14 民のため国のため
「わたくしは国母など望んではおりません」
「あなた様がお望みでなくとも、民は望むと思いますぞ」
目を伏せて顔を背けるマユリアに、神官長が少し身を乗り出すようにして続ける。
「あなた様ほどお美しい、史上最も美しいシャンタルと言われたお方、その方が王族に加わられる。これが民の喜びでなくてなんでしょう」
民を思うマユリアの気持ちを揺さぶるように続ける。
「民が、あなた様のことをどれほど慕い、どれほど敬っていることか。そのお方が、この国の王族になる。民の喜びはいかばかりか。民を本当にお思いになられるのなら、とてもお断りになどできることではないかと」
マユリアはじっと目をつぶったまま、表情を変えずに神官長の言葉を聞いていた。
返事はない。
「それで、ですな」
答えぬマユリアの気を変えるかのように、明るく声を高く神官長が続ける。
「皇太子さまはぜひともご自分の後宮にお入りくださるように、とのことですが、国王様がですなあ」
はははは、とちょっと困ったように笑ってみせる。
「八年前の約定を違えぬように、そうおっしゃっておられるのですよ。いやあ、間で私も大変困っております。それで、こたびはあなた様の、マユリアのお気持ちを優先されてはいかがかと、申し上げてきたのです。すべてはあなた様次第、いかがでしょう、国のため、民のためにももう一度ゆっくりと考えていただく、というのは」
マユリアの答えはない。
「それにですな」
少し固い声で神官長が続ける。
「もしも、もしもですぞ? あなた様が市井の者となり、民の一人になったとお考えください。その時、どこぞの男が近づいてきて、あなた様のお心に叶い、その者と夫婦になるとお決めになったとする。その時、その男が王族やその他のあなた様を求める貴族や大商人たちなどに恨まれて、などということも、ないことはない。いや、そのような者が現れぬとしても、あなた様のご家族にもその目が向けられるということもある。」
ゆっくりとマユリアが目を開いた。
神官長に横顔を向けたまま、そのまま口を開く。
「なんということでしょうね……まだこの先どうなるかも分からぬ私の家族、そして出会うかも知れぬ者に対してまでそのように脅しをかけられる。とても神官長ともあろう方のお言葉とは思えません」
神官長はマユリアの冷たい怒りを感じた。
「いや、あ、あの、この先起こるかも知れぬ災厄を防ぐためにも進言申し上げておるのですよ、私は」
慌ててそう言う。
「お帰りください」
マユリアはそれだけ言うとゆっくりと立ち上がった。
「あ、あの……」
神官は立ち上がったマユリアの美しい顔を下から見上げる。
そのまま反応はない。
「分かりました……」
それ以上何もできることはなく、神官長もゆっくりと立ち上がる。
椅子から体を離し、扉の方へ向かう。
扉の取っ手に手をかけ、そして最後に、
「よろしいですな、すべてのものの幸せのために、あなた様が何をなさるのが良いのか、それをごゆっくりとお考えください……では、失礼いたします」
マユリアは冷たい目のまま神官長が出ていくのを見送ると、自分も体を翻し、奥の扉から出てどこかへ向かった。
マユリアはそのまま奥宮へと向かった。奥宮の最奥、シャンタルの私室へと。
昨日、シャンタルが託宣をなさったとラーラ様から伺った時、もうすでにシャンタルはお休みの時間になっており、今朝は早くから神官長の訪問があり、まだお目にかかってはいない。どれほど自分に伝えたいと思っていらっしゃるか、それを思うと一刻も早くシャンタルのお部屋へと心が急ける。
侍女がお帰りを伝えると、小さなシャンタルはその小さな足で
「マユリア、マユリア、あのね、託宣ができたんです。昨日、次代様がお生まれになるのを知りました。親御様のお顔を見ました」
「ええ、シャンタル、伺いました。よかったですね」
「ああ、マユリア、どこに行ってたんです? 早くお伝えしたかったのに!」
そう言ってマユリアの足にスカートの上からギュッと抱きつき、ふっと顔を上げて、
「見えたんです! 託宣ができました!」
もう一度そう言ってニッコリと微笑まれた。
なんとも愛らしい素直な笑顔にマユリアもニッコリと微笑み返す。
「申し訳ありませんでした。昨日はどうしても外せぬ仕事がありました。マユリアも、一刻も早くシャンタルのお口からそのことをお聞きしたかった」
そう言って小さな手をそっと離すと、中腰になり、シャンタルの正面からその笑顔にもう一度ニッコリと微笑み返した。
「マユリア!」
そう言ってシャンタルは、今度はマユリアの首にしがみつき、
「できたんです、託宣が、やっと。できたんです」
そう繰り返しながら、次第に涙声になってきた。
「ええ、ええ、伺いました。マユリアもうれしいです」
マユリアも小さな主をそっと、だが気持ちと同じ強さで抱きしめ返す。
「私も民のためにできることがありました。みな、喜んでくれるでしょうか?」
「ええ、もちろんですよ」
小さな女神が何度もそう言い、美しい侍女が何度も答えを返していた。
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