第一章

第1話『新たなスタート、変わった日常?』

 ――ハッと、目が覚める。いつもの悪い癖だ。

 それは誰かに起こされるわけではなく、騒がしい物音などで起こされるわけでもなく、自分の高鳴る鼓動で覚醒する。

 そんな強制的な目覚めはとても気持ちが悪い、これの原因を僕は知っている。

 日々の絶えない罵詈雑言ばりぞうごん、大人は見て見ぬ振りの粗暴行為そぼうこうい、誰にも相談できない艱難辛苦かんなんしんく、後先の見えない解決策なしの進退両難しんたいりょうなん

 これら全ては、ストレスという枠組みに集約して重く圧し掛かり続けている。

 それは早朝に始まり学校という名の牢獄に近づくにつれて重さを増し、学校の中では新たに加重され続ける。

 放課後に近づくにつれて気持ちは楽になるが、就寝時には次の日が来ることに精神が乱れる。


 強制的な目覚めは気持ちのいいものではない。

 胸の鼓動が触れなくても分かるこの状態で、何かを口にすれば……間違いなく吐き戻す。

 だからいつもこの鼓動を誤魔化すように机へと向かい勉強をする。

 この悪習慣とも言える早起きを、逆に自分の為に活かすという発想だ。


 ――ベッドから机へと向かうための一歩を踏み出して、目を開けた。


 これも癖と言えるだろう、危ないところだった。いつも眠気が残るのを理由に、まぶたを下ろしたまま机へと移動していた。

 今は家具の配置も違い、寝るときの頭の方向も違うのだから、なにかの角に足の小指をぶつけて危うく床に転がり悶絶するところだった。


 床を滑らせるように椅子を手前に引き席に着いて、座ったままでも手を伸ばせば届く本棚から、一冊の本を取り出して机上に置く。

 値段の張る本でも万能書でもないただの戦術本と各クラスのスキル本。

 その他本棚に並んでいるのも、これに似たスキル解説書やクラス解説書、集団戦術本や戦術応用本などばかり。

 これらの本は何度も読み返し、一語一句を暗記する勢いで頭の中に叩き込んである。

 それでも更に読み返し、別角度から思考してみることで新たな案が思い浮かぶ可能性があり、我流なりにも作り上げた策略や戦術をノートに書き留めておく習性を付けている。

 想像するだけではなく書き出すことによって、もしもの窮地に有力な引き出しとなってくれる。と信じて……冒険者となり、いつか必ずパーティの役に立つその日のために――。


◇◇◇◇◇


 ――いけない、この作業中はいつも時間を忘れてしまう。


 パタンと本を閉じて本棚の元の位置へと戻すし、席を立って両手を天井に突き出すように背伸びをした。

 すると、扉の方から空腹を刺激する匂いが漂ってきた。

 毎朝の、空腹時にはかなり誘惑的な匂い……その匂いに誘われるがまま、僕は部屋を後にして一階へと向かった。


「おはよー兄貴、守結まゆ姉」

「おっす、いつも通りだな」

「おはよーう、しーくん。いつも通り三着だねっ、もうちょっとでご飯出来るから待ってねっ――あっ」

「あっ?」

「ごめーん、しーくん楓と椿を起こしてきてくれないー? 今ちょっと手が離せないから、ね? お願ーい」


 守結まゆ姉は、テキパキと物凄い手際の良さで、朝食と兄妹全員分の弁当を作っている。

 兄貴は、料理が盛り付けられた皿や箸などの小物を順次テーブルへと配膳中。

 まさにこの状況で、一番手が空いている僕が妹たちを起こしにいく適役というわけ……。

 毎朝の恒例行事ではあるけど、もう少し早く降りてくれば兄貴は果たして役割を交代してくれるのだろうか?

 ……とりあえず、今日は諦めて起こしにいくしかない。


「わかったよ」


 諦め混じりの軽い返事をして、もう一度階段の方へ回れ右した――。


 ――妹達の部屋の前に付いた。扉には、ハートで模られていて『かえで椿つばき』の文字に、様々なデコレーションがされている表札が張り付けられている。

 この如何にも小さい子が好きそうな物を何歳まで使い古そうというのか、というか、前の家と違って1人一部屋になれるようになってはずだけど……。

 不用心にも開けている隣の部屋がつい気になってしまい覗いてみると、まさかの完全に空き部屋と化している。

 空き部屋というよりは、荷物入れ箱や散らばった本たちが散乱していて、一言で表すなら――倉庫。


「はぁ……」


 ため息一つ零れてしまう。

 これらを本人たちは整理整頓を自ら進んでやるのだろうか……。

 後で手伝いを懇願されるのを容易に想像できてしまい、更にため息を吐きそうになる。


 ……こんなことを考察していても時間の無駄だ。早く起こさないと遅刻してしまう。


 再び部屋の前に立って、三度扉を叩く……が、勿論返事はない。

 更に三度扉を叩く……ここまでもいつも通り。

 では、今日も仕方がない。年頃の女子の部屋、もとい自分の妹たちの部屋へ――。


 ――そうなにかの予感を漂わせるような謎の思考を巡らせ、ドアノブを回しガチャっと音と共に扉を引き開けた。

「あっ」――心の中でそう呟いた。


 視界に入る光景、それは異様な光景としか言いようがない。

 荷解きが進まず開けっ放しの箱に詰められた荷物。探すだけ探して散らかされた服。学校で使うであろうノートや筆記用具。それらが散乱している。汚部屋とまでは言わずともそれに近い状態となっている。

