第37話 譲ってあげるね
「ねぇ! おとーさん! おかーさん!」
ゆちあの声が聞こえて、俺たちは二人だけの世界から現実に戻ってくる。抱き合って、こんなにまじまじと見つめ合っていることが急に恥ずかしくなって、どちらからともなくぱっと離れた。
「ど、どうしたゆちあ?」
「ゆちあお腹すいたー。早く帰ろうよ。ゆちあたちの家に」
ゆちあは天使のような笑みを浮かべながら、俺たちに向けて両手を突き出してくる。
その小さな手が俺たちを導いてくれたのだと思うと、愛おしくてたまらなかった。
「ああ、そうだな」
俺は、絶対にゆちあの笑顔を守りぬくんだと、この世のすべての神に誓う。
「俺たちの家に、みんなで帰ろう」
笑顔を浮かべてゆちあの右手を握ると、ゆちあもぎゅっと握り返してくれた。
「ええ。家族で、みんなで帰りましょう」
愛実もゆちあの左手を握りしめる。
「じゃあ、私たちの家に向けてしゅっぱーつ!」
ゆちあの声を合図に、俺たちは三人で歩き始め――はっと思い出す。
「あ、でも今家に材料ないわ。ちょうど使い切ってる」
「だったら駅前に二十四時間のスーパーあるから、そこで買い物しましょう」
「ゆちあもさんせー! おとーさんとおかーさんと一緒にお買い物する! おかーさんのごはんようやく食べられる!」
ゆちあは満面の笑みを浮かべながら、愛実の太ももに頬をすりすりさせている。
「ありがとうゆちあ。おとーさんも、いつもこれくらい素直に喜んでくれたらいいのにねー」
「はいはい。俺は気持ちを伝えるのが苦手ですよーだ」
「でもおとーさん。おかーさんの料理が食べられなくてすごく悲しんでたよ」
「おいゆちあそれは」
「へぇー。そうなんだー」
愛実が不敵な笑みを向けてくる。
顔が一気に熱くなった。
ああ、俺今顔真っ赤なんだろうなぁ。
「あれだよあれ。普通に料理うまかったし。三人で食べたかったし、そういうこと」
「普通じゃないよ。おかーさんの料理はすごくおいしいんだよ!」
「だよねー、普通なんて、おとーさんサイテーだね」
「ああもう! 愛実の手料理は最高にうまかったよ! 世界で一番だ!」
半ばやけくそ気味に真実を伝えると、今度は愛実の顔が真っ赤になった。
それを見て、俺も照れた。
「おい、ガチ照れすんなよ」
「ごめん。でも……嬉しい。ありがと」
頬を赤く染めた愛実が、にへらっと笑う。
ああ、守りたいこの笑顔。
いや、守らなきゃ、この笑顔。
そうやって俺が心の中で決意を新たにしている時だった。
「そっか。わかった。もうおとーさんもおかーさんも大丈夫だもんね」
ゆちあがそうつぶやいて急に足を止めた。
俺と愛実もそれに合わせて足を止め、俺たちの間にいるゆちあを見る。
「どうした? ゆちあ?」
聞くと、ゆちあは俺の手をより一層ぎゅっと強く握った。
きっと愛実とつないでいる方の手も同じようにぎゅっとしたのだと思う。
「うん! やっぱりゆちあのとくとーせきは落ち着くなぁ。おとーさんとおかーさんの会話が上から聞こえてくるのが、ゆちあ大好きなんだよね!」
でもね……。
もったいぶるように言って、ゆちあが一歩下がる。
俺の左手と愛実の右手を自分の体の前に引っ張り、
「今はまだ、二人に譲ってあげるね」
俺と愛実の手をがっしりと、ゆちあが直接つなげてくれた。
「よしっ! これでおっけー!」
ゆちあはすぐにとたたっと俺たちの前に回り込み、破顔する。
「おとーさん。おかーさん。今度はその手を離しちゃダメだよ。今は譲ってるだけだからね!」
「ゆちあ……」
俺は、ゆちあに握らされた愛実の手を見つめた。
愛実の手の感触は久しぶりだ。
高校の合格発表の日以来。
あの日、俺が離してしまったその手を、ゆちあがこうしてまた結んでくれたのだ。
「あのさ、愛実」
大切な人の名前を呼びながらゆっくりと顔を上げると、目をぱちくりと見開いている阿呆面の愛実と目が合った。その顔がおかしくて、つながった手から伝わる温もりが嬉しくて、俺は愛実と同じタイミングで笑い出した。
「なによ智仁。急に笑い出して」
「そっちこそなんだよ」
「いや……だって私は、あの時以来だなぁって思って」
「たしかに、長かったな。ここまでくるの」
「あの時さ、手、離しちゃってごめんね」
微笑みながら首を傾けた愛実は、最高に可愛かった。
「俺こそ、待ってなくてごめん」
俺も笑顔で謝る。
すぐに二人で頷き合ってから、ゆちあの優しさに感謝しようと、
「ゆちあ、ありが――」
――そこにゆちあはいなかった。
代わりに、淡いオレンジ色をした光の粒子が数粒、さっきまでゆちあが立っていた場所に漂っていた。
――絶対、約束だよ。
そんな声が聞こえた気がしなくもない。
――ゆちあのとくとーせきを守ってね。
やがてその粒たちも、ゆらゆらと星が輝く空へと上っていった。
――ほんとのほんとに、譲ってるだけだからね。
「なぁ、愛実」
「なに、智仁」
俺たちは互いの名前を呼び合い、ゆちあがつなげてくれた手を、いっそう強く握りしめ合う。
「俺たちの夢、絶対叶えような」
「もちろんだよ」
二人で見上げた夜空の真ん中を、きらきら光る流れ星がひとつ、横断していく。
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