第56話 舞台裏

「へへ、どうも、旦那」

「ご苦労。良い働きだった」

「なに、ノイファン様はほぼ準備を終えてましたから。俺はほんの少しお手伝いしただけですぜ」

「そのほんの少しが重要なのだろう。わかっていて、よく言う」


 

 いくらノイファンが私たちの動向を見張り、兵を用意していたとはいえ、そう簡単に動かせるものではない。

 なにせ、私とノイファンは一度も会ったことがない。

 どうしても私の意図を伝える連絡つなぎが必要……。


「へっへっへ。ま、背中をポンッと押しただけですがね」

 親父は頭をボリボリと掻いて、わざとらしく照れた振りをする。

 そこから彼は黒眼鏡のふちを軽く撫でて踏み込んだ話をしてきた。それに対して、私は片眉を跳ねて応える。


「旦那はノイファン様にどこまで要求されたんですか?」

「一応、密約だぞ」

「へっへ、その様子だと相当なことを要求したようですな」

「うん、そうだな。聞くと驚くぞ」

「へ?」



 私は親父にあっさりとノイファンとのやり取りを伝えた。

 それを聞き終えて、彼は驚きに顎を外れたような間抜けな声を出す。


「ふぉあ、いえ、ふぉ、ええっ?」

「そこまで驚く必要ないだろう?」

「驚きますよっ。アルリナの心臓を押さえて、そんなくだらないことを要求するなんて!」

「声がデカいぞ、親父。何もくだらないことはないだろ。一人の少女の人生を救うことは?」

「そこじゃありません! 旦那の言う、本命がくだらないと言ってんです!」


 親父はムキの屋敷を睨みつけ、その鋭い視線のまま私にぶつけてくる。

「親父、そんなに興奮するな。これは私にとっては重要なことなんだぞ。もう、ギウと問答をしたくないからな」


「何が重要ですか! アルリナとの立場を見れば、これから先、それらはいくらでも手に入るモノ!」

「親父、私はこちらに赴任してきたばかりだ。彼らの縄張りを荒らすような真似はできない……先を見据えれば」

「そりゃ、そうですが……」



 親父の声の質が変わる。

 会話の微妙な間の変化を感じ取ったようだ。

 私は勘の良い親父をからかうように言葉を続ける。


「私の本命はくだらなく見えても、関税の撤廃は相当なものだぞ?」

「普通ならそうですが……トーワには何の産業もないのに意味ないでしょう」

「今はな」


 この一言に、親父の表情が変わった。


「あの場所には何かあるのですか!?」

「ないっ」

「だんな~」

「ないが、そのうち何か生まれるかもしれないだろう?」

「そんな希望的観測を……」


「これは希望ですらないな。ちっぽけな楔だ」

「ん?」

「私は今回の件に関して、裏方に徹するつもりだ。全ては商人ギルドの功。公式にはそうなる」

「ですが、アルリナの者たちは……」


「もちろん知っている。だから、彼らはこう思うだろうな」



――ケント様とは、なんて謙虚な方だろう……と――



 私は薄い笑みとともに言葉を伝えた。

 言葉を受け取った親父は、全身の肌を粟立て、言葉を詰まらせる。

「も、もしや、旦那が目立つようにムキのことを尋ねていた理由は、ムキを挑発するためでなく…………」



 そう、これが物語の末に種明かしをすると言った、最大級でありとても地味な『利』――アルリナに生きる者たち全てに、私という存在を印象付けさせること。



 アルリナは巨悪に支配され、誰もが諦めていた。その巨悪を町に訪れたばかりの男が打ち倒した。

 しかし、その功を誇ることなく、アルリナの顔を立てた。

 今後彼らは、私を英雄の如く語るだろう。



 私は高台にある屋敷から、夜の闇に小さな燈火ともしびを浮かべるアルリナの全景を銀の瞳に取り込む。


「アルリナの民からの支持は得られた。もちろん、ギルドはそれを理解しているが、脅威とは感じない。私はあくまでも古城トーワの領主。そこには兵もなく民もなく、町すらない。何もない場所。それに一応、ノイファン殿には中央議会に知られたくないという理由付けもしてある」


「だ、旦那は、この町を……?」

「いや、そのつもりはない。正直、面倒だからな。だが、これで大事が発生したとき、住民の支持を得やすい。だからこれは、その時の楔。これから何が起こるかわからないがための楔だ」



