第18話 宮都へ

『ユウさん急いで! もう列車が来ます!』


 ユリンに引きずられるようにして、俺は人と人の隙間を歩く。あっちもこっちもぎゅうぎゅうだ。耳に入るのは構内アナウンスと、ひしめく人々の足音のみ。


『ちょ、ちょっと待ってくれ! さっき買った切符が見つからないんだよ!』


 俺はパーカーやズボンのポケットに手を突っ込みながらあたふたするばかり。


 俺たちは今駅にいる。無論電車……じゃなかった、汽車に乗るために。

 宮都ヴァルデノン西部。そこにおもむくために____




* * *

 



 サザデーさんが突然やってきた昨日の昼。話をひと通り終えた彼女に対し、ユリンは疑問を投げかけた。


『それで? その事件の話をして、私たちに何を……?』


『結論から言うとだな。明日、宮都西部に向かってほしいんだ』


『宮都に? なぜです』


『そこにとある孤児院があってな。軍が管理しやすいようにという意味も込めて、今回の事件の被害者となった子供たちは全員そこに収容されている』


『全員!? よくそんな急な受け入れが叶いましたね』


『そこの院長と顔見知りでな。快く引き受けてくれたよ』


『でもそこに行ってどうするんです? 子供たちは全員事件についてどころか、自分の両親に関しても何も覚えていないんでしょう? 事情聴取など無意味では……』


『違う違う。ただの事情聴取なら、わざわざお前に頼んだりしないさ。そんなものは誰にでもできる』

 


 ____あれ。今「お前」って言ったよね。俺はムシっすか。



 俺はもはや完全に蚊帳の外に置かれた状態だった。いなくてもいいのなら、早く昼メシ食べたいんだけど……。


『それに、お前の言ったことにはひとつ間違いがある。子供たち全員が記憶をなくしているわけではない』


『え? どういうことです?』


『いるんだよ、1人だけ。明らかに事件当時の記憶を持っているであろう子供がな』


『は?』


 そっぽを向いて聞き耳を立てていただけだった俺も流石にその言葉には反応し、サザデーさんに聞き返す。


『それって……その子だけ魔術にかかっていないってことですか?』


『そうなるんだろうな。まぁ、まだ子供らの記憶喪失が魔術によるものかどうかはハッキリせんが』


『でも、なぜその子が記憶を失っていないって分かったんです? それに当時のことを覚えているなら、早く聞き出したらいいじゃないですか』


『それくらい口で言わんでも分かるだろうが、バカ者。錯乱しているんだよ。その子は強い精神的ショックで、まともな会話をすることすら叶わない状態になってしまっているんだ』


 ……やっぱりなんか俺にはやたらとキビシイな、この人。


 しかし、理解はできた。事件当時のことを忘れているのであれば、そんなトラウマだって残っているはずがない、ってことだ。


『……なるほど分かりました。だから私に、ですか』


 その会話を横で聞いていたユリンが察したようにうなずく。が、俺にはその言葉の意味が分からない。


『え、だからって……どういうこと?』 


『ユリンは精神科医の資格も持っているんだよ』


 隣に向かって聞いてみると、代わりにサザデーさんが答えを教えてくれた。


『私にその子に会え、ってことですね』


『そうだ。直接話してみて、どうにか正気に戻すための糸口を見つけてほしい。少しだけでもいいんだ』

 

『分かりました。……でも、サザデーさんは私に、とおっしゃいましたが……それならば話を聞くのは私1人だけでよろしかったのではないですか?』


 あれ、やっぱり最初から俺いらないのかい。胃袋を無駄にいじめただけじゃん。


『いいや、ユウ。お前にも同行してもらう』


 ……え?


