#.4 カウントスタート

 ――かつかつ、とチョークが黒板を擦る音が教室に響いている。僕が授業を行っているこのAクラスは学級崩壊している問題のクラスだとか、そういったものではないらしい。

 教卓を囲むようにして階段状に配置された机は後ろに座っている彼らの姿の視線がよく分かる。それに気付かないように僕はただ淡々とチョークを動かした。


 このクラスは全体で20人。

 授業を聞いていると思わしき視線を感じる人間が5人。で、他はまるで聞いていないし聞く気配もない。

 これではもう授業としての体裁は壊れてる。


 ある生徒は1人で教科書を書き写してただひたすら勉強していた。

 ある生徒は魔法陣を独自で作っているのか、またはこの授業自体のレベルに飽きているのか、全く聞く耳を持っている無い。

 また、ある生徒は居眠りをしている。

 話し声が聞こえないだけマシだが、それを踏まえてもこのクラスの雰囲気は最悪だ。

 何せ、まともに聞いている人間ですらこの授業に対して熱がない。


 騒がれるよりマシだけど、これは幾ら何でも授業として成り立たない。


「で、キミ達が習ったのはこの辺までってことで大丈夫?」


 適当に箇条書きをして書き出してみた。

 ・火、水、土、風の四大元素における基礎的な魔法陣の理解

 ・魔法陣を構築する上で必要となる基礎知識

 ・魔法陣の一通りの歴史


 前任者からの引き継ぎもろくに行われなかったので仕方ない。渡されたのは教科書1冊と指定されたページ数までの内容だけだ。


 とはいえ、1年のうちに半年かけてこれをやってましたと言われても1冊のうちの3分の2。

 残り3ヶ月で僕が教えるのは残りの3分の1の分野と言ったところだろうか。ただ授業をやっていたんじゃ、目標は達成出来そうにない。


「はい、そうです」

「うん、教えてくれてありがとうね」


 茶髪サイドテールの女の子が僕の問いかけに反応してくれた。この子は僕の授業を聞いている人間の1人だ。

 さて、困った。

 こっちの話聞いてないんじゃ授業にならない。

 問題もやるべきことは理解した。

 授業というのは一体感が大事だ。

 受けようかな、話聞こうかなという気持ちが生まれない限り相手を教える、という行為に意味は生まれない。

 なら、どうすればいいか?


