第3話

「美味し〜」

「あぁ〜幸せ〜」


 宴会場に用意された夕食を前に私と友梨さんは舌鼓を打ち、それを眺めながら湊さんが日本酒を飲む。それから松岡くんは私の隣で静かにもくもくと箸を動かしていた。


「お刺身美味し〜」

「この天ぷらサクサク〜」

「はぅ、幸せー」

「絶対また来たいー」

「そうですね、また来たいな〜」


 素敵な旅館に美味しい食事。文句なんて一つもない。


「彩葉ちゃんたちは今度は二人きりで来たらいいんじゃない?」

「はは〜、そうですね〜」


 それは願っても欲しても手に入らない望み。

 しかし松岡くんは意外な返事をする。


「そうだね、彩葉が来たいならまた二人で来るのもいいかもね」


 ホントに!? なんて問返そうとして留まる。

 ……分かってるよ。それが嘘だって。


 だって私たちは友梨さんと湊さんがアメリカに行くまでの関係だから。次の約束をしたってそれは全部、嘘。

 一人で来るなら容易く叶うだろう。しかし松岡くんと一緒に出掛けるのも、ましてや旅行に行くなんてもう二度とない。

 目の前の料理に視線を落とす。これが松岡くんと旅行する、最後の晩餐。

 仕事上での付き合いはあれど、プライベートでこうやって旅行するのがこれで最後かと思うと切なくなる。

 ぐっと、ビールを飲み干すと、中居さんがすぐに注いでくれるので私は胸の痛みを誤魔化すように飲み続けた。




ふらふら、よろり、と歩く私の半歩後ろを松岡くんが歩く。時々、真っ直ぐ歩いてください、と言われながら。


「あ〜、食べた〜」

「どっちかって言うと呑んだの間違いでしょ?」

「えー、だって空けたら空けただけ中居さんがビール注いでくれるんだも〜ん! へへへ〜、うわっ」

「あっぶな」


 自分の足に自分の足が絡まり、危うく転ける所を松岡くんに助けられる。松岡くんの手が触れる。取られた腕がどうしようもなく熱い。


「あり、がと」

「ちゃんと歩いてください。ほら、部屋に着きましたよ」

「は〜い!」


 あのあと松岡くんに止められるまで、中居さんに注がれるがままに私はビールを呑んでいた。


「ちょっとお水もらっていいかな〜?」


 そう言いながらふらふらと部屋に設置された冷蔵庫を開ける。


「ははっ、あったあった〜」

「月見里さん、ちょっと! それビールですよ、水はその隣……」

「えー? あれ〜?」


 冷蔵庫から確かに水を出したと思ったのだが持っていたのはビールで、松岡くんがやれやれと取り替えてくれる。


「酔っ払いが……」

「ふあ〜、眠っ」


 椅子に座って欠伸をこぼしながら水を飲もうとした私は見事に水をこぼしてしまった。


「あぁ、濡れちゃった」

「何やってるんですか、ほらタオル! 拭いてください」

「はーい、ごめんなさーい」


 私の手から水を取り上げるとそこに白いタオルを乗せてくれる。


「ふふっ、松岡くん優しいね〜」

「はっ? 別に、酔っ払ってるからでしょ。月見里さん、いつもはしっかりしてるくせに、どこでハメを外したんですか?」

「へへへ、楽しいね〜」


 自分が酔っている自覚はあるものの、この楽しい気持ちは抑えられそうにない。


「ねえねえ、松岡く〜ん」

「何ですか?」

「松岡くんは楽しかった? ちゃんと楽しい思い出できた? 楽しんでね、楽しんでくれなきゃ私……」


 松岡くんの彼女のフリしてる必要ないもんね。


 目の前がゆっくりと暗くなっていく。遠くで、楽しいですよ、と聞こえた気がして嬉しくなった。


 私ね、まだね、松岡くんとたくさん話しがしたいんだけど……


 寝るんならベッドで寝てください、と言われている気もするがもう無理みたい。だってとても眠たいんだもん。

 夢に引っ張られて意識を手放すが、夢の中で温かい手が私の頭を優しく撫でてくれる。


 誰だろう?

 まさかこの優しくて穏やかな手が松岡くんだなんて思いもしなくて……。「誰?」と私の問い掛けに低い声で「彩葉」と呼ばれる。頭を撫でてくれる温もりには覚えがあって……。


 そっか、なんだね。私もう前に進めるから大丈夫だよ。


 そう、にっこりと微笑んだ。



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