第3話 春は出会いの季節(2)

 本州最南端の町にある僕の家から自転車で10分も走れば、小さな港に到着する。

 この時間になるとほとんどの漁船は沖に出てしまうため、港内に釣り糸を垂らしていても文句を言う大人たちはいない。

 日の出の時間『朝マズメ』であれば糸を垂らせば、鰯や鯵が釣れるのだろうが、既に太陽が昇ってしまっているこの時間にどれほどの釣果が上がるかは運次第だ。

 よく小説とかで『寄せては返す』と表現する波の姿は、海岸と港では大分違っている。

 砂浜であれば、綺麗な漣が足元を濡らし足の下の砂を優しくさらっていくのだろうが、人工的に掘り下げてある港では、寄せ波の時に迫り上がった海面が引き波のときに一気に下がり、見ていると波に飲み込まれていくような錯覚を覚える。

「晃、見てないで仕掛けを付けてくれよ。」

 勇斗が2メートル程の竿を僕に渡してきた。竿には安物のスピニングリールが取り付けてある。

「まだこのロッドを使ってたのか?中学の時に小遣いで買った『ちょい投げセット』じゃん。」

 僕の言った『ちょい投げセット』とは、量販店でよく売ってる安い釣具セットの事だ。お手頃な値段で手に入るが、決して物が良いとは言い難い。

「遠くに投げるわけじゃないから、サビキ釣りなんて何だって良いんだよ。」

 確かに足元に垂らすサビキ釣りには、良い道具は必要ない。そこに魚の群れがいれば釣れるし、いなければ釣れないだけの話だ。

 そうこうしているうちに仕掛けを付け終わり、僕たちはサビキカゴにオキアミを入れ防波堤の上から2メートルぐらい下の海に向かって糸を垂らした。

 サビキカゴから撒かれたオキアミが、糸の付近で滞留しているのが見える。

 波も速くなく、海の条件はなかなか良いかもしれない。

「晃ー!勇斗ー!」

 糸を垂らした直後に遠くから声をかけてきたのは、佐々木優愛だ。僕と勇斗、そして優愛は家が近く、小学校からずっと同じ学校、いわゆる幼馴染というやつだ。

 何の因果か、高校まで一緒に通っている。

 まあ、この辺は田舎すぎて近くに高校がひとつしか無いというのが大きな理由なのだが。

「ふたりとも家にいないから、探しちゃったじゃん。」

 優愛は自転車から降りると、僕らの方へ走り寄ってきた。

 幼い頃から僕や勇斗とばかり遊んでいた影響だろうか、優愛は随分と男勝りな性格に成長していた。

 ショートカットである髪型も、その性格を助長しているように見える。

 顔立ちは決して悪くはなく、むしろ整っていると思うのだが、本人に飾る気が無いため宝の持ち腐れ状態に陥っている。

「それで?釣れたの?」

「今、始めたばかりだ。」

「はぁ?バカじゃないの?この時間から釣れる訳ないじゃん。」

 勇斗と優愛が言い合いを始める。僕らにとって、これがいつもの風景。

 今回は優愛の意見に一票だな。

「っていうか、引いてない?」

 優愛が勇斗の竿を見ていった。

「ほら釣れるじゃないか。時間帯が悪くても、腕が良けりゃ釣れるんだよ。」

「そのドヤ顔、無性に腹が立つんですけど。」

 勇斗の竿がしなる。

 糸にテンションがかかっているのか、勇斗のリールを巻く手の動きが鈍い。

 これは、もしかすると大物か?!

 いつの間にか、悪態をついていた優愛も、勇斗の竿に注目していた。

「こいつは、でかいぞ!」

 興奮気味に勇斗が叫んだ。

「網はいるか?!」

「いらねぇ、このまま釣り上げる。」

 渾身の力を込めて、勇斗が竿を立てた。

 ・・・。

「長靴ー?!」

 針についていたのは、大きな黒い長靴。

「あっはっはっは!長靴って、狙っても釣れないよ。もうサイコー!」

 優愛が腹抱えて笑い出した。

「くそっ、次こそは大物を釣り上げてやるからな。」

 勇斗がサビキカゴにオキアミを入れて、再度、糸を垂らした。

「この時間じゃ、もう釣れないよ。諦めな。釣れるとしてもタイヤぐらいだな。」

 そう言って、優愛がまた大きな声で笑い出した。

「優愛、邪魔すんならあっちに行けよ。」

 勇斗が優愛を追い払う仕草を見せた。

「ごめんごめん、余りにも面白かったから。」

 涙を拭きながら謝る優愛。しかし、直ぐに思い出して笑い出しまう。

「は、腹が痛い。もう助けて。はっはっは。」

 完全にツボに入ってしまった優愛の笑いは、当分収まりそうも無かった。

「あのう。」

 3人で馬鹿みたいに騒いでいたからか、近くから声をかけられるまで、僕たちはその人の存在に気が付かなかった。

「釣れますか?」

 そう聞いてきたのは、ちょうど僕達と同じぐらいの年齢、つまり高校生ぐらいの女子だった。

 控えめに茶色く染めた髪を、ショートボブでカットし、内側からふんわりと膨らませた髪型をしたその人は、優しそうな笑顔で微笑みながら、僕達に話しかけてきた。

 春らしいパステルカラーのシャツに、タイトなジーンズを合わせたその服装は、この田舎町には似つかわしくない物だった。

「釣れた釣れた!大物か釣れたよ!」

 優愛が「こっちにおいでよ」と手招きしながら、そう言った。

「ちょ、お前やめろって。」

 勇斗が優愛を制するが、優愛の暴走は止まらない。

「これ見て!」

 彼女がバケツを覗き込む。

「これっ・・・て?」

 不思議そうな顔をして、彼女がこちらを見る。

「なかなか居ないよ、長靴を釣る人って。」

 そう言って、再度爆笑する優愛。

「やめろって、困ってるだろ。」

 勇斗が優愛からバケツを取り上げた。

 やっと状況が飲み込めたのか、はじめはキョトンとしていた彼女もクスクスと笑い出した。

 こうなったら勇斗の立場はどこにも無い。

「あ、ごめんなさい。面白かったもので。」

「良いのいいの。ところであなた見ない顔だね。」

 優愛が、彼女の顔を覗き込んで言った。

 僕らの住んでいるような小さな町では、小中学校は一つずつしかなく、同年代の子供は、だいたい顔見知りだ。

 優愛の言うように、目の前にいる女子には見覚えが無かった。

「私、一ノ瀬瑞希って言います。今日、東京から引っ越してきました。」

 勇斗が下手な口笛を吹いた。

「こんな小さな町に東京から?珍しいね。」

 僕は素直な感想を言った。

「父の仕事の関係で。」

 転勤に付いてきたって事か。

「私は優愛。こっちが晃。それで長靴釣ったのが・・・。」

「勇斗です。瑞希ちゃん、宜しくね。」

 お調子者の勇斗が、一ノ瀬さんの手を取って言った。

「勇斗!困ってるだろ?!」

 優愛の蹴りでよろける勇斗。

 一ノ瀬さんは、クスクス笑いながら「宜しく」と言った。

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