『ええ!?』


 それを聞いた途端隣に座っていたユリンが、驚いて勢いよく立ち上がる。


『そんな、なぜ!?』


『訓練期間終了まであと4ヶ月と少し。ユウもその間に現場に出る感覚を少しでも掴んでおいたほうがいいと思ってな』


『それでも今のユウさんはただの素人です! 戦闘技術もまだまだ不安定なのに……! ダメです、反対です!』


 ユリンは声を張り上げて強く抗議する。

 まぁ、そうね。まだ組み手でもユリンにちっとも勝てないし。……デカすぎる前科もあるし。

 俺は1年前の自分の愚行を思い出して気まずくなる。


『別に戦いに行けと言っているわけではないのだしいいじゃないか。それに何より、彼に知ってもらいたいのさ』


 サザデーさんは横目で俺の顔を覗く。思わず震え上がってしまいそうになるほどの鋭利な視線を、俺にざくざくと突き刺しながら。


『兵士として生きるのが、どういうことなのか……をな』




* * *




『……しっかし、精神科医って……。すごいな』


『いえいえ、そんな大したものじゃありません』


 汽車の車両の中。窓際の座席にもたれかかって走行の揺れに身を任せながら、俺は向かいに座るユリンと話す。

 俺の格好はいつも通り。転移した際に来ていた私服一式と、安定のサングラス。

 ユリンは、ハイネックの黒いブラウスに真っ白なデニムといった相変わらずのシンプルな服装に、革製の小さなショルダーバッグを持っている。

 そして彼女の右胸には、小さな金色のバッヂが付いている。どうやらこれは軍に所属する者としての証らしい。つまり、今回のはれっきとした職務というわけだ。

 

『ユリンはいつ医者の資格をとったんだ?』


『ええと、ユウさんが来る3年前だから……今から4年前ですね』


『……ウソだよな?』


『さて、どうでしょう?』


 あまりにも常軌を逸した答えについ疑いの心を漏らしてしまった俺に対し、彼女は揶揄からかうような笑顔を見せる。

 ……まぁいいや。この世界に来てから驚いてばっかりだし。もう慣れたよ、ええ。

 


 結局あの後ユリンはサザデーさんに押し切られ、渋々と俺の同行を承諾した。

 ただし、俺は2つのことを約束させられた。ひとつは、1人で行動しないこと。そして2つ目は、万が一のことが起こったとしてもユリンの許可なく戦闘行為をしないこと。

 1個目についてはまるっきり親と小さな子供の決め事だが、はいと言わないわけにもいかない。過ちを繰り返さないためにもだが、俺は単純に外に行ってみたかった。

 俺とユリンが暮らすあの山があるのは、ゼルネア地区と呼ばれるところだ。この1年の間に4、5回ほど山を降りて町に行ったが、地区の外にまでは1度も行っていない。見てみたいのだ。まだまだ何も知らない、この世界を。

 

 ゼルネア地区から宮都ヴァルデノン西部までは汽車で2時間。俺は、列車の窓から外の景色をぼんやりと眺めている。発車してからしばらくは畑しか見えなかったが、目的地に近づくごとに少しずつ建物の数が増えていく。


『……うぇ』


 ……それにしても、さっきから気持ち悪いな……。ひどい吐き気がする。

 どうやら酔ってしまったらしい。もといた世界じゃ電車酔いなんかしたことなかったけど、いかんせんこの汽車は揺れがひどい。技術進歩の差をこんなところで味わうことになるとは……。


『ユウさん大丈夫ですか? 顔色が悪いですけど……』


 俺のその様子に気づいたのか、ユリンが心配そうに顔を覗き込んでくる。


『……ああいや、ちょっと酔っただけだから。気にしないで』


『気にしないでじゃありませんよ、もう。そういうのはちゃんと言ってください』


 するとユリンは立ち上がって俺の隣に座り、自分の膝をぽんぽんと叩いた。


『ほら、横になって』

 

『え!? い、いや、それは……』


『あ、そうか。椅子の幅が足りないから、私が通路側にいたら寝転べませんね。場所を交換しましょう』


『あ、いやそうじゃなくて……悪いってそんなの』


『いいからいいから。遠慮しないの』


 彼女は柔らかく微笑みながら手招きをする。

 なんかカッコ悪いし、恥ずかしい。しかし気分はどんどん悪くなる。抗いきれなかった俺は情けなくも彼女に甘えさせてもらうことにした。


『眠ってていいですよ。着いたら起こしますから』


 席の窓際に座るユリンの膝、というよりももに頭を乗せ、通路に足をはみ出す形で横になる。俺は薄目を開けながら、すぐ上にある彼女の顔を見ていた。


 ……やっぱり、信じられねぇなあ。俺と同い歳だなんて。


 それはもちろん能力的な意味合いもある。さっきの医師としての資格を取得した時期の話もそれだ。

 だがそんなことより、なんと言ってもこの雰囲気。ユリンは細身で背も低いし、顔立ちもどちらかといえば幼い。でもなんというか……オーラ? いや存在感というべきか。ユリンのそれは他人を暖かく包み込み、安心させてくれるのだ。その奥深いいで立ちは、大人っぽいなどという安い言葉では表せない。

