7 キリエの不調

「では……」


 セルマの言葉に神官長が黙って頷く。


「皇太子様はそこまで覚悟を決めておられる」

「はい」

「何にしろ、交代はもうすぐです」

「はい」

「これですべて落ち着くでしょう」

「はい」

「それで、そちらの準備はどうなりました?」

「はい、整っております」

「では、つらいことではありますが、任せましたよ」

「はい、お任せください」


 セルマはそう言って深く頭を下げ、神官長の部屋から出るとそこから元自分の所属であった食事係の控室へと足を伸ばした。


 ちょうど仕事の合間の休み時間、ゆっくり座っておしゃべりをしていた侍女たちが取次役の突然の来訪に慌てて立ち上がり、何か見咎みとがめられることがないかと落ち着かない。


「そのままで」


 セルマは優しい顔で侍女たちにそう言うと、仕草で椅子に座るようにと示す。

 侍女たちは落ち着かないものの、そうされて今度は立っていると逆に怒られるのではないかと急いで椅子に腰掛け直した。


「今日のシャンタルとマユリアのお食事はどうなっていますか?」


 今日の責任者にそう声をかける。


「あ、はい。料理長からはいつもと特に変わることはないと聞いております。お二方ともご体調にお変わりはなく、何かご要望もないとのことでした」

「そうですか。他の方々の食事は?」

「はい」


 今度はその他の奥宮の方々の食事の担当がそう言って立ち上がる。


「いい、座ったままで」

「はい。失礼いたします」


 座り直す。


「特に何もご要望もなく、いつもの通りとのことでございます」

「そうですか、特に何も問題はないということですね」

「はい、そう伺っております」


 答える侍女の顔は白く血の気が引いたようになっている。


 何しろ今は宮の最高権力者と言っていい取次役だ。そんな人が何があっていきなりこんな場所にやってきたのだろう。色々と考えるだけで心臓が痛い。


「特にこれというわけではないのですが、わたくしは元はここでおまえたちと同じ食事係のお役目に就いておりました。それで、通りがかったついでにふと懐かしくなって来ただけのことです」


 そうは言うが本当にそうなのか……


「食事係は本当に大切なお役目です。人の体というものは口から入る物によって出来上がります。毎日皆の健康のためのお役目、本当にご苦労さまです。これからもがんばってください」

「はい!」


 セルマはそう声をかけると部屋から出ていった。


 緊張の中にいた侍女たちが、はあっと一気に力を抜いた。


「なんだったのでしょうね」

「ええ」

 

 短い休息時間を邪魔された侍女たちは、不思議そうにそう言って顔を見合わせていた。


 セルマは侍女たちが控室にいることを確認したかったのだ。食事係は自分が就いていた役目、何がどうなっているかよく分かっている。


 今の時間、まだ食事は盛り付けられてはいないが、食事が完成したら上位の物から順番に盛り付けられ、順番に運ばれていく。

 もちろんシャンタルとマユリアが一番だがそれは別格だ。調理場も何もかも2人の女神のものだけはあちらからの指示があってから動いていく。


 だが、その次、シャンタル付きのラーラ様以下侍女たちや侍女頭のキリエの食事は連絡がない限り、大体の時間通りに盛り付けられ、ほぼ同じ時間に運ばれる。


 そのキリエの食器が置かれている場所もセルマは熟知していた。丸い盆の上にキリエ用の食器が置かれている。場所は変わっていないはずだが、一応付けられている名札を確認した。間違いない。


 セルマはふところからそっと小瓶を取り出すと、その中身を指に出し、キリエの食器の外に一回りぐるりと塗った。見た目では何も分からない。それだけの作業を終えるとそっと部屋から出て行った。


 その日の夜、キリエが体調を崩したとの連絡が侍女たちにあった。


「ご不快で寝付かれたようです」


 翌朝、トーヤたちは部屋係のアーダからその話を聞いた。


「そうなのですか」

「ええ、このところ朝晩冷えますから、それで風邪でもひかれたのかも知れません」

「早く落ち着かれるといいですね」

「ええ、本当に」


 アーダが用を終えて下がっていくとトーヤが、


「始まったかも知れねえな」


 そう言った。


「それ、キリエさんが一服盛られたってことか?」

「一服かどうかは分からんが、なんかやられた可能性はある」

「大丈夫なのか?」


 ベルがムッとした顔で言う。


「多分、命までは取らねえだろう。何しろここはシャンタル宮だからな、セルマもさすがにそこまではできんだろう」

「そんな手に出るとはなあ」

「ならいいんだけど」


 シャンタルが心配そうにそう言う。


「またミーヤにも様子を聞いてみる。ミーヤだったら個人的にキリエさんの部屋にも行けるだろうからな。俺もちょっと顔見てこれりゃいいんだが、難しいかな」


 その日の午後、アーダと交代したミーヤからも話を聞く。


「では、誰かがキリエ様に何かを?」

「の、可能性もある、ってだけだがな、今のところは。何しろここんところ朝晩冷えてきたし、単に風邪ひいただけって可能性もある」

「一度様子を伺って参ります」

「そうしてくれ。あんまりヤバそうなら、早めに手を打つ必要もあるからな」

「分かりました。この後、夕食後にでもお見舞いに行ってきます」

「ああ、頼んだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る