第97話 冷たい雨のその先に(5)

 先程から教室の窓の外から聞こえてきているのは、サッカー部の掛け声だろうか。

 昨日の雨でぬかるんでしまっている校庭は使用することができないので、きっと渡り廊下あたりで筋トレか何かをしてるのだろう。

 放課後、部活もないのに教室に残った僕と勇斗はなんの気なしに校庭を眺めていた。

「で、どうすんだよ。」

 おもむろに勇斗が口を開いた。

 いつもであれば主語がない言葉に対して「何がだよ」と返すところであるが、今のは誰かに聞かれてはまずいと思った彼なりの配慮なのだろう。僕はそのまま会話を続けることにした。

「それを相談するんだろ?」

 小さな溜息をつきながら、勇斗に言葉を返す。

 相談内容とは言うまでもない「親衛隊の日菜乃に対する嫌がらせ」の事だ。

「いっその事「この人たち嫌がらせしてます」とか言っちまうか。」

「証拠がなきゃダメだろ?それに日菜乃には「穏便に」って言われてる。」

 こんな時まで相手の立場を考える必要はないと思うが、こういう優しさも日菜乃の良いところと言えるのかもしれない。

「大和には、何て言う?」

「日菜乃は大和には言わないでほしいって言ってた。」

「何でだよ。あいつが親衛隊に「つきまとうな」って言えば済む話じゃねぇの?」

 確かにそうかもしれない。

 でも、日菜乃の希望は「大和に知られないように」だ。

「好きな相手にはこういう事は知られたくないもんだろ?勇斗は本当に女心が分かってないよな。」

 いくら自分が悪くないといっても、トラブルに巻き込まれているような状況を、好きな異性に知られたくないというのは理解できる。

 勇斗がもてない理由は、こういった感情の機微に気づくことができないというのが大きな要因だと思う。

「女心とか、お前にだけは言われたくないよ。」

 勇斗がものすごく深い溜息を付ついたが、全く意味がわからない。

「瑞希ちゃんには、言わなくて良いのか?日菜乃と仲良いじゃん。」

 確かに瑞希と日菜乃は仲が良い。

 しかし、瑞希はあまり争いを好まない性格をしている。ただでさえ転向してきて間もないのだ。こういったトラブルに巻き込むべきではないだろう。

「こういう話は瑞希には合わないよ。」

「そうかなぁ。意外と友達のためなら体張りますって感じかもしれないぞ。」

 そんなワケないだろ。瑞希は僕の周りにいる友だちの中では、唯一の癒やし系キャラだよ。

「しかし、どうすっかな。3人寄れば文珠の知恵って言うけど、二人じゃ良い知恵が出るとは思えないしな。」

 確かに勇斗の言う通りだ。

 僕と勇斗だけでは無駄に時間を費やすだけで、妙案が出てくる気配は一向にしない。

「もう先生に言っちゃおうぜ。」

「それじゃ大和にバレるし、穏便でもない。」

 教室の前側のドアが勢いよく開いたのは、ちょうど勇斗とそんな会話をしている時だった。

「晃、勇斗、話があんだけど。」

 凄い勢いで教室に入ってきたのは、バスケのユニフォーム姿のままの優愛だった。

 確かバスケ部はうちの学校で行われているインターハイ予選に出場しているはずだが。

「親衛隊に日菜乃が嫌がらせを受けてるって、聞いたんだけどホント?」

 なんの因果か、優愛の要件も親衛隊のことだったようだ。

「っつーか、晃がついてんのに何でこんな事になってんの?!」

 ツカツカという音が聞こえてきそうな歩調で歩いてきた優愛が、胸ぐらでも掴みそうな勢いで僕に詰め寄ってくる。

「一応、俺もいるんだけど。」

 名前が挙がらなかったことに不満があるのか、勇斗が小さく抗議の声を上げた。

「ごめん、言い直す。」

 勇斗を一瞥した優愛が大きく息を吸った。

「勇斗だけならともかく、晃がついてんのに何でこんな事になってんの?!」

「おいっ!」

 優愛の発言に、すかさずツッコミを入れる勇斗。相変わらず息がピッタリだ。

「冗談は置いといて、部活連で噂になってるみたいだよ。過剰な応援だけなら目を瞑ってきたけど、こういう事が起こっちゃうようじゃ別の話になるよね。」

 部活連とは主に運動部で構成される部活動の連絡会議の事、各部活の部長クラスが集まって予算なんかの話し合いをする場らしい。

「まだ噂程度のレベルだけど、今後は何か動きがあるかもしれないよね。」

 既に部活連にまで話がいっているとは驚きだ。先生も知らない事を、どうして生徒たちの集まりが把握できたのだろうか。

「じゃあさ、このまま黙ってても万事解決ってことにならね?」

 勇斗の言う通り運動部全体で解決してくれるのなら、僕たちが何もしなくても早めに解決ができるかもしれない。

「その案、私は反対。」

 右手を軽く上げて優愛が口を開く。

「被害に合ってるのが、うちらの友達なんだよ?他人に解決してもらうとか、普通に無くない?やり返さなきゃ腹の虫が治まんないよ。」

 どうやら優愛の堪忍袋の尾はとっくに切れてしまっているようだ。

「晃、優愛の腹の虫がぐぅぐぅ鳴って、治まんないらしいぞ。何か食べるものやれよ。」

 全くもって空気を読まない勇斗の発言に、優愛の眉毛が一気に吊り上がる。

 これは一刻も早く話題を変えないと、勇斗の命が危ない。

「優愛は今日バスケの試合だったんだろ?結果はどうだった?」

 どうだ!

 バスケ好きの優愛にとっては、この話題は渾身の一撃だろう。このままバスケ談義に花を咲かせれば万事解決となるはず!

 しかし、そんな僕の配慮も虚しく、優愛の眉毛はさらに激しく吊り上った。

「一回戦で敗退しましたけど、何か?!」

 ・・・。

 ・・・。

 ふたりとも死んだな。

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