第89話 晩餐会と急展開 ②

 「うーん、こりゃ出席は無理だな」


 午後になって、タマライの看病を終え、アリーナの救護室に現れたラメシュに、エイダンは招待状を渡したのだが、あっさりとそんな回答を頂戴してしまった。


「ありゃ、そがぁかね……」

「別に、行きたくねえってんじゃないぞ。俺もあの料理長には、ちっと不躾な真似をしたし、詫び入れる機会を設けてくれたのは有難い。ただ、タマライにかかった呪いが明日にも解けそうなんだよ。だから、夜はあいつに付いててやりたい」

「タマライさんが! ほんまに?」


 軽く肩を落としかけたエイダンは、ぱっと明るい顔を上げた。それは、ご馳走よりタマライの解呪を優先させるのも当然だろう。


「それに、このメニューを見ると……『ローストビーフ』ってのは、牛を焼いたシルヴァミスト料理だよな。悪いがヴラダ教徒として、『地を駆けるもの』は食えねえ。獣肉食が禁忌タブーなんだ」

禁忌タブー?」


 招待状に記載されていた、晩餐のメニューに目を落とすラメシュを、意外な気分でエイダンは見つめる。

 言われてみれば、彼の作るスパイシーで刺激的な数々の料理カリーには、肉が入っていなかった。下味に至るまで、全て野菜と穀類、香辛料から作られている。


「『ローストビーフ』かぁ。確かに、牛を焼いとるっぽい料理名じゃな。食うたことなぁけど」

「ん、お前も食った事がない? シルヴァミスト人だろ?」

「こがぁな宮廷料理みたいなんは、イニシュカ島じゃよう食えんよ。ここに載っとるメニュー、ほとんど分からん。コースの最後の、この……『アイスクリーム』ちゅうのも何じゃろうなあ。水属性の呪術みたいな名前じゃな」

「俺もそれは知らねえな。デザートか?」


 ラメシュと額をつき合わせて、メニュー表の文面に首を傾げるエイダンの横から、シェーナが覗き込んできた。


「アイスクリームってのは、イドラスで発明されたスイーツよ。そのまんま、冷たく固めたクリーム。バニラビーンズや砂糖漬けのベリーで、甘く香りづけしたりするの」

「へぇー! 流石シェーナさんじゃ。食うたことあるん?」

「子供の頃に、パーティーで一度ね。今のダズリンヒルには、アイスクリームをメニューに置いてるカフェもあるとか聞くけど」


 はぁ、とエイダンは、言葉もなく感嘆の息を吐いた。未知の魔道具マジックアイテムの説明を受けているような気分だ。


「ラメシュさんとタマライさんは、クリームなら食えるん?」


 ふと思いついて、エイダンはラメシュに問いかける。


牛乳パアルか? そりゃあ寧ろ、テンドゥじゃ神聖な飲み物だぜ。タマライも好物だ」

「おお。ほんなら、タマライさんが治ったら、一緒にアイスクリーム屋に行こう。お祝いせんと。ホウゲツさんも行けるかいなあ」


 昨夜見舞いに行った時、ホウゲツは思っていたよりも元気そうな顔を見せてくれた。無論、心身共に無理をしている所もあったのだろうが。


「武家に生まれながらも、それがし、腕っ節はさっぱりゆえ、荒事の中で民を守るのは困難と考えており申したが……この腕が貴殿のために役立った事、誠に誇らしゅうござるよ。『腕っ節を役立てる』って、ちょっと文字どおり過ぎでござったが。フヒヒヒ」


 そんな風に、いつもの笑えない冗談で、ホウゲツは落ち込んでいるエイダンを励ますのである。彼の前で、いつまでもしょげ返っている訳にはいかない。何かしら、気分の明るくなるイベントを用意しておきたかった。


 エイダンのその意図を汲んだのか、ラメシュは素っ気ないなりに、


「ああ」


 と即答し、それからまたもや、掌底でエイダンの額をはたく。


「あいたっ。……今んは、なんで俺叩かれたん?」

「空元気が分かりやすくて腹立つ」

「えー」


 なかなかに理不尽である。


「タマライも、ドゥンの戦士だ。俺達はこういう事に慣れてる。あんま気にせず、お前は試食だか毒見だかを楽しんでこい」

「……はい」


 気遣われてしまったのだと気づき、エイダンは額をさすって頷いた。


 ラメシュは、自分もタマライも戦士だと称する。

 ホウゲツも自らについて、そう語った。彼はアシハラの軍人階級出身で、民草を守るのは当然の務めと認識している。

 生まれながらに役割を背負う人々が、この世には数多く存在する。階級、身分、血筋。あるいは、稀なる特別な才能。それが良い事なのか悪い事なのか、エイダンには分からない。とにかく、大昔から今に至るまで、現実として世界にあるものだ。


 ――自分は、どうだろう。


 不意に、エイダンはそんな事を考える。

 イニシュカ村の、古くからの農家の末裔。大層な役割は与えられていない。どこにでもいる辺境の平民で、守るべき存在といえば、家族や近所の人々、畑のかぶくらい。そうなるはずだった。

