第2話

 帰り際「月見里を泣かせたら許さないからな! 家までちゃんと送って行けよ!」と川辺が赤い顔で言うのを、分かったからと聞きながら解散した。

 火照った頬に夜風が気持ちいい。

 明日も仕事だからと私と松岡くんはビール一杯。川辺は五杯飲んで落ち着いた。


「彼氏待ってるんですか?」

「なに? 気になるの?」

「別に、そういう訳じゃ……」


 少し拗ねたような顔をする松岡くんを見て、ふふ、と笑い声が漏れる。


「もう五年も前の話しだよ。もう帰って来ないんじゃないかな」

「今でも好きなんですか?」

「う〜ん、どうだろうね〜」


 自分でもよく分からなくて曖昧に濁してみたくなる感情。もし彼が目の前に現れたら私はまだ「好き」だと思えるのだろうか。

 恋心も思い出も褪せているのは事実だけど、彼を目の前にしたら恋は再燃するのだろうか。

 しんみりとした空気が二人の間を行ったり来たりする。お互い行き着く先を失った気持ちの終着点は自分で見つけなければならない。「好き」という気持ちは時に残酷でもある。

 私の気持ちは五年の月日を経て色褪せてきたけど、松岡くんの友梨さんへの気持ちはいつか褪せるのだろうか。

 なんとなく親近感が湧いてしまう。


「じゃあ他に好きな人は?」

「いないよ」

「一途なんですね」

「それは松岡くんもでしょ?」

「は? なんで僕――」

「見てたら分かるよ。中々思い通りに行かないね、人生って難しい!!」

「月見里さんでもそう思うんですか?」

「当たり前だよ。何度も壁にぶち当たる」

「それでも前に進む?」

「うん。前に進めるようにもがく。もがき過ぎて息が出来ない時もあるけどね」

「息……」


 そうこぼし、立ち止まった松岡くんを振り返って見ると、どこか泣きそうな顔をしていた。

 松岡くんの前に戻りその手を掴んで引っ張る。私より背の高いその身体はされるがままで、駅前の広場にある人気ひとけのないベンチまで連れて行くとそこに座らせた。


「大丈夫? お水いる? 買って来ようか?」

「ここにいてください」


 彼らしくない弱った声。

 今までずっと虚勢を張っていたのだろう。誰にも弱い所を見せれなくて、自分の中に必死に隠して、蓋をして……。

 だけどそれは、いつか限界が来るもの。


 それが今、松岡くんからあふれる。こぼれる。落ちる―――


「ごめんなさい、今までテキトーに付き合う女の子はいても、本気で好きになったのは友梨だけで……。でももう向けようのないこの気持ちをどうしたらいいか分からなくて月見里さんの優しさに漬け込んで利用しました。僕は最低な人間だ。だから友梨は僕じゃなくて湊くんを選んだんだ……」


 僕は……と懺悔するかのような松岡くんがあまりに幼い子どもに見え、私はたまらずぎゅっと抱き締めた。それから良い子、良い子とでもいうように背中をゆっくり撫でる。

 いつも完璧だと思っていた松岡くんが他人の前で弱さを晒すという事がどういう事なのか……。

 私の腕の中で背中を震わせる松岡くんを私は初めて愛しいと感じた。


「私でいいなら利用していいよ。……全部、全部、吐き出そう?」

「ずっと、……友梨が好きだったのに……」

「うん」

「胸が痛い……」


 本当に大好きなんだね友梨さんが――そう感じながらしばらくその背を優しく撫で続けた。

 その弱って震える小さな背から伝わる体温に、どうにかしてあげたいと強く思うのだった。


 落ち着いた松岡くんの背中から手を離すと、二人の間にあった空気を攫うように夜風が吹いていく。

 まるで、何もなかったかのように。

 けれど顔を上げる松岡くんの瞳は涙に濡れていて胸がきゅっと痛む。


「ああ、もう、カッコ悪いな……」

「そんな事ないよ」


 もう一度抱き締めてしまいたい衝動をこらえる。そうしてしまえば今度は傷の舐め合いになりそうな気がしたから。

 そんな顔を見ているから駄目なんだと、私は踵を返す。見ない、見ない……。


「さ、帰ろ」


 慰めの言葉の代わりに短く帰りを促すと、後ろで立ち上がる気配を感じた。

 ゆっくり一歩を踏み出し、口を開く。


「友梨さんがアメリカに行くまで、だからね!」

「え?」

「彼女のフリしてあげる。だから行くまでの間、悔いなく過ごそうね」


 はあ、と曖昧な返事が戻って来る。


「例えばね、私と松岡くんと友梨さんと湊さんの四人で遊びに行くの。たくさん楽しい思い出作ってみるのがいいんじゃないかな? 私の利用価値ってそれくらいじゃない?」


 そうですね、と力なく言う松岡くんの声に切なくなる。私の提案はもしかしたら松岡くんの傷口を広げるだけになるかもしれないから。

 本当はそうなって欲しくはない。

 友梨さんとキラキラ輝くような思い出を作って失恋を乗り越えて欲しい。だって友梨さんはいつまでもいつまでもずっと松岡くんのお姉さんなんだもん。これからも良い関係を築いたまま未来へ向かって欲しい。

 それくらいのお手伝いなら私は喜んで手伝ってあげたいと思うのだ。





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