第81話 チーム・サウスティモン ③
救護室に運び込まれたアビゲイルは、すぐに意識を取り戻したものの、頻りにうんうんと唸っている。
「
「足じゃね。左足かいな? 出血は酷うはないけど、筋を
エイダンは彼女のブーツを脱がせ、負傷具合を
「エイダン殿は、湯があれば、体内の状態を検分出来るのでござったな?」
ホウゲツが確認する風に
「ホウゲツさん程じゃなぁけども、一応出来るよ」
「では、そちらの患者の検査はお任せしてもよろしいか」
「うん、ええよ」
ホウゲツの
エイダンも、相手を風呂に入れれば、どこをどう負傷しているか確認出来る。ここは手分けをするのが合理的だ、と彼は頷いた。
「恐らく怪我の重さは、アビゲイルさんが一番、次にグレンさん、ブラッドレイさん、エメリアさん、ですね……」
ハリエットがメモを読み上げ、ミカエラがその順番に、患者に番号札を渡していく。
「んあれっ、グレンは?」
『二番』と書かれた番号札をひらひらさせて、ミカエラは周囲を見渡した。
「ありゃ、おらん。怪我しとったんに」
エイダンもつられて、首を傾げる。
チームメイトの搬送に付き添って来たはずのグレンが、いつの間にか、救護室から消えてしまっていた。
「俺、ちょい見てくる。すまんけど、誰かアビゲイルさんの着替え……」
アビゲイルは、丈夫で乾きにくそうなマントとローブを羽織っている。風呂に入れる前に、湯着に着替えさせた方が良い。
「ああ、私とタマライでやっておこう」
包帯と塗布薬の準備を終え、手の空いたマディとタマライが揃って挙手したので(タマライが行儀よく前脚を上げると、ちょっと愉快な見た目になる)、「あんがとう、頼んます」と言い置いて、エイダンは救護室の扉を開けた。
◇
広々とした廊下に出て、左右を見回す。
廊下右手の曲がり角近くに、人影があった。エイダンが急いでそちらに走り寄ると、予想通り、その影の正体はグレンである。
陽光が当たると緑がかって見える、短い黒髪を逆立てたさまは、どこか松の木を連想させる。
平民風の言葉の
「グレンさん、グレンさん」
角を曲がろうとするグレンの後ろから、エイダンは呼びかけた。
「うん? ……誰だ?」
「救護班です」
ローブの袖に付けた腕章を引っ張ってみせる。
「ああ。アビゲイルが言ってた面白い治癒術士って、お前か? 西の辺境育ちとかいう」
「面白……た、多分俺です」
多少心外な表現ではあったが、とりあえずエイダンは頷いた。
「ふーん……」
と、グレンは何かを見定めるような目つきで、こちらを観察する。エイダンは居心地の悪さを感じつつも、彼に語りかけた。
「さっきの試合で、怪我をされとりましたよね。診察を……」
しかし、グレンはあっさりと首を横に振る。
「いや、俺はいい」
「え……でも」
「それより、アビゲイル達を頼んだ。あと、あいつも
グレンがひょいと親指で、廊下の角の向こうを指すので、エイダンは示されるがまま、指の先へと首を伸ばした。
遠く廊下の隅に、二つの影。
うち一人は、ホワイトフェザー騎士団の前衛を務めた剣士だった。もう一人は、剣士に隠れてよく姿が見えない。何事か、話し合っている様子だ。
「騎士団の人を? そりゃええですけども、グレンさんも」
改めて、グレンの方を振り向いたエイダンは、そこでぽかんと口を開けて硬直する。
グレンの姿がない。綺麗さっぱり消えている。
足音の一つも聞こえなかったというのに。いくらエイダンに少々ボンヤリした所があっても、二歩分も離れていなかった相手が突然全力で逃走すれば、気づくはずだ。
強いて逃走経路を推測するなら、廊下の高い位置にある窓くらいしかない。アビゲイルといい、サウスティモン村では、窓から出入りする風習でもあるのだろうか。
試しにエイダンは、背伸びして窓の向こうを覗き見たが、やはりどこにもそれらしい人影は見つからなかった。
「君ィ、何をしてるんだ? 不審者でもいたのか?」
後ろから呼びかけられて、エイダンは慌てて声の方へ向き直る。こちらに歩いて来るのは騎士団の剣士と、もう一人の意外な人物。
「エドワーズさん!?」
「おや! エイダン・フォーリーくんじゃないか。その節は世話になったね……君、なんでここに?」
フェザレイン鉄道株式会社社長、ノーマン・エドワーズ。
