第169話 戦いの理由 8
ちょっとどうかとも思うが、どんな場面でもアトキンズは自分の頼りない脳みそよりも理由の無い直感を優先してきた。
いや、『感』というものも脳が物事を値踏みしてマルかバツかを決めているのだから言葉のアヤでも脳様をないがしろにしてはいけない。しかも彼の脳様はこのマルバツゲームをめったに間違えないからだ。
その脳様が言っている、目の前で話しを続けるこの男に他意は無く、信用できる人物だ、と……。
「……いや、軍規と軍隊を区別した言い方は私は好きでは無いな……」
官私に練れ者であろうレイヴンズクロフトが髭をなぞって話しを続ける。
「これは、私の個人的な見解で軍の規範教練などではないが、軍規はただの集団と軍隊を別けるモノで軍隊そのものと言っても良い。もちろん軍規や軍法は時代と共に変化してきたもので完璧であるとは言えないし、当然のように軍隊やその理由である戦争に都合良く作られてもいる……。しかしキミを含めそれぞれの理由で武器を手にする以上は、戒めや束縛、或いは代償といったモノもやはり必要不可欠だ」
「負うべき代償ですか……。人の集まりである軍隊もまた人の様、つまり大佐は、軍規は軍隊や兵士にとってのアイデンティティである…と、おっしゃりたいのですか?」
「そうだな、キミの言う通り人格のようなモノでもあると、私はそう思っている。そして、だからこそちゃんと血を通わせなければならない、ともね……。まあ、少し話が逸れたな……」
レイヴンズクロフトは一息ついて話を仕切り直した。
「さて、今回の件では簡単には解消出来ない問題がある。キミも知っているだろうが、殺し合いという異常な状況が平時の人間味を否定するのが戦争というものだ。それでも、そんな中でも許される『恥じるところのない感情』は、多くの兵士にとっても拠り所になっている。今回のオルドリーニ中尉の動機もそこにあるようだな…………」
「はい……」
「それで君はどうするのかね?」
そう問われて珍しく一瞬だけ思い詰めたような顔をした。
「何もしませんよ……ナニも出来ないというのがホンネですかね。やはり俺には部下を持つ資格は無いようです……」
互いに譲り合えない信念ならどちらも変わるべきではないというのがアトキンズという男だ。
しかし、理由にかかわらずこれはただの弱音と変わるところがない。操縦桿を握れば味方でさえ畏怖する猛者が泣き言を吐いているようで、意外なピアースは目をしかめた。
「誰であろうと階級はただの飾りでは無い。たとえ正規軍では無くても階級には責任が伴うものだ、その責務を果たす努力はするべきだろう、少佐!」
語気を強くし静かに
「あ、いえ…私はただ、未熟者ですから自分なりに続けていく事しか出来ないと言いたかっただけで……まあ、向いているかは別にして役割を放棄するつもりはありませんよ……」
「む……まあ、ならば良いが、誤解を招くような発言は控えたまえ。普段、率直な物言いをしている君が冗談めかしても通用しないぞ」
「はあ……失礼しました」
いかにも軍人らしいピアース中佐の話し方は上官のお手本だな……などと、たしなめられながら考えているアトキンズは威勢を誇示する才能がだいぶ乏しいようだ。
その点に関しては向上心も無い。目的の為に空軍を利用している以上、軍人である自覚も無いのだから……。
今回の一件ではアトキンズに何のお咎めも無いが、オルドリーニとのこじれた関係だけは残った。そのままアトキンズは解放され、忘れそうになった敬礼を済ませると部屋を出て行った。
一区切りがついてアトキンズを見送ったピアースはドアが閉まるやいなやハッキリとため息をついた。
「ハア……、オルドリーニへの訓告はリトルトンが行なっている筈ですが……、それにしても、やはり義勇兵のアトキンズに部下を預けるのは荷が重いのでは……?」
「ふむ、荷が重いのでなく、上官としての経験不足と、単純に不向きなのかもしれんな」
「……まさかこんなことで部隊に影響があるとは思えませんが……」
ピアースは指で組んでいた腕を数回叩くとふと顔を上げた。
「ところで、大佐がおっしゃっていたアトキンズの目的……戦う理由とは、一体何だったのですか?」
「うむ?ふうむ……しかし確証も無ければ、カレの口から確証を得たわけでもないことだ、それを私が知ったように話すことはできないだろう。あくまで私の当て推量にすぎない…。まあ、戦う理由は個人が抱えているモノでそれを問う意味も無い。なぜなら理由はそれぞれでもその為にやる事はただひとつ、敵機を落とすことなのだからな…………」
ピアースの疑問は晴らされないまま、レイヴンズクロフトによって幕が引かれた。一方のアトキンズは公園の建物を出た後、
大雑把とも大らかとも言えるアトキンズは、およそ物思いにふけると言う言葉は似合わないし、少しいかつい彼の真顔は周りの人間を怖がらせるだけである。
そんな彼の表情を見て逆に心配してくれるのは、アトキンズをよく知るローレルくらいのものだった。
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