第47話 脚本下手の役者
裏口から屋敷へ侵入し、警備に見つからないように警戒しながら夜に閉ざされた屋敷内の廊下を歩いていく。
手に持つランプは長く続く真っ赤な絨毯や壁に掛けてある絵。時折飾られてある壺などを陽炎のように照らし出す。
屋敷の本館から離れた裏口でありながら、なかなか豪壮な着飾りようだ。
私はそれらを見て、期待に胸を躍らせる。
「うん、良いものが手に入りそうだな、ギウ」
「ギウ~」
ギウは目を閉じて、身体を少し前のめりにした。どうやら彼は、私が行おうとしていることにあまり納得していないようだ。
「そんな態度を見せるな。古城トーワの環境を一気に改善するため。多少のことは目を瞑らないと」
「ギウギウ」
「目を瞑っている。ああ、たしかに今も物理的に瞑っているな」
「あ、あの?」
「どうした、エクア?」
「ケント様は以前、自分とギウさんにとって都合がいいと仰っていましたけど、何か目的がおありで?」
「そうだな、今さら隠す必要もないだろう。君を手助けする際に君のことを思ったのは事実だが、何も義憤のみに駆られて君を助けようとしていたわけではない。君を通して、様々な利を得られると考えたからだ」
「利、ですか?」
エクアは軽く首を斜めに傾ける。
瞳に悲しげなものはないが……私は尋ねてみることにした。
「私は正義の味方の振りをしていたが、その実は己の利害で動いていた。エクアに思うところはないのか?」
「え? あ、そうですよね。私は最初、ケント様を救いの主のように感じて……でも、今は……」
「今は?」
「今はあまりそんな対象には……あ、もちろん感謝はしてますよ。たぶん、ショックも受けていると思います。でも、それ以上に申し訳なさが薄らぎました」
「そうか……」
見返りなく、命懸けで他者を救う行い……とても尊い善行。
人はそれを正義の味方なり英雄なり、好きな呼び名で呼ぶだろう。
だが、エクアのように優しき人にとっては、時に心苦しく重石になる。
彼女は自分の為だけじゃなく、私自身に相応の利益がもたらす何かがあると知り、無償の善意に対する重みが少し軽くなったようだ。
だがこれは、無垢なエクアを穢したことを意味する。
私はまたもや、エクアを思う素振りを見せる。
これについて割り切っているはずだというのに……さすがに、未練たらしく何度も反芻する自分の姿が情けなくなってきた。
その情けない心は、秘めておくべき後悔を外へと押し出す。
「私は純朴であるはず少女の手を無理やり引いて、穢れた大人の世界に引きずり込んでしまったようだ」
「無理やりっ? お、大人の世界?」
「君を穢してしまった。男ならば女性の
「穢すっ? じょ、女性? 肉体?」
「何とも情けない話だ。どうも、私は底意地が悪く、欲望に弱いようだ」
「よ、よくぼうっ?」
「ん?」
会話を重ねるごとに、エクアの顔が赤く染まっていく。
やはり、怒っているのだろうか?
「えくあ、あだっ!?」
ギウが突然、銛の柄頭で背中を突いてきた。
「ったたたた、なんだギウ? 何故、背中を、あたたたた」
「ギウ~ギウっ」
ギウは息を吐き飛ばす。
それは、怒っているかのような呆れているかのような態度だ。
「なんだというのだ? 私はエクアの顔が赤くなっているから心配してだなっ」
「あ~、あ~、あの、もうその話はいいです! それよりも、ケント様の利とは何ですか?」
「ん? ああ、それはだな。まぁ、本命は大したものでは……おっと、前から誰か来るようだ」
私たちは会話を閉じ、曲がり角に身を潜め、前から歩いてくる人物に目を凝らした。
黒いワンピースに白いエプロンを付けた若い女中が燭台を片手に歩いている。
「ふむ、女中か。警備なら面倒だったが、女中なら好都合。行くぞ、二人とも」
「ギウ」
「え? まさか、あの女性に酷いことを?」
「ふふ、私はそんな乱暴者ではないよ。ギウ、マントを預かっていてくれ」
マントをギウに預け、旅人の格好から白のブラウス姿になる。多少の汚れはあるが、それは夜が誤魔化してくれるだろう。
さらに、目を細めて盲人の振りをする。
銀髪はそう珍しくないが、銀眼はそうではない。面倒だが、瞳の色を知られないようにしなければ……。
私はギウの手を借りながらも貴族らしく胸を張り、鷹揚に曲がり角から飛び出す。
後ろからはエクアがおっかなびっくりについてきた。
「そこにいるのは女中か? 尋ねたいことがある」
