第122話 滔々と流れる暗然

 もともと、空軍の作戦では部隊を見送ってしまうと、司令部が事細かに指示を送ることは出来ない事が多い。敵の無線を傍受する事が比較的容易であった時代だけに交戦前の無線使用はかなり制限されることになる。それに、無駄遣いの出来ないバッテリーにも気を遣わなければならなかった。


 結局、基地に残される者や司令官は緊急事態やパイロットからの連絡が入るまでの大半の時間を祈って過ごすしかないのである。






 この当時の司令室はと言えば、どこにでもある会社の一室と何も変わりはなかった。司令官の座るいわゆる社長机と両中佐の机が上座にあり、その前には整然とそれぞれの職員の机が並ぶ。珍しいものといえば、無線機や敷地内の放送設備、壁に貼られている地図や海図といったところだ。


 作戦中のレイヴンズクロフトはこの司令室か管制室、もしくは隣の司令官室に腰を据え、遠く離れた戦場を推考しながら無駄な事だと自分を笑った。


 現場に行けない自分に出来る事は、自分が命令を下し送り出した彼らが任務を果たし、無事に帰還してくれることを祈るだけなのだから……






 イプスウィッチを飛び立ったブレニムとスピットの編隊は、先ずは北に向かいながら高度を稼ぎ、その後東へ転身し、既に150キロの距離を東進してオランダ北部のテッセル島を目指していた。高度は8000メートルあまり、闇夜に紛れてこれから今のドイツ領に踏み込もうというところだ。


 レーダーが搭載されているブレニムが案内を務め、ドイツに補足されれば、そう確信した時点でUターンする手筈になっている。色々な役目を兼任している爆撃手は道案内をしながらもレーダーを気にしていた。


「おっと……右前方、下に小編隊がいる…………」


「あっそ。ドイツの見廻りか……見つかったわけじゃないんだろ?」


 慣れたものでパイロットは素気のない返事をした。


「ああ、多分。間には薄い雲もあるくらいだ、見つかりゃしないか…今日はツいてる?」


「当たり前だ!オレが操縦桿を握ればいつだってツいてるさ」


「ああ、そうだな。このままレーダーに引っかからない事を祈る……」


(さすがにそいつは高望みだろう?)


 パイロットは肩をすくめた。






 護衛に着いてはきたものの、スピットファイアMk2の航続距離は650キロ。と、されているが、ガス欠が許されない飛行機では実用航続距離は当然600キロ以下となる。


 そしてイプスウィッチからオランダの北岸までは270キロ、そこまでがブレニムに付き合える限界だ。もちろん、そこで敵機と出くわしても十分な戦闘が出来るほど燃料は無い。敵を引きつけながらブレニムを逃し、程よく撤退してこいと……まあ、なかなかの無茶振りである。


 しかし、それも仕方のないことだとアトキンズは苦笑する。


(苦肉の策か……まあ、フランスではいつもこうだったな。昼間の仕事ではこんなこともしょっちゅうだったが……)


 そもそも、夜間の爆撃任務でスピットファイアのような単発攻撃機が随伴する事が珍しい。視認が困難な夜間では運動性はあまり重要では無かった。それよりもレーダー等の夜間装備や多くの銃火器、何よりも複数の乗員の『目』が有効とされた。


 だから夜間の迎撃には双発の重戦闘機を使うことが定石になった。それがドイツであれ、イギリスであれ……


 つまり、ブレニムが見つかれば、それを出迎えに出てくるのはメッサーシュミットのBf109では無く、Bf110などの重戦闘機に違いない。それなら鈍重な重戦闘機にはスピットファイアをぶつけたい……それがレイヴンズクロフトの思惑だった。そう、スピットの護衛を進言したのは彼だったのである。


 孤独な戦場にブレニムをただ送り出すのは危険でしのびない。それに、それ程に一人でも多くのパイロットを帰還させたいという願いの表れでもあった。


 そんな想いも願いも、アトキンズやスピットのパイロット達はちゃんと汲み取っていた。だからこそ、なるべく長く付き添ってやりたいのだが……


(そろそろか……)


 アトキンズは燃料計を睨んでグッと口元に力を込めた。少しだけ足の長いMk5ならまだ行ける。が、Mk2では今が潮時だった。


「悪いが、ここまでだ。Godspeed Guys……!」


 アトキンズは闇の中で敬礼を送り、彼等の無事を祈った。そして後続機に目立つよう翼を大きく振ると、スピットファイアを引連れてゆっくりとブレニムから離れていく。その姿はブレニムの上部銃座からはよく見えた。


「あーあ……スピットが行っちまうよ……」


「仕方ないだろ、ここまで付き合ってくれただけでもありがたい、ちゃんと敬礼しとけよ?」


「やってるよ……」


 ふたつの群れは別れを惜しみながら夜空にふたつの筋を引いた。

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