 それに、途中で疲れて諦めたであろう組み立て途中で放棄されたベッドの骨組み。

 壁に立てかけられたマットレスや床板。明かりが少ない部屋のなか、よく見て見るとそれは一台だけ。

 よくこの状態で寝ようと思ったものだ。と関心してしまうけど、果たしてどこで寝ているのであろうか……。

 その骨組みベッドとは反対方向に目線を送ると、そこに答えはあった。

 まさかの自分たち用のベッドマットを二枚重ねて、その上に仲良く並んで寝ていたのだ。


「いやいや、仲良しすぎるでしょ。まあ、双子ならこういうものなのか?」


 これは呆れた。「はぁ」と溜息一つ零し、やれやれといった感じで体を揺すり、「朝だぞー」とモーニングコール。

「そこまでかっ」とツッコミを入れたくなるような、息の合ったタイミングでむくりっと目を閉じたまま体を起こし始めた。


「ふぁ~、おはよー、しーにぃ」

「ふぁぁー、おふぁようございます、しのにぃ」


 目を閉じたまま、ただ声のする方向へ挨拶を返してるのだろう。半覚醒状態とでも言うのだろうかまるで幼子を相手してる気分だ。

「いや、なんでそこの愛称だけ違うねんっ」とツッコミが口から出そうだったがなんとか堪え、


「もう朝だぞー、今日から学校なんだから。初日から遅刻とか笑えないぞー」


 追加のあくびをして、眼に浮かんだ薄ら涙を拭っている楓と椿にそう催促し、返答を待たずに部屋を後にした。



 朝食はもう『凄い』の一言。

 通常、忙しい朝は冷凍食品を解凍したり、ご飯に汁物とおかずといったメニューが一般的だろう。つい昨日と全く一緒だ、なんて感想を持つ人は少なくないはず。

 でも、守結姉の作る朝食に抜かりはない。バリエーションの多さはどこからくるのか、と一度聞いてみたいところだけど、その話題に触れれば論文発表の如く力説されるだろう。それは時間の消費が凄そうだから、やめておこう。


 ――朝食を終え、身支度の時間。

 これを終えれば、後は登校するだけ。ワイシャツのボタンを締めてネクタイを結び、昨日練習したかいがあった。一発でネクタイを結ぶことができて少しテンションが上がる。

 これで準備万端、鞄に荷物は入れてあるし、後は――。


「あああああ! 守結姉ネクタイが結べないー!」

「守結姉守結姉っ! 私は出来ましたっ!」


 はいはい、始まりました。そんな予感はしてました。


「はいはーい、手伝ってあげるからおいでー。って椿、これ裏と表逆だよっ!」

「ええ⁉」


 守結姉も予感していたようで、手際良く世話を焼きにいっている。

 自信満々にできました宣言をしていた椿が、まさかの間違いを指摘されているのを聞いてつい吹き出しそうになった。

 クスクスと笑う姿を本人に見られると、落ち込みムードでうろつき始めるため堪えなくてはならない。緩みそうになる口をキュッと結んで必死に堪え続けた。


 一歩外に出ればいつもと違う景色、同じ空の下でも場所が変わるだけでここまで変わるんだ……視界一杯に広がる景色は新鮮で気持ちがいい。

 無駄に広い庭には区画整理された跡がある。焦げ茶色の土が盛られているのは、母がいつの間にか花を植えたり菜園を始めだしたせいなのだろう。

 また失敗するに一票。まったく、手際が良いのか悪いのか。


 兄貴は道に出て待機している。新しい制服に違和感があるのか、上着をパッパッと引っ張ったり腕の上げ下げをしている。

 守結姉は、楓と椿に「ほらっ、テキパキしないと遅刻しちゃうよー」と促し、革靴のつま先をタンタンッと叩いている。

 楓は髪のセットが気に入らなかったのか、一度ひとまとめに結んだ髪をパラッと解いて結び直しながら玄関に向かってきている。

 椿は何事もなかったかのように振舞っているが、居間を出る時に足の小指をぶつけて来たのだろう。左足をぎこちなく人形のおもちゃのような足取りで玄関に向かっている。


 ……さて、ここまで騒がしいながらも完璧とも言える日常。不思議と違和感の一つすら感じられない。

 これは一体全体どうなっているのか……顎に手を置き、方眉を捩じらせる。

 あれ……これなにか変わったのか……?

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