「ひゃっ? え、あ、あれ、どちら様でしょうか?」
「どちら様? この屋敷の女中は訪れた客人を把握していないのか?」
「え、お客様? でも……」
彼女は私を支えるギウと後ろにいるエクアをちらりと見た。
その異質な組み合わせに対して、声に不審の色を乗せている。
だから私は間髪入れず女中を叱責し、色を蹴り飛ばす。
「おい、その声っ。私の連れに対して、その態度はなんだっ?」
「い、いえ、そのようなつもりでは……」
「いいか、お前は黙って私に従えばいいのだ。それとも、女中風情が貴族である私に意見するというのか?」
「そんな、滅相もありません!」
居丈高に女中に振舞うと彼女は怯えた様子を見せた。
その心の隙を突き、さらに傲慢な貴族の如く振舞う。
「ふん、使用人の教育がなっていないとみえる。まぁいい。それよりも、ムキ殿は今はどちらに?」
「ムキ様ですか?」
「そう尋ねているのだが? まったく、私の質問を繰り返すなっ」
「も、申し訳ありません!」
「それで、ムキ殿は?」
「先程まで書斎でお酒を楽しんでいらっしゃいましたが、今は寝所でお休みになられていると思います」
「寝たのか?」
「はい」
「ふぅ~、今晩は大切な話があると再三連絡しておいたはずなのに、相変わらずというか……仕方ない。女中、ムキ殿の寝所はどこだ? 私はこの屋敷が初めてで地理に疎く、見ての通り目も弱くてな」
「寝所は二階の南側に」
「そうか、では案内を頼む」
そう口にすると、メイドは戸惑いを見せて困ったような声を出した。
しかし、私は容赦なく彼女を追い詰める。
「で、ですが、お休みなられたムキ様を起こすのは少々……」
「話を聞いていなかったのか? 私はムキ殿と大切な話があって、この深夜という時間に訪ねてきたのだ。この重要性、いくら無学な庶民であっても理解できよう」
「え、その……あ、あの、メイド長に確認をして――」
「おいっ!」
「ひっ!」
「我々には時間がないのだ……ん?」
「ギウギウ」
「そうだな。このような者とやり取りしても時間の無駄だ。大切な話であったが、今日は帰るとしよう。おい女中、名は?」
「え?」
「名前を聞いているのだ。貴様の責任でムキ殿に会えなかったのだからな」
「そ、それはっ、あのご容赦をっ」
「ならば、どうするべきだ?」
「ムキ様の寝所まで案内します!」
「うむ、それでいい」
「そ、それでは、案内させていただきます……」
女中は畏れと怯えに体全身を震わせる。その女中に案内されて、私たちはムキの寝所の前までやってきた。
幸いにして、ここまで誰の目にも止まることがなかった。
私は女中に尋ねる。
「警備は外だけなのか?」
「はい、外に警備の方々がいますので、お屋敷内は安全ですから。ですが、念のため、お屋敷内の見回りは私どもが」
「なるほど、そういうことか。では、案内ご苦労」
「いえ」
「あ、そうそう。これから私とムキ殿はあまり表沙汰にしたくない話をする」
「はい……」
「だから、お茶の準備などは不要。また、他の誰かに私たちが訪れていることを伝えることも不要だ。
「は、はい。何も見なかったことにします」
「うむ。では、行っていいぞ」
「はい、失礼します」
女中はこれ以上危険なことに触れたくないと、顔を真っ青にして廊下の闇に消えていった。
私は顎に手を置きつつ軽く唸る。
「う~む、少々脅し過ぎたか。可哀想なことをした」
「ギウギウ、ギウ」
「ふふ、なかなかの役者ぶりだったろ?」
言葉を弾ませ、ギウの声に応える。
しかし、彼の隣ではエクアが難しそうな顔を見せていた。
「ん、どうした、エクア? 私の演技は大根だったか?」
「いえ、そんなことは。演技は本物の怖い貴族様かと思うくらいでしたし。ですが……」
「何か、問題でも?」
「女中さんにお話しされた設定に矛盾があってちょっと……秘密裏に会いに来たのに、客人を把握してないとは! と、怒るのは変かなぁっと」
「……たしかに。即興だったのもので粗があったか。私に脚本の才はないようだ」
「今は女中さんも混乱していますけど、冷静に戻ったら気づいてしまうかも」
「なに、こちらとしてはムキを押さえることができれば十分。では、部屋に入り、彼に激しめのモーニングコールを届けよう」
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