第一話 邪神襲来

第1話 邪神襲来 その一



 時間にすれば、ほんの数時間。

 だが、あれからもう永遠にも等しい時が流れた気がする。


「ただいま……」


 ガブリエルに送られて、木造平家建てのわが家に帰ってきた。力なく玄関をくぐる龍郎を、とうとつな大声が出迎える。


「龍郎さん! 早く、早く。急がないと、これから忙しくなりますよ!」


 清美だ。龍郎の腕をとって、ムリヤリ座敷のほうへひっぱっていく。


「えっ? えっと、清美さん?」


 座敷には当然、穂村とガマ仙人が待っていた。

 ガブリエルとフレデリック神父が、なぜか、さきまわりしている。神父は苦痛の玉をえぐりだされた左手を、ガマ仙人に手当てされていた。


「ちょっと、あの、なんですか? おれ、今、傷心なんですが」

「本柳くん。そんなことにはかまっておられんのだよ。人類の存亡をかけた戦いが始まるのだ。清美くん。プリンを持ってきなさい。会議を始めよう」


 あたりまえの顔をして、穂村が言う。あわただしい。

 しかし、それがありがたくもあった。

 目の前で青蘭が天使に転生した。転生前の記憶はもうない。自分を見たときの冷たい目を思いだすと、胸がナイフでつらぬかれたように、するどく疼く。

 その思いをひとときでも忘れることができる。あるいは、清美や穂村は龍郎を元気づけるために、あえてそうしているのかもしれない。


 龍郎は背中のリュックをおろすと、いつもの自分の席にすわった。となりは青蘭のための場所だ。でも、今、そこにはユニがポツンとよこたわっている。青蘭はどこ? かまってほしいよと言いたげな、ぬいぐるみのつぶらな黒い目を、龍郎は見つめる。


(青蘭はもういない。でも、これは青蘭の望んだことなんだ……)


 美しかった。至上の美にあふれていた熾天使セラフィム

 神に等しい力を持つという最高位の天使。

 あの恐ろしいクトゥグアをほんの一瞬で倒した。


 青蘭は龍郎を救うために、あれをしたのだ。このままでは全滅する、逃げきれる保証もないことを悟り、快楽の玉、苦痛の玉にたまったすべての力を放出することでしか、クトゥグアを倒すことはできないと考えてのことだったろう。


 今ここに龍郎が生きていることこそが、青蘭の愛の証だ。


 しかし、感慨にふけっているヒマはなかった。

「これを見なさい」と言って、穂村がリモコンでテレビのスイッチを入れると、信じられない光景がそこに映っていた。


「……なんですか? これは?」


 どこか外国だろう。丘いっぱいに触手が伸び、大地を覆いつくしている。触手は成長を続けながら、家屋や樹木につきあたると、先端の手のような部分で、ことごとくにぎりつぶしていく。逃げおくれた牛や犬なども一瞬だ。


 ガブリエルが麗しい顔をしかめた。


「シアエガだな。あれはドイツに封じられていた。覚醒したか」

「シアエガ?」


 龍郎はたずねたが、それがなんなのかはすでに理解していた。案の定、

「邪神だ」という答えが返ってくる。


 穂村がうなずきながら、映像をとばした。どうやらテレビ番組を録画して編集したものらしい。


「昨夜から放送されたニュースだ。これは、ロイガーとツァールだろうな。東京は火の精だらけだ。あるじをなくして暴走している。ロンドンで多数のノラ猫が吸血されて死んでいるのは、ラーン=テゴスの仕業だろう。また、魚を食べた人間にウロコが生えてくる魚鱗病が、世界各地で流行りだした。ゾス三兄弟か、ダゴンの仕業だろう」


「ゾス三兄弟って、ガタノソアがそうじゃなかったですか?」

「そう。ガタノソアは君が倒したものの、三兄弟ってことは、あと二柱、兄弟がいるわけだ。クトゥルフの息子たちだよ」

「なるほど……」


 ガブリエルが険しいおもてで告げる。

「クトゥグアが召喚されたということは、アフーム=ザーの儀式は成功した。他の封じられていた邪神どもも、順次、復活するということだ。ラグナロクはさけられない」


 こたえたのは、やはり穂村だ。

「うむ。まだ今のところ、地球に封じられていたヤツらか、身のかるい小物のようだ。シアエガくらいなら、新薔薇十字団の本部も近い。天使たちで掃討できるだろう?」


 ガブリエルはうなずく。

「しかし、じきにもっと多くの邪神がこの星に押しよせてくる。私はすぐに本部へ帰り、仲間たちと作戦を練らなければならない」


 そう言って、ガブリエルは立ちあがった。人間に化身していないときの彼は身長が三メートル強だ。古い造りの日本家屋では、腰を半分かがめないと頭が天井につかえる。したがって、人の姿に化けていたのだが、立ちあがったときには、もう背中に翼が生えていた。


「龍郎。君は星の戦士だ。最終決戦には必ず君の力が必要になる。君の処遇をどうするか、そのあたりも相談してこよう」


 言い残して去っていった。


「星の戦士って、なんなんですか?」


 龍郎は穂村にたずねた。

 穂村はプリンにかぶりついている。手でガードしているのは、ガマ仙人から守るためのようだ。


「穂村先生。おれのプリン、あげますから。教えてください」


 当然、ガマ仙人がさわぐ。

「龍郎殿。わしにはくださらんのか? なにゆえじゃ。わしは貴殿のお役には立っておらぬのか?」

「ああ、いや。そうじゃないけど……」


 どこからか、清美がプリンの皿を出してきた。


「はい。ガマちゃん。マルちゃんのぶんだよ」

「かたじけない。しかし、マル殿は?」


 龍郎が口をひらくより前に、穂村が言った。

「マルコシアスは青蘭とともに一つになった。そうだろう? 本柳くん」

「はい」

「マルコシアスは最初からそのつもりだった。青蘭が転生するときには、そうしようと」


 きっと、そうだろう。

 マルコシアスは自分の恋心が成就することはないと理解していたようだ。それなら、せめて愛する者と一つの存在になりたいと願うのは当然のことだ。


 青蘭もいない。マルコシアスもいない。ヨナタンやウーリーもいなくなった。座敷はずいぶん、静かだ。以前のゴチャゴチャとせまくるしかったころが、なつかしい。


「それより、教えてください。星の戦士ってなんですか?」


 龍郎はツライ思いをふりきった。

 世界中で起こる異変。

 邪神が次々、迫っている。

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