第3話
遊園地デートから三週間経過し、約束の水族館デートの日がやって来た。
遊園地の日にはカジュアルだった格好も、今日は頑張ってオシャレをしてきている。淡いグレーのブラウスに、ミモザ色のフレアスカートの裾が風に吹かれ膝下で揺れていた。
可愛いと思われたいという意識がないとは言えない。鏡の前で何度も「おかしくないかな? 可愛いかな?」と確認していた事は事実である。
だけど松岡くんから「可愛いですね」なんて言われる事は期待していない。彼は私にそんなセリフを絶対に言わないだろう。言うとしたら、言う相手は私じゃなくて、きっと友梨さんなのだ。
だけど少しくらい可愛いと思って欲しいと思うのはわがままだろうか。
だけど私になんて全く興味がないと証明するように、松岡くんの態度はいつもと同じで淡々と「おはようございます」と言って来る。
「おはよう」
「はい、入場チケットです」
「ありがとう。いくらだった?」
「いらないですよ」
「でも、そんな訳には……」
「友梨と湊くんもチケット買えたみたいですよ。さ、行きましょ」
「ちょっと松岡くん」
「歩です。今日は彼女なんだからいいんですよ、彩葉。……彼女役をしてくれる対価ですからこのチケットは」
「対価……」
嫌な言い方だけど、浮かれた気持ちを冷静にしてくれる。そうだ、今日も松岡くんが友梨さんとの思い出をたくさん作れるように応援しなければならないのだ。当初の目的を思い出した私は今日も頑張るぞ、と一人で意気込むと松岡くんの背中を追った。
小さな水槽からだんだん大きな水槽へと移り、目の前に巨大な水槽が現れた。
いや、これはむしろ私たちが海の中にいるかのような錯覚さえ覚える。上を見上げてもゆったりと気持ち良さそうに泳ぐ様々な魚たち。
隣で家族連れの子どもが可愛いらしい指を前に伸ばして「あれはなに?」と目を輝かせていた。
大人になったら無邪気に輝かすことはなくなるけど、でもそれでも圧倒されるなとしばらく四人で眺めていると、湊さんが「おお!!」と声を上げる。
「ほら友梨、見てご覧。この美しいイワシの魚群を! 私はこれだけが見たかったんだ。なんて神秘的なんだろう。凄いね、友梨。あまりの感動に手が震えるよ……」
それを不躾にもぽかんと見てしまった私に、友梨さんはこそっと耳打ちしてくる。
「ごめんね。湊くん、こうなったら三時間はここを動かなくなるんだよね」
「えっ!? 三時間?」
「うん、最低三時間。長ければ一日中」
「うそ……」
「だから、二人は先に行って! イルカショーの時間もあるし、ゆっくり楽しんでおいで、ねっ!」
「あ、それなら私が湊さんとここで待ってますよ。だから友梨さんが楽しんで来てください! 友梨さんこそイルカショー楽しみにしてたんじゃないですか?」
でも……、と困る友梨さんを見てやっぱり楽しみにしてたんだと感じる。
ここで湊さんと私が残れば、松岡くんは友梨さんと二人でデートが出来る……。そう、こんな胸の痛みなんて大した事はない。
私の気持ちより松岡くんの気持ちを大切にする日なのだから。だから私の気持ちの蓋をうっかり開けてしまわないよう閉ざして、心に何もないように振る舞わなければならない。
「ねっ、友梨さん。私はまたいつでもここに来れますし、イワシを見てるのも結構好きなんむぐ――」
「何言ってるんです? 彩葉? ちょっと湊くんが格好いいからって、ふらふらとそっちに行かないでくださいよ。ほら彩葉は僕と先に行きますよ。友梨、じゃあ後でね。湊くんもほどほどにして、ひっぱたいてでも連れて来なよね」
「うん。彩葉ちゃんをよろしくね歩!」
「分かってるよ」
私の口を手の平で潰したまま進もうとする松岡くんの手をたたいて抗議する。
「んむ、むう、うー、んー!」