「大体のことはよーくわかったよ」


 手っ取り早く簡単に引き込める人間から引き込んでいくしかない。

 人を引き込もう、空気を作ろう。

 この人の授業は受けるべきだと思わせるだけの空気を。

 そう簡単にはいかないかもしれない。

 相槌を打つように頷きながら、いつものように笑う。

 上等だよ、僕はこれでも魔術師としては最強だった。


短略展開コーディング【フリーズドライ】」


 手に持っていた教科書が唐突に氷始めて形を保てずに砕けていく。

 無機物を相手に触れた状態で抵抗もされないというのなら魔法陣を使うまでもない。


 さて、無知な少年少女達。キミ達の最も簡単な不満から解消していこうか。


「まずはその教科書を捨てるとこから始めようか」


 まずは結果で示せるやつから引き込もう。そういう授業のレベルが低いと思ってる奴らが1番楽だ。


 僕の言葉に授業を受けていた数人が反応し、その中でも反応が変わったな、と思ったのは窓際の少年。

 今までぼーっと魔法陣を弄っていた金髪緑目の少年の目付きが鋭くなる。

 さっきまでのそれとは違い、こちらを観察するような視線に変わったのを見て僕は内心ひっそりと細く笑んだ。







「――契約期間は3ヶ月。しかも、一定の成果が出なかった場合は解雇、ですか?」

「えぇ、まあそうなりますね。ハイ」


 3ヶ月。

 それが採用試験の時、面接官である学院長から告げられた条件だった。

 3ヶ月の間に与えられた講義時間の中で生徒の成長を促して見せろというらしい。

 授業の質、生徒の姿勢、そして生徒自体の潜在能力。これら全てが噛みあわないとそんなことは起こりえない。

 それを新米教師にやらせるにはあまりにも重い条件であったのは確かだ。


 ただ、そんな豪胆な課題とは裏腹に太り気味の学院長がヘコヘコと小さいラシェルに頭を下げている。

 絵面がよろしくない。

 いい大人が少女に胡麻すりをしている所を見ると、それとは違った涙が出てくる。


「因みに一定の成果というのは?」

「何でも構いませんよ」


 胡麻するのを止めてこちらを見て、学院長は続けて答えた。

 学年の中でもテストの点が全体的に上がった。ある生徒を指導したことで、発表された論文が評価された。年末の競技祭で優秀な成績を残した。


 本当になんでもいいらしい。


「なぁ、学院長。幾ら何でもそれは横暴ではないか?」

「いえいえ、理事長の紹介でこうして教員を紹介していただけるのもありがたいのですが、教員の配属には担当クラスというものがございまして」

「ほぅ、それで?」

「常勤となる場合は新年度の新入生を待つか、来年の進級時に担当の交代くらいでしてそれにも皆を納得させるだけの成果が必要なのです、ハイ」


 担当になるというのはそれなりに利点が多いらしい。給料の面でも、研究費の面でも何でもいいからそれを奪うだけの理由がいる、という訳だな。

 非常に理にかなってはいるが、3ヶ月は幾ら何でも短い。


「どうして3ヶ月なのでしょうか?」

「3ヶ月経ちますと、丁度冬休みに入りますので、来年度の担当を決めるのもその時期です。ハイ」

「はぁ……ようはそちらに都合がいいだけじゃないか」


 溜め息を吐いて軽くラシェルの視線がこちらを向くのを感じた……まだ、足りないらしい。


「もし、だ。アルがその成果とやらを残せたらどうする?」

「その時は勿論、アルフォンス様を正式にこの学院の教師として再契約させていただきます、ハイ」

「どうする、アル。私としては別にこの仕事は受けなくても構わないが?」


 条件を整理しようか。

 担当の授業は魔法陣形成学基礎――端的に言うと魔法陣を作る、刻む上で必要となる基礎知識を教える授業のこと。

 受け持つクラスは2つ。

 1つは前任者が止めたことが原因、もう1つのクラスが他クラスの補助教員として。

 試用期間を3ヶ月設けるから、それの期間をもって自らの有用性を証明しろ。


「1つだけお聞きしたいんですけど」

「何でもお答えしますよ、ハイ」

「前任者の方って、なんで辞めたんですか?」

退でございます」


 へぇ、理由……まで聞くことは出来ないだろうな。

 そこが不透明だと何かあるようで怖い。ただ、何も無い可能性も当然ある。夏休み終わってすぐなら不自然でも何でもないのだから。


「その仕事受けさせていただきたいです」


 そうして、僕はその仕事を受けた。




 ――例えマトモな授業をしたとしても、ただ授業をやってるだけじゃ、与えられた3ヶ月程度で僕がコイツらの実力を上げられるようなことはない。


「教科書を捨てる? 何をそんな馬鹿なことを」

「どうした、そんなに不満か? 教科書マニュアル少年」

「っ!」


 眼鏡をかけた少年が僕を相手に突っかかってくる。この子は話を聞かずに教科書みて勉強してたやつだな。


「魔法陣を知ることは本質的には公式を知ってことだ」

「何を言って――」

「だから、指定された魔法陣をそのまま書き写したところで、それに対して意味は無い」


 より厳密に言えば、作られた魔法陣を書き写して使えば魔術は出せる。だけど、それでは全く同じ威力の魔術しか出てこない。


「質問です先生。意味が無いことはないのでは? 日常生活で使われてるものの多くは魔法陣を使っています」

「良いとこ突くね、やる気のない少年。だけど、それは使う側の視点だ」


 或いは商品を作る、売る側の視点。

 同じ品質のものを提供出来るというのは強味だ。だから、魔法陣を正確に刻むような技術を求められるようならそれでもいい。

 だけど、ここはどこだ? 魔術学院であるなら求められるのは使う側じゃなくて作る側だろう。


「この授業の本質はそこじゃない」


 使うだけなら、魔法陣を描くことを求められることも殆どない。

 なら、魔術師とは何なのか?


「かつて魔術師の本懐とは魔王にすら届く一撃、勇者の放ったとされる一撃を再現することにあった」


 未だ人類が単体で魔物に対抗手段を持ち得ない時代。神から授かったとされる魔法を用いて外敵に対抗し生きていた時代に生み出された人工の魔法。

 それが魔術だ。


「ようは殺戮兵器が魔術の本質だ」


 そこからその技術が転用され、日常生活に溶け込んでは行ったが、日常の中には常に争いの為の技術がある。


「だから、魔法陣を覚えることは相手を倒すことは出来る。だけど、その力に意味はあるものなのか?」


 誰だって魔法陣を使うことは出来る時代だ。魔術において要求される全ての技能は魔法陣1つに置き換えられる。

 だけど、それに甘んじたらそれは魔術師じゃない。

 それはただの魔術使いだ。


「さて、魔法陣形成学の授業を始めようか。僕が1から徹底的に叩き直してやるよ」


 少しだけ、この授業を聞く人間の熱を感じた。






 ――

 本日は何と2回投稿なので、夜にも上げます

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