2.クッキーを捨ててはいけません 第1話

 四月末から始まる五月の大型連休に向けて多少忙しさが増すものの、結城さんは定時で帰らせる事が出来、私もその後一時間ほどして仕事が終わるが、しかし私にはまだ別件があり帰れない。

 なぜかというと私は今日、ロッカールームと給湯室のゴミ当番なのだ。……正直めんどくさい、とか口には出さないけど。


「さてと、やりますか」


 先ず給湯室に向かい男性陣が飲んだまま片付けていないマグカップや湯呑みを洗う。各自で片付けてくれたらいいのに、なんて考えながら洗い終えるとそこにあるゴミを手早くまとめる。


「よし、じゃあロッカールームのゴミも纏めて来るか」


 給湯室をあとにしてロッカールームのゴミをまとめ、ゴミ置き場に向かった。

 しかし私はゴミ置き場に行ってそれを目撃する事になる。


「え、待って……、今何捨てた?」


 社内のゴミを纏めた大きな透明袋を持って、反対の手でダストボックスを指差す。


「いや、えっと……」


 ダストボックスの蓋に手を掛けたまま佇んでいるのは、松岡くん。スラリと背の高い松岡くんを見上げるとその整った顔を困ったように歪めている。


「見ました?」

「うん、見ました。ばっちりと」


 開口一番『何捨てた?』と聞いたのは私だけど、何を捨てたかはちゃんと見ていた。

 だって、それは普通ゴミ箱に入れるようなものではないから。

 そう、ゴミではないのだ。


「クッキーだよね? 結城さんからもらった」

「あー、マジで見られてたんだ」


 ぼそっと呟いて頭をわしゃわしゃっとかく松岡くんに向かって、私は身を乗り出すように疑問を投げ付ける。


「え、何で捨てたの? 美味しそうだったじゃん?」


 かくいう私も結城さんの手作りクッキーをもらっている。営業部のみんなに配っていたのだけれど、明らかに松岡くんのだけ特別仕様のラッピングだった。

 それが示すのは、まあ鈍感じゃない人なら分かる事なんだけど……。


 松岡くんにとっては結城さんの明らかな好意が迷惑だったのかな? と考えてしまう。


「僕、無理なんです。手作りとか」

「潔癖なの?」


 いるよね、そういう他人が作ったものとか、触った所とか駄目な人。私は全然ヘーキだから理解出来ないけど……。


「いや、でもさ、会社で捨てるのはちょっと……。せめて家に帰ってからにしたら? その、捨てるにしてもさ……」


 そうだ、会社で捨てるのはマズイでしょ。

 今日は私がゴミ当番だったから良かったけど、これがクッキーをくれた本人だったらどうするんだって話しだ。


「ですよね、いや、でも……」


 松岡くんは反省してるのか、違うのか、悩んでいるのか項垂れてしまった。それから下を向いたままぽつりと話し出す。


「高校の時、あったんですよ」


 何が?――と声を出すのをぐっと堪えて、松岡くんがゆっくり話してくれるのを待つ。


「女子が調理実習でお菓子作って……」


 松岡くんの声のトーンが明らかに下がっていく。


「クッキーもらったんです……」


 ここでもクッキーか、と思いながら続く言葉を待つ。


「それに、女子の髪が、……練り込まれてて」

「えっ!?」


 私の声に松岡くんは顔を上げ、私と目が合うと困ったように苦笑する。それから人差し指をぐるぐると円を描くように動かす。


「丸いクッキーに、こう、渦を描くように……長い髪の毛が、練り込まれて」

「うわっ、それは……嫌だね。うん、トラウマになりそうだ」

「はい、それから手作りは、駄目で……。それから今度はGPSでも練り込まれたらと思ったら、もう家にも持って帰る事が出来なくなって……」


 うわ……、これ重症だ。


 松岡くんは毎晩悪夢にでもうなされているような疲弊した顔をしていた。

 あまりに可哀想な気がしてきた私はそれ以上強く言う事も出来ず、仕方ないと呟く。


「結城さんには悪い事をするけど、今日は何も見てない事にするよ」


 そう言って私はダストボックスの蓋を開くと可愛くラッピングされた結城さんのクッキーを見ないようにして、持っていたゴミ袋を入れた。


 感じる罪悪感。

 一度だけぎゅっと目をつむり、ダストボックスと松岡くんに背を向ける。


「お疲れ様っ」


 そんな私の背に松岡くんの、すみませんという低い声が貼り付いた。






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