「ほんと、お節介」
「なんで? 友梨さんと二人でデート――」
「しつこいですよ」
きっと睨まれた私は、ごめん、と項垂れる。
「今日の彩葉は僕とデートなんですから、僕と一緒にいなきゃおかしいでしょ。そろそろ本当に友梨に疑われますよ」
「ごめん。心配させたくないんだもんね」
「…………」
怒らせてしまったのだろうか。ごめんね。松岡くんのためを思って、とやっている事がすべて裏目に出ている。
こんなはずじゃなかったのにな。もっと楽しく友梨さんと笑顔の思い出をたくさん残して欲しかっただけなのに……。
ごめんね、と囁いた声は果たして松岡くんの耳に届いたかは分からない。道幅の細い展示室には多くの人がいる。前を歩く松岡くんが一度こちらを振り返ると私の手を取って引っ張る。
「はぐれたら困りますから」
子どもじゃないんだから大丈夫だよ、と言う言葉は飲み込んだ。繋がれた手から伝わる温もりがとても嬉しくて心を弾ませてくれる。
にやける顔を唇を噛んで必死に我慢しなければ、嬉しいと言う気持ちが際限なく飛び出してきそうで怖かった。
それに何より松岡くんに気付かれるのが怖い。
「ママー、ペンギンさん〜」
子どもたちの後ろから人気のペンギンを鑑賞する。
「彩葉、あっちのペンギン見てください」
「え、どこどこ?」
「奥の岩場にいる右の子」
「あ〜、あの右のテトテト動いてる?」
「そうそう。なんか彩葉に似てますよね」
「えっ? どういう意味?」
もしかして可愛いとか? と期待する。しかし望んだ答えは返って来ない。
「忙しないって意味ですけど?」
「私って、忙しない?」
「自覚なしですか?」
「自覚なんてないですけど!? もうっ」
折角ペンギンに癒やされていた気分が台無しだ。まだまだゆっくり見ていたかったけど馬鹿にされたのが悔しくて次の展示コーナーにずんずん進む。
だけどもしかして、忙しない、ってこういう事かもと気分が沈んで足の動きがとまった。
「どうしたんですか? 急に止まらないでくださいよ」
「うん。ごめんね、もうちょっと落ち着きのある人間になります」
「は?」
「はあ〜、ダメだな〜」
三十歳を過ぎれば落ち着くのだろうか?
一年後の自分を想像してみるが、今と変わらず落ち着きなく働いて、寄り添う恋人もなく、独身で過ごしている未来がまざまざと浮かぶ。
「はあ〜」
何だか上手くいかない。今日だって、友梨さんとの思い出を作ってあげる事も出来ず、私なんかとずっと館内を巡って楽しくもない無為な一日を松岡くんに過ごさせている気がしてならない。
私なんかと一緒にいて楽しい訳がない。松岡くんを楽しませてあげるどころか自分を卑下している。
そんな想いに自分で自分の胸を痛めていた。
結局、イワシの前で動かない湊さんを友梨さんでもどうする事も出来ず、苦笑しながら「先に帰っていいよ」と言われてしまう。
「じゃあ友梨またね」
「友梨さん、ごめんなさい。また」
「またね彩葉ちゃん、歩」
手を振る友梨さんに私は手を振り返し、退館した。
「閉館まであと二時間くらいだし大丈夫でしょ。だから気にしないでくださいよ?」
「うん、ごめんね。今日は友梨さんたちと全然一緒に――」
「だから、それは月見里さんのせいじゃないじゃないですかっ!」
「でも」
「それ以上言わないでください。僕は楽しかったです。それでいいじゃないですか?」
そうなのかな? と釈然とはしないものの松岡くん本人が『楽しかった』と言ってくれた事で私の心はいくらか救われてしまう。
次こそは挽回して、なんとか松岡くんに友梨さんとの楽しい思い出を作ってもらいたいなと思いながら私は家に帰った。
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