第158話 黒い雲 8

 さて、レイヴンズクロフトは長い官職のせいか言葉がまるで訓示のようであり、完結気味なしゃべり方は返答を求められているのかがよく分からない……。


 そうなると、投げられた方としては神妙に相づちを返すのが無難というものだが、アトキンズはそこで屈託のない顔でにこりと笑って返した。それはレイヴンズクロフトにとっては少し意外な事だったかもしれない。


「……すまないな少佐、不遜な物言いになってしったかな?せっかく気を休めていたというのに邪魔をしてしまったな……」


「いえ、そんなことはありませんよ大佐。こちらこそ失礼しました、あなたはいつも相手をおもんばかって話してらっしゃる。私はそれが心地よくてつい頬を緩めていまいましたが、司令官の職責の苦労を考えれば無礼なことでした。ですが、私にお気遣いは無用ですよ?」


 そしてあらためてアトキンズに微笑まれると、大佐の口元に蓄えられた髭が持ち上がった。


「そうか、ふむ……しかし私を慮っているのは君の方じゃないか。余計な気を使わせてしまったのはやはり私の方だったようだな……」


 レイヴンズクロフトはアゴにも蓄えた髭をジョリっと擦って、アトキンズと共に海風に顔を向け、かすかに届く潮の匂いを楽しんだ。


「ふむ……溜まった鬱屈を流すには丁度良い風だと思わないかね?」


「はい、今も実践していますが、つまらない事にこの風は敵にとって追い風になるな……なんて事をつい考えてしまいます………。大佐はご自分の鬱積、この風に流せそうですか?」


「他愛のない上澄みだけなら勝手に流れて行ってくれるが……厄介なことに、そう簡単に流してはならない事ばかりでな。とは言え、私の器もたかが知れているのだがね……」


 二人の男は渋そうな笑いを見せ合ってまた黙った。そしてアトキンズは司令官を前にして膝を立てて肘を引っ掛けた。


「大佐……初めに聞かれましたね?気持ちの切り替えが得意なのかと……」


「ああ、聞いたな」


「得意じゃなかったんですよ、むしろ私にとっては食べる事も寝る事も…戦場に出るようになってからは戦争の一部でした。いや、少し違うかな……戦争が生活と同じモノになっていた。しようとしてきた、と言うべきでしょうか……」


 それはアトキンズなりの覚悟のカタチだった……。レイヴンズクロフトは眉を持ち上げてアトキンズを横目に見た。


「得意では無かった……と言ったね」


「はい。それが、ちょっとしたことで得意になった……そうなってしまった、というところでしょうか…………」


「ふむ、それは何か、心境の変化かね?」


「そうですね……。そう、変わってしまった」


「ふむ……」


 再びアゴ髭に触れてレイヴンズクロフトは考えを巡らす。それは巡らすだけの根拠に心当たりがあるということだ。


「それはもしや……メイポールが関係しているのかね?」


「え……っ!?なぜ、ですか??」


「たしか、フレヤ…というお嬢さんだったかな?とても颯爽としていて、美しい女性だった。それともまさか、もう一人の娘さんかな?」


「いいえっセアラちゃんでは……、あ……っ!いや……」


 嘘が苦手なアトキンズは面白いようにボロを出して言葉に詰まった。不意を突いたレイヴンズクロフトは低音を響かせて笑う……。


「はっはっは……、少しは空中戦以外の駆け引きも学んだらどうだ?」


「まいったな……。いやでも、彼女のせいではありません。たしかに、あまりに人間らしい生き方に心を動かされたことは認めますが……」


「ふ……何もかばう必要は無い。人が人らしく生きて何が悪いと言うのかね?我々が守ろうとしているのは、まさにそういう世界に他ならないのだからな」


 それはそうだ。しかし、大佐に言われてハッとする。


「あ、いえ……いや、確かに…大佐が言われる通り、なんですが……」


「思いもせずに彼女の肩を持ってしまったのかね?ふっふっふ……」


 まるで木石の様だった男が人を喰って楽しそうにふくみ笑いをしている姿は、そこらに居る気さくな紳士と何も変わらない。


 アトキンズははなからレイヴンズクロフトのことをどうしようもない堅物とは思っていなかったが、なにしろこれは新鮮で、彼の本当の顔を垣間見た気がした。


「大佐、とにかく私は変わってしまった。操縦桿を握れば戸惑うことはありませんが、何故か戦闘機を降りるとその時だけ、前にも増して終わった戦いのプレッシャーと命の重さを思い知るようになった……。何のフィルターも通さずに現実をありのままに反芻はんすうしているように……」


 そんな悪夢とも思えるストレスをまるで他人事のように淡々と振り返る。それが出来るのはそれ以上に価値ある未来を胸に抱いているに違いない。


 それが彼の正義であり、強さの源であるとレイヴンズクロフトは確信していた。


「時に必要でもある戦場での酔い……そんな戦いの酩酊の中での冷静さとは違い、戦いが終わればその酔いからも醒めてしまうようになった……。それは並大抵ではない二日酔いに苦しむかもしれない、しかし君はそれほど堪えていないと見えるな?」


 目の前にいる男に思いのほか興味をそそられた古兵ふるつわものは、彼のエースパイロットとしての淵源えんげんをもう少し覗いてみたいと思った。


「義務、勝利、栄誉や名声……アトキンズ君、君は戦いの先にいったい何を見ているのかね?」


 そう聞くと、アトキンズはちょっと考えた末に静かに答えた。


「…………何も変わらない日常、ですかね?」


 アトキンズの卓越した飛行技術と戦闘のセンスは疑いようもないが、兵士としての精神的な素養を持ち合わせているようには見えない男がなぜここに居るのか。数多の兵士を見てきたレイヴンズクロフトでも、この男に似た兵士は記憶に無かった。

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