〇六


 未来の心が揺れ動いたのは、久々に妙子に会ったからだろうか。

 もしそうならば、妙子が温かい春の風を運んで来たことになる。

 …確かに彼の心が揺れ動いているのは紛れもない事実である。

 しかし、もうすぐ夏、焼け付く暑さになるだろう。

 短い春は終りを迎えるのだった。

 …日々の生活は大きく変化していた。

 この季節の変わり目、いつの間にか退屈な日々が忙しい日々にすり替えられていた。

 でも、それはラッシュ・ライフとは異なるものだった。

 変わり目、変わり目に苦労・悩みがある―未来は初めてそのことを体験する。

「今だからそんなこと言えるのよ。これからが段々と応えてくるのよ。忙しい忙しいって」と言っていた妙子のあの日の言葉が、脳裏に蘇ってきた。…まるで子供だったと、未来は今になって現実を思い知らされた。

 彼自身は退屈よりも忙しい方が好きだけど、これは全く異質なものだった。この急激な変化には応えていた。

 学校では授業について行くのがやっとで、アルバイトでは細かい失敗を幾度も繰り返すようになり…、今まで難なくこなせていたことが、いつの間にかうまくいかなくなっていた。いくら強がってはいても…自分のやることに自信がもてなくなり、何も手につかなくなる程に悩んでいた。本音をいえばショックなことだったのである。

 だけども、迅速な時間の流れは、彼に思い悩む暇を与えてはくれなかった。考えのまとまらない彼は、自分でも何をやっているのかわからないくらいに混乱していた。

 架空のことを演技するならば、それは嘘である。演技は嘘の中に真実をつくって本当の自分を出現させる。少なくとも彼が演技をやっていて教わったことはこうであった。それだけに強靭な精神力が要求される。

 演技がそうであるように、自分自身に嘘のつける人間は存在するはずがない。だから強がりも所詮は強がりにすぎない。自分自身の弱さは、消せはしない。けれども人間は自分自身を鍛えて成長することができる。

 後は、未来がそれに早く気付けばいいのだが…。



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