 私はにこやかにそう答える。

 その春のような柔らかな笑顔とは対照的に、親父の顔は厳冬の地吹雪に当てられたかのように凍りつく。

 彼は寒さに凍える唇を震わせる。


「そのつもりはなくとも、先に続く道の状況を想定しつくし、必要な手を予め用意しておく……正直、脱帽です」

「常に様々な種をまき、その時に備える。これは為政者として必要最低限の能力だ」

「いえいえ、これが必要最低限ならば、世に為政者などいなくなってしまいます」


「残念だが、王都の議会には掃いて捨てるほどいる」

「お、王都の貴族様方は恐ろしい方々のようで……」

「あはは、正直化け物だ。おかげさまで左遷されたわけだしな」



 私は楽し気に王都を語る。

 たった一人でこんな辺境に飛ばされ、呪われた土地の領主へと祀り上げられた。

 それでも私は笑い声を上げ続ける。

 親父はそんな私へ奇妙な生き物でも見るかのような目を向けた。


「どうして、そんなに楽しそうに?」

「王都では敗北したが、得るものは大きかったからな。現に、このアルリナで役に立った」


 王都での経験がなければ、ここまで先を見通すことはできなかった。

 私は敗れた。だが、確実に成長している。

 そして、その成長への感触が、私に生きる活力を生んだ。


「ふふ、ここでゆっくりと余生を過ごすつもりだったが、もう少し人生を楽しむのも悪くない。それに、我が家である古城トーワを着飾ってやりたいからな」

「そいつはぁ、野心ですか?」

「いや、野心とは程遠いな。当面は行き当たりばったりの人生を楽しもうと思っている」

「そうですか……」


 この返答に親父は落胆した様子を見せた。

 それは、私への評価を下げたもの。



「どうやら、がっかりさせてしまったようだ。これでは、親父が何の目的で私に近づき、情報を与えたのか尋ねることができないかな?」

「そいつは……」

「それでも、一応尋ねておこう。親父、君は何者で、何の目的で私に近づいた?」



 この問いに、いかつい顔の親父は漂白な悲しさを纏う。

「俺は何者でもありません。いえ、ただの卑怯者」

「卑怯者?」

「卑怯者であっても、何とかしてやりたいんですよ」

「何を言いたいのかわからないな。なんであれ、目的はあるのだろう?」


「目的……そいつは奇跡を起こすことです。もう、四十に近い男が見る、馬鹿げた夢でございます。その夢には、ケント様が置かれた状況が最適だった」


 親父の話からは、彼の正体も目的も伝わってこない。

 彼は最後に口惜し気に言葉を吐いた。


「残念なことに、旦那は善人ではなかった。だからと言って欲深い人間でもない。手を伸ばせば届くモノを放置し、必要最低限の予防策に終始している」



「親父の目的のためには、領主という立場であり、善人もしくは欲深い人間である必要があったのか?」


 問いに、親父は沈黙で応えた。

 これ以上のことは話す気がないらしい。

 仕方なく、今の言葉に繋がる言葉を生むことにした。



「ま、たしかに私は善人ではないし、それほど欲がないのも確かだ。いや、というよりも、ヴァンナス国の怖さを知っているから余計な欲を抱く気がないだけか」

「ヴァンナス国の怖さ? どうして、そこにヴァンナス国の名が?」


「私はこう見えて、父の威光がなくとも結構な重要人物でな。あまり目立つようなことはできない」


「重要人物をトーワなんていう辺境へ放り出すんですか?」

「重要人物でも放置してもよい人物なんでね」

「よく、わかりませんが」

「深く知らない方がいい。では、親父、達者でな」



 私は親父に背を向けて、ギウとエクアのもとへ近づこうとした。

 だが何故か、親父が慌てた声を上げる。


「ちょ、ちょ、ちょ、お待ちを旦那」

「おや、私は親父の目に適わなかったのだろう?」

「そうは言ってません。たしかに欲が薄いのは難点ですが、才は申し分ない。俺の夢を預けるには十分なお方です」

「しかし、その夢は教えてくれないのであろう?」


「今、しばらくは……」

「随分もったいつけるな」

「申し訳ございません」

「ふふ、真の意味で親父の目に適った時は教えてくれるな?」

「それはもちろんっ」


「よろしい。そうそう、名をまだ聞いてなかったな。親父さんの名前は?」

「オゼックスと申します」

「オゼックスか。では、オゼックス。私の数少ない友を紹介しておこう」



 今宵の夜、多くの出来事が起こった。

 アルリナの支配者ムキを排除し、暗躍していた商人ギルドのおさノイファンとの繋がりを結んだ。

 幼き少女エクアを救い、アルリナの支持を得た。

 最後は、親父をギウとエクアに引き合わせて終えるとしよう……。


 そして、この物語の終わりに、私とギウの悩み事の一部が解決した。

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