 この1年ずっとそうだったが、そばにいるだけでこっちは子供になったような気持ちになる。むずがゆくはあるが、決して嫌な感覚ではない。むしろもっと浸っていたいとすら思った。


 ……まぁ、単に俺がガキなだけかもしれないけど。





『ふぅ、着いたぁ〜』


 駅の外。ユリンがぐいい、と伸びをする。

 あれからすぐに俺は爆睡してしまい、ユリンに起こされたときには宮都に着いていた。2時間と4分の道のりだった。列車を降りた直後はかなり寝ぼけていたので、駅を出る際に切符を切らずに出ようとしてしまった。

 無論、この世界には自動改札機などというものはない。駅員が乗客1人1人の切符を小さなはさみのようなもので直接切っていく方式が取られている。日本史の教科書でしか見たことのなかったものを、俺は直に体験したのだ。

 ちょっぴりだが、感動を覚えた。


『さて。行きましょうか、ユウさん』


『おー』


 俺たちは目的地である孤児院を目指し、並んで道を歩き出した。


 ここ宮都ヴァルデノンというのは、いわゆる首都みたいなものらしい。その話に違わず、ここの騒がしさはゼルネア地区とはまるで比較にならなかった。

 特に車だ。ゼルネア地区も人はそれなりにいたが、車はぽつぽつとしか通っていなかった。が、ここは車道という車道にぎっしりと自動車が並んでおり、どこもかしこも渋滞だらけだった。1台1台の車間はわずか30センチにも満たず、クラクションも絶えず鳴り響いている。

また、あたりにはいい香りが漂っている。ニンニクのようなもの、醤油のようなもの、カレーのようなもの。食事処もたくさんあるのだろう。


『あれ? おかしいな……』


 そんなどうでもいいことを考えていると、隣で地図を見ながら歩いていたユリンが立ち止まった。


『? どうしたの?』


『ごめんなさい、道を間違えたみたいです。さっきの路地を左でした』


『ああそうなの? じゃ、戻ろう』


『ごめんね』


『いいよいいよ、軽い運動だと思えばさ』


 俺たちは引き返していく。



 ____その後。1時間が、経過した。



『……あの〜、ユリンさん? 駅に戻ってきちゃったんですけど……』


『あ、あれ? やっぱりさっきのところは真っ直ぐで……いや違う、その前の交差点を……あれ?』


 俺はぜーぜーと息を切らし、ユリンは地図とにらめっこをしながらうんうんうなっている。

 あっちこっちを行ったり来たりを繰り返し、結局スタート地点に逆戻り。道ってのはちゃんと繋がっているんだなぁ、などと言っている場合ではない。軽い運動だなんて言えた頃が懐かしいとすら思えてくる。


『ちょ、ちょっと待ってて! 駅員さんに聞いてきます!』


 そう言うとユリンは、慌てて駅構内に入っていった。


『……ぷっ』


 その後ろ姿を見ていたら、勝手に変な笑いが込み上げてきた。

 変な意味のものではない。しっかりしている彼女にも、不得手なことはあるらしい。それを知れたことへの安堵……だろう。


 俺は彼女が戻るのをぼんやりと立ちながら待っていた。と、その時____


『うわっ』


 突然何かが背後からどん、とぶつかり、俺はよろめいてしまう。振り返ってみると、そこには1人の男がいた。

 180弱の身長。赤いモヒカン頭に、鼻と唇につけられたピアス。がっしりとした体格。……怖い。ものすごくいかつい男だ。


『あ、どうもすみませ……』


『どこ見てやがんだこのクソガキィ!!』


 謝ろうとしたら割り込んできた。しかもなんつー怒鳴り声。思わず身体をびくりと震わせてしまう。しかもなんか酒臭い。まだ真昼間なのにもう飲んでるのかよ。


『あ、や、ぶつかってきたのはそっち……』


『あァ!? なんだテメー、俺のせいだってのか!? 他人に自分の罪をなすりつけるなんてカッコ悪いと思わねェのかよ! ナメてんのか? ナメてんだろ? テメー俺をバカにしてんだろ!?』

 

 ブーメランがデカすぎる!

