第50話 エクアの描いた絵だからこそ
耳を塞ぎ、ガタガタと震え続けるエクアを抱きしめ、私は優しく彼女の名を呼ぶ。
「エクア……」
「ケント、さま。わたしの絵はご――」
「そのようなことを口にするな。ファン第一号の私の立場がないだろう」
「え?」
「忘れたのか? 私が一目見て気に入ったのは、エクア、君の絵だ。サレート=ケイキの物真似の絵ではない。エクアの描いた海の絵、港の絵が気に入ったのだ」
「ケント様……」
「エクアの絵は世界の広さを感じさせることのできる素晴らしい絵だ。絵からは見えるはずのない、海の先にある世界を、町の姿を思い起こさせてくれる。創造と未来の絵だ。私はそんな君の絵に感動したのだ」
「う、うう……ケント様、ケント様、ケントさま~」
エクアは私の胸に顔を埋めて、涙交じりに私の名を呼び続ける。
私はそんな彼女を包み込むように抱きしめた。
これ以上、エクアが穢されないように。
そう、少女の悲しみの涙を知りながらも、口から汚物を垂れ流し続けるムキから穢されないように……。
「ケケケ、下らねぇ。感動ですか~? ばっかじゃねぇの~? 何がファン第一号だ? てめぇらがどんな美しい茶番劇を広げても、このガキの絵はゴ、がはぁっ!?」
ギウが、銛の柄頭で彼の腹部を殴りつけた。
ムキは口汚い言葉を出すことができず悶えているが、腹部を押さえながらも私にニヤついた顔を見せて、音のない言葉を呪い語のように吐く。
ゴミ、ゴミ、ゴミ、ゴミ、ゴミ、と……。
私は優しくエクアを覆っていた手のひらを拳の姿に変える。
だが、エクアのすすり泣く声……そして、状況を見極めることもできず無知なる笑いを上げる男を憐れみ、私は冷たさの宿る拳を再び暖かな手のひらに戻し、彼女を抱きしめた。
ムキは私の姿を見下すようにこう言い放つ。
「玉無しがっ」
――しばらくの間、エクアを宥め続け、少し落ち着いて来たところを見計らい、声を掛ける。
「大丈夫か?」
「は、はい、ごめんなさい。取り乱してしまい。ケント様のお洋服まで汚してしまって」
「ふふ、構わないさ。乙女の涙のハンカチになれたのならば、ブラウスも本望だろう」
「ケッ、吐き気のするくせぇセリフだぜ」
私とエクアの語らいを不粋な声が邪魔をした。
私は軽く息を吐いて、エクアの手を取ろうとする。
しかし彼女は、手のひらを私に見せて自分で立てると意思表示を見せた。
エクアの強い意志を見た私は、少しだけ安堵する。
私はエクアと共に立ち上がり、ムキにゆっくりと身体を向けた。
「私は、お前のようなクズを見たことがない」
「はん、そいつはどうも。珍しいものが見れたんだ、礼ぐらい言えよ」
「ほんと、口だけは達者だな。子悪党の分際で」
「ケッ、女のために俺様を殴りつけることもできねぇ、玉無しから言われたくねぇぜ」
「私は女性の前で格好をつける為に暴力を振るうような男ではないからな。それに、今のお前を殴ることは私の信条に反する」
「あん? 何を言ってんだかさっぱりわかんねぇな。結局、俺様にビビって殴れなかっただけだろ?」
「私がお前を恐れる?
この問いに、ムキは口端をこれでもかと捻じ曲げた。
「俺様には五百の傭兵がいる。あいつらが戻ってきたらてめぇらは終わりだ。だが、そうならねぇように、人質の俺様に手を出せねぇんだろ?」
「ふふ、どうやらお前も脚本家としては二流のようだ」
「なに?」
「お前の考えには矛盾があるぞ。なぜ、ギウはお前を殴れた? お前の傭兵団を恐れているなら、ギウはお前を殴ったりしない」
「それは……ギウの考えなんかわかるかよっ。こいつらとは意思の疎通なんてまともにできねぇんだからよ。とにかくっ、俺様には傭兵がいる! 俺様に万が一のことがあれば、てめぇらはただじゃすまねぇ!!」
倉庫に木霊する勝利宣言のような響き。
たしかに、ムキの言うとおり、傭兵の存在は大きな問題だった。
彼らをどう押さえ込むか……だが、すでにその策は講じている。
それは、あの無骨そうな戦士の助けなどではない。
彼の助けなどなくとも、私は傭兵たちを投降させる策を持っている。
私は瞳から熱を捨て去り、ゆっくりと冷たく語りかける。
「お前の拠り所が傭兵たちなのはわかっている。だからこそ、このような状況でも尊大な態度を崩さないのだろう。だが、その希望は絶望に塗りつぶされことになるだろうな」
――港町アルリナと古城トーワとの間にあるマッキンドーの森
無骨そうな戦士は馬上にて、兄貴分である小柄な戦士へ自分が把握できる限りの全てを伝えていた。
話を聞き終えた兄貴分は無骨そうな戦士の胸ぐらを掴み、激高する。
「お前……ムキ様を裏切ったのか!?」
「兄貴、状況を考えてくれ。もはや敵はケントだけじゃないんだ! もう、これ以外で俺っちたちが助かる道はない!!」
「だからって、拾ってもらった恩義を忘れてっ!」
「兄貴! 自分の恩義のために仲間たちを死なせるの!?」
「それは……クソッ!」
小柄な戦士は太ももを強く拳で打つ。そして、押し黙ってしまった。
闇と静寂が支配する森の中……無骨そうな戦士は大切な兄貴へ寂しげに言葉を掛けた。
「これは俺っちが勝手にやったこと。兄貴が罪意識を感じる必要はないよ」
「感じるさ!!」
「兄貴?」
「賢くて優しいお前のことだ。どうせ俺のことを考えてのことだろ。不甲斐ねぇ!」
「ごめん、兄貴……」
「謝るんじゃねぇ! それで、これからどうすればいい?」
「アルリナの東門へ戻ろう…………白旗を掲げて」
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