 しかし、いかなる精霊の気まぐれか、彼は稀少な加護属性と、魔術適性を持って生まれた。


 ――何かあるのだろうか。生まれた時から決まっていた、この世界で果たすべき務めが、自分にも。


 つらつらと物思いに耽りながら、エイダンは窓の外の様子を窺う。


 ホワイトフェザー騎士団の、モーガンの姿が見えた。他の仲間達と共に、観客席からの歓声を浴びている。

 二回戦も、彼らは危なげなく制したらしい。次は準決勝だ。


「強いなぁー、モーガンさんら」


 感慨を篭めて、エイダンは呟いた。



   ◇



 翌日の準決勝も、ホワイトフェザー騎士団は勝利を収めた。首都からは遠い、西部シェルリッド州の代表でありながら、今や押しも押されぬ大本命の一番人気である。


 一方、もう一つの優勝候補と囁かれるチームも、順調に勝ち進んでいた。

 ケントラン公爵私設騎士団の精鋭チーム、『北新町きたしんまち魔道管理局警備隊』である。

 ……あまりと言えばあまりなチーム名に、当初紹介された時は、観客席から笑いが漏れた。が、その実力は驚くべきものだ。


 チーム全員が剣や槍、棍棒メイスを携え、高い機動力を誇るホワイトフェザー騎士団に対して、北新町魔道管理局警備隊は、全員が伝統的なローブを纏う魔術士。しかし、結界や支援魔術、何より、絶え間なく撃ち出される広範囲攻撃呪術によって、敵を一切間合いに侵入させる事なく、ここまで完勝してきた。


「ケントランって、アンバーセットの街があった、ケントラン州じゃんな?」


 滞在する宿の自室で、不慣れな一張羅の正装にもぞもぞと袖を通しながら、エイダンは傍らのフェリックスに訊ねた。


「そうだな。ケントランの公爵といえば、サングスター宗家だ。実利重視の、サングスター家らしさを感じさせるネーミングと実力だよ」


 そう答えるフェリックスの正装の着こなしぶりは、エイダンでも目を瞠る程である。年頃の淑女が対面したなら、胸の高鳴りを覚えずにはいられないだろう。


「あの街で冒険者やっとった頃は、私設騎士団の人にあまり出会わんかったけど、あがぁに強い人らだったんかぁ」


 アンバーセットは冒険者ギルドの権限が強く、民衆の人気も高いので、騎士団はあまり表に出ず、地味な任務を黙々とこなしている――という話は、エイダンも聞いた事があった。華々しい冒険譚の裏には、それを支える多くの実力者がいるものだ。


「……ところで、俺の髪どうしても落ち着かんのじゃけど」


 姿見の前に立ったエイダンは、ものの数十秒前に念入りに撫でつけたはずの緋色の癖毛が、既にあちこち跳ね上がり、くしゃくしゃになっているのを見て、肩を落とす。


「エイダン、髪など所詮ははかない、現世うつしよのみの存在です。執着を捨てる事が肝要です」

「あんまり儚くても、跳ねっ返りでも嫌じゃな、髪」


 淡々と述べるハオマに対して、エイダンは両の眉尻を下げた。


「けどハオマさん、良かったん? ご飯一緒に行かんで」

「ユザ教徒の造る空間はどうも、反響音が苦手でしてね。それに、サヌの徒たる拙僧がびょうに踏み込むのをいとう、ユザの宗徒もおりましょう。これ以上、余計な火種は呼び込まぬが吉です」


 と、ハオマは首を振る。

 ユザ教の宗教施設である聖ジウサびょうに、異教の僧侶が踏み入るのはトラブルの元だと、ハオマもドナーティの招待を断ってしまったのだ。

 そもそもサヌ教には、過度に贅沢な贈り物をいとう習わしがある。ローストビーフやアイスクリームは、サヌの教えに反する食べ物と言えるかもしれない。


「タマライが目覚めたら、彼女とポリッジをご一緒するとしましょう。お気になさらず」


 エイダンとハオマは、部屋の奥に寝かされている、石化したタマライの方へと目を向けた。

 ラメシュが、口の隙間からカリーを飲ませる支度をしている。


 一時は冷え切って硬直していたタマライの身体だったが、今は体温が戻り、尾や後ろ足は、もうかなり柔軟性を取り戻していた。ラメシュの言うとおり、あと一歩で解呪出来そうだ。ハオマも治癒楽曲を奏でてくれると言うし、二人がついていれば、任せておいて大丈夫だろう。


「ほんじゃあ、フェリックスさん。シェーナさん達を迎えに行こうか。イーファはもう準備出来とるかいな。ドレスは着慣れんけんな」


 エイダンが声をかけると、フェリックスは高揚感に満ちた顔で、颯爽と部屋の扉を開ける。


「シェーナの正装姿を見るのは久しぶりだ。勿論、ローブでも普段着でも着ぐるみでも、彼女は精霊の如き美しさだが、とはいえ楽しみ……」

「……シェーナさん、着ぐるみなんか着た事あったかいね?」

「僕の知る限り、ないぞ! 今想像したんだが、やはり最高だな!」

「……。あとよろしく頼んます、ラメシュさん、ハオマさん」


 色々とおかしい気はしたが、これと言って突っ込む言葉が思い浮かばず、エイダンはラメシュとハオマに片手を挙げて、夢心地なフェリックスの腕を引っ張り、部屋を後にした。

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