腹を押さえる。きっと、今自分の顔は赤くなっているに違いない。



「……ま、時間も時間だしな。折角だしここで昼飯食べるか」



 腕時計を見ればもう正午を過ぎていた。ふと自分の身体を省みれば結構な距離を歩いたので疲労感もある。それに写真を撮る為とはいえ、折角離れた場所まで来たのだからただ帰るのではもったいない。


 多少強引とはいえそう合理的に判断した晴人は、店の内部はどうなっているのだろう、と胸を高鳴らせつつ入り口である扉の取手に手を掛けたのだった。




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