第95話 冷たい雨のその先に(4)
学校からの帰り道、しとしとと降り出した雨を見上げながら、僕はゆっくりとペダルをこいでいた。
夏に向け気温はどんどん高くなってきているが、先日、雨に濡れて風邪をひいたばかりであることを考えると、雨宿りをしていくのが正解なのだろう。
「天気予報を見てから家を出れば良かった。」
学習能力がないというのは、この事を指すのだろう。この間も全く同じ事を反省したばかりだ。
唯一、救いなのは今日は瑞希が部活に行ってしまったため、別行動を取っていることだ。
またしても瑞希に風邪をひかせてしまっては、さすがに申し訳がない。
「仕方ない、稲荷神社に行くか。」
僕は自転車を左に倒して稲荷神社へ向かう横道に入ると、力いっぱいペダルを踏んだ。
“グン”とスピードの上がった自転車は、軽快に坂道を登り始めた。
クヌギやコナラの木々がどんどん後方に流れ、できたばかりの水溜りが飛沫を上げる。
「このペースなら、あまり濡れないですみそうだ。」
稲荷神社のシンボルである2本のイチョウの木を視界に捉えた僕は、過去一番のペースで坂道を上がっていることを不思議に思った。
いつもは瑞希を後ろに乗せたまま家までの坂道を登っているから、思いのほか脚力がついているのかもしれないな。
雨はとうとう本降りとなって、僕の肩を濡らし始めた。
僕は急いでイチョウの木の下に自転車を止めると、スポーツバッグを頭の上に乗せ、雨をしのぐようにしながら境内へと走った。
今で気が付かなかったが、境内には先客がいるようだ。
見慣れたチェック柄のスカート、無駄な物を全て削ぎ落としたかのようなスレンダーな体、跳ぶことに特化したしなやかな筋肉。
膝に顔を埋めるようにして縁側に座った彼女のトレードマークであるサイドポニーテールが、どことなく寂しげに垂れ下がる。
「日菜乃。」
近づいてもこちらに気づきそうもなかったので、僕は彼女に優しく声をかけた。
ゆっくりと日菜乃が顔を上げた。
「何だ、晃君か。」
そう言って、日菜乃はもう一度顔を膝に埋めた。
塩対応過ぎる日菜乃の対応に「何だとは何だ」と言いたくなってしまうところをぐっと堪えて、僕は日菜乃の隣に腰を下ろした。
「日菜乃も雨宿り?」
僕の問に日菜乃はそのままの姿勢で「そう」とだけ答えた。
強くなりだした雨がイチョウの葉を伝い、地面へと滴り落ちる。
そろそろ日が陰りだす。
この様子だと、木々に囲まれた境内は一気に気温が落ちるだろう。
寒さによるものだろうか、日菜乃の肩が小刻みに震えているのが分かる。
瑞希に引き続き日菜乃にも風邪をひかせてしまっては洒落にならないと、僕はスポーツバッグからジャージの上着を取り出し、日菜乃の肩にそっとかけた。
驚いた日菜乃が、一瞬“ビクッ”と肩に力を入れてこちらを向いたが、すぐに元の体勢へと戻ってしまった。
目が・・・赤い・・・?
ほんの一瞬目が合っただけなので確証はないが、日菜乃の目は赤かったように見える。
「優しく、しないでよ。」
今にも消え入りそうな声で、日菜乃が何かを言ったが、雨も音に紛れてうまく聞き取れない。
「え?なんか言った?」
僕の問に対して日菜乃はそのままの姿勢で首を振るだけで、答えてはくれない。
「寒いね。」
「平気、ジャージ借してもらったし。」
ポツリポツリと日菜乃が受け答えをする。
大和がいない所で日菜乃と話す機会は、今まであまりなかったような気がする。
そう考えると、途端に何を話したらいいか分からななってくるから不思議だ。
「晃君はさ、戸田先輩が好きなんだよね?」
唐突に日菜乃が質問してきた。
「ま、まぁ。そうだけど。」
改めて口にするとやけに気恥ずかしい。
「どんなところが好きなの?」
どんなところ?
綺麗で、頭が良くて、皆を引っ張っていて・・・それから・・・。
いざ言葉にしようとすると、自分自身が美桜先輩の事をほとんど知らないことに気付かされる。
「どんなところ・・・か。」
好きなところと聞かれて思いつくのは、外見の良さと僕が勝手に作り上げた美桜先輩のイメージ像だけだった。
「好きっていう思いが報われなかったらって、考えたことはあるの?」
何を意図した質問であるのかは分からないが、日菜乃は相変わらずポツリポツリとした話し方で質問を投げかけてくる。
「報われなかったらって考えたことはないかな?ほら、最近まで美桜先輩に存在を知られてさえもなかったんだから。」
そうだ、僕のことを知ってもらえただけでも奇跡なのだ。どこが好きとか、余計なことは今後考えていけばいい。
「私、大和が好き。」
知ってる。
「でも最近、訳わかんなくなっちゃって。」
日菜乃の声は震えていた。
「日菜乃?」
驚いた僕が視線を日菜乃に向けると、日菜乃は消え入りそうな声で「こっち向くな」と言い顔を膝に埋もれさせた。
雨の音にかき消されそうなはずの小さな嗚咽が、僕の耳の奥にやけに大きく響く。
僕は急いで日菜乃に背中を向けると、膝を抱えて境内の縁側に座りなおした。
何があったのかは分からないが、日菜乃の身に何かが起こっていることは、容易に想像できた。
不意に僕は背中に体重を感じ、僕は背中越しに日菜乃の方に顔を向けた。
日菜乃のが膝を抱えたまま、僕の背中に寄りかかってきたのだ。
少し湿ったワイシャツ越しに感じる日菜乃の体温は想像以上に高く、熱を帯びているように感じる。
「私が好きな人が、晃君だったら良かったのに・・・。」
いつもだったら聞こえるはずのない大きさで口にした日菜乃の呟きが、意図せず耳元で囁くような形となり、僕の耳にはっきりと聞こえてきた。
「ねえ、晃君。」
日菜乃が湿った視線を僕に向けた。
「な、何?」
次に続く言葉を予想して、僕は全身を緊張させる。
「もし、私が・・・。」
飲み込んだ唾が“ゴクリ”と喉を鳴らすのがわかる。
しかし日菜乃はそこで言葉を切ると、僕のワイシャツを握りしめるように掴み、視線を落として言った。
「お願い、助けて。」
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