 話が通じるタイプじゃない。無視するのが1番だ。俺はその男から離れるために、駅に入ろうと歩き出した。のだが____


『なァに逃げてんだガキィ!!』


『ぐッ!?』


 男は、俺の背中に蹴りを入れた。前に向かって転びそうになるがなんとか持ち堪える。


『俺がよォ、この俺がテメーに向かって話をしてんだぜェ! ちゃんと俺の目を見ろや! 会話のジョーシキも知らねぇのかこのトンチキがァ!』


 男は滅茶苦茶なことを騒ぎ続ける。

 ……そして今の一撃。こんな理不尽なことをされて黙っていられるほど、雄弥は大人ではなかった。


『……この野郎……!』

 

 再び振り返った彼は、衝撃でズレたサングラスを直しながら男を思いっきりにらみつける。


『あ。テメー今、野郎って言ったよな。ダメだーダメだーダメだダメだダメだ! 目上の人は敬わなきゃいけねェんだよ! 俺は29歳だぜェ!? 分かるか? 生意気はダメだ! ダメなんだよォ!』


『……てめぇが人の礼儀を語るんじゃねえよ。このニワトリ男が』


『にわとりィ? なァーに訳の分かんねえことを言ってんだ! 俺に理解できないことを言ったテメーはもう許さねェェェェ!』


 男は雄弥の顔面に向けて右の鉄拳を繰り出す。が、雄弥はすでに反撃の姿勢を整えていた。

 撃ち出された拳を避けると同時にその腕を掴み、相手を投げ飛ばす。彼にとっては、訓練で何度もやったシチュエーションだ。


 へっ、遅いな! ユリンの足元にも及ばねぇ!


 彼は勝ちを確信した……はずだった。ところがその時、大事なことを思い出す。


 ん? ユリン? ……あ。



 ____私の許可の無い戦闘行為は禁止。いいですね。



 そう、昨日ユリンとした2つの約束。今のこの状況はそのうちの片方に抵触する。それだけじゃない。これはエドメラルの時と同じだ。感情に突き動かされてばかりのままでは、いつまで経っても成長できない。

 

 ……そうだ、反撃したらダメだ!


 それに気がついた雄弥は反射的に、かけようとした技を中断する。そして____


『げはあッ!』


 そのまま素通りさせた男の拳を左頬にモロにくらってしまい、2メートルほどブッ飛ばされたのだった。

 地面に倒れ、鼻血がぽたぽたとしたたり落ちる。


『う……ぐ……』


『弱い弱い、弱ァァいィィィィ!! テメーみたいなザコに生意気言われたんだと思うと、余計に腹が立ってきたぜェ! 追加だ! あと12、3発はブン殴って____』


 そこまで言いかけて、男はぴたりと動きを止める。 


『……あ? テメー、その目は……』


 男が見たのは彼の目。殴られた衝撃で、雄弥のサングラスが外れてしまっていたのだ。


『気のせいか? だが今確かに……』


 男は顔を下にして倒れている雄弥に近づき、かがんでその目元を覗き込もうとする。

 ところが、その時。何者かが、彼の左肩をがしりと掴んだ。


『あァ?』


 男が振り向くとそこにいたのは____



『……私の友達に何しているんですか』



 ルビーのような瞳を怒りによってさらに真っ赤に染め上げた、ユリンだった。


『離れてください、今すぐに』


『オイオイなんだ、友達だァ!? そうか分かったぞ! 生意気か! テメーも生意気なんだなァァァ!?』


 男は身体をも捻り、彼女に殴りかかった。____やめておけばよかったのに。 


 ユリンは回避ざまに腕を掴むと勢いに身を任せて男をその身体ごと振り回し、壁に向かって思いっきり投げ飛ばした。


『ぶぎゃッ!!』


 男は頭から激突し、たちまち伸びてしまった。


 


 

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