エイダンは思わぬ再会に驚いたが、考えてみると彼は、ホワイトフェザー騎士団のスポンサーの一人だ。来賓席で観戦しているはず、とハリエットが言っていたし、この場にいても何もおかしくない。
「ご無沙汰しとります。俺は、えっと……色々あって、この闘技祭の救護班員をやっとります」
「へぇー! 随分な名誉だ、めでたいじゃないか」
腕章を見せると、エドワーズは素直に喜び、手を叩いて祝福してくれた。たった今、診療すべき患者に逃げられたエイダンではあるが、つい後ろ髪を掻いて照れる。
「それじゃ、エイダンくん。このモーガンの治療を頼めるだろうか?」
そう言ってエドワーズが肩を叩いたのは、隣に立つ、騎士団の剣士だった。
明るい色の髪をさっぱりと切り揃えていて、間近で見ると、中性的な至極整った顔立ちをしている。
「はじめまして。モーガン・ケンジットだ」
挨拶と共に右手を差し出され、その時エイダンは初めて、この剣士が『彼』ではなく、『彼女』であると分かった。
診療する前に気づいたのは、幸運である。無遠慮に服を脱がしたりしたら、大変気まずい思いをする所だった。
一瞬、頭の処理が追い付かず、固まってしまったエイダンの顔を、モーガンが不思議そうに覗き込む。我に返ったエイダンは、急いで握手を返した。
「あ、はいっ、勿論……。さっきの試合で、どこか怪我しんさったですか?」
「怪我、というか――」
モーガンはエドワーズと一度顔を見合わせ、首を傾げる。
「攻撃は、結界で全て防ぎきったと思ったんだけどね。思った以上に魔力の消耗が激しくて。何だか腕に、凍傷みたいな痺れが残っているし」
試合中、盾を握っていた左手首を振って、モーガンは眉根を寄せた。
「あの
「おっとそうじゃ、グレンさんを見んかったですか? さっき対戦した
「……いや。救護室じゃないのか?」
「
「ああ、それで窓の外を……」
納得顔で頷いたエドワーズは、そこで軽く、再びモーガンと目配せをし合い、声のトーンを落として続けた。
「エイダンくん。僕は君を信用に足る人間だと判断する。だから、率直に
「……? 何です?」
二人のただならぬ様子に、エイダンも声をひそめる。
「今までの時点で、この会場内に不審な人物がうろついていたり、怪しい
――不審な人物。怪しい
エドワーズの質問にエイダンは、初めてダズリンヒルに到着した日から今までの出来事を、つぶさに振り返った。
何しろ、首都の祝祭の最中だ。離島生まれのエイダンにとっては、寧ろ珍しくない目撃体験の方が少ないくらいだった。
が、不審者となると……会場に数分ばかり侵入したコヨイくらいだろうか。あとは、迷子になって警備兵に追われたアビゲイルと、つい先程消え失せたグレンの件が、不可解といえば不可解だ。
「うーん……怪しい
「それなりの大きさだ。そうだな、ちょっとしたチェストくらいはあるんじゃないか」
「救護室にも戸棚はあるけど、怪しい所はなぁですね」
家具並みの大きさの
「……
と、発言したのはモーガンだ。
「こうか……きかん?」
「我が社の商品、『浄気機関』と真逆の機能を持つ
「はあ、そんなもんが」
エドワーズの説明に、エイダンは目を瞬かせた。
しかし――と、彼は疑問を抱く。
呪術の持つ『生命力不活性化』という特性を浄化し、日常使いの
その逆の機能に、果たして大きなメリットはあるだろうか?
そう質問を投げてみると、エドワーズは二、三度首を縦に振った。
「なかなか勉強してるな。そのとおり、治癒術には呪術ほどの瞬間的高出力は期待出来ない。はっきり言ってしまえば、治癒術を呪術に転換するメリットは乏しい。利用方法も限られる」
エイダンが、風呂の加熱による重傷患者の治療や解呪を得意としているのも、本来呪術向きの、火属性の攻撃的な出力あっての事だ。
「先日、
ちょっと肩を竦めてから、エドワーズは続ける。
「しかし、その技術者と攻化機関の事は、後々まで気になっていた。良からぬ連中の手に渡ったら、まずい事態になるかもしれない。……何か事が起きた後で、ウチの社に交渉に来た過去が正規軍にでも知られて、痛くもない腹を探られるのは御免だ」
開発者との取引は断ったものの、エドワーズは社を挙げて、攻化機関の行方を密かに追い続けた。
そして、この首都に潜伏するイドラス人のテロリストが、攻化機関の開発者と商談を行った――という情報